第051話 舌戦
休憩時間が終わり、俺は席に戻った。
目の前には、既に座っているジューラがいる。
「左が先手です」
よろしくの一言も言わぬうちに、一方的に時間計測係に宣告される。
これで三回連続先手取られちゃったなー。参ったなー。
とん、と駒を動かしてきたので、こちらもそれに応じて手を指した。
十五手ほど進むと、戦型が明らかになってくる。
向こう側は、王鷲交換槍備えのようだ。
王鷲兵は、将棋でいうと角と同じ斜めの動きをするが、特殊な性質を持っている。
敵味方の駒と、中央を走って侵攻路を制限している川とよばれる地形を、ガン無視して飛び越えることができるのだ。
俺は内心では狙撃兵と呼んでいる。
だが、これがあると王様が容易に狙撃されてしまい、王鷲から王様が逃げまわるだけのゲームになってしまうので、言うまでもなく面白いわけがない。
なので、初期配置で王の右前と左前に配置されている、近衛兵と親衛兵という駒だけは、飛び越せない仕組みになっている。
だが、それでも駒を飛び越せるという特殊能力は絶大で、これのために斗棋では囲いの類の戦法が著しく制限されている。
逆に言えば、初期状態で王鷲兵に対する囲いができているので、これを崩すと狙い撃ちの危険が高まってしまう。という言い方もできる。
王鷲交換槍備えというのは、最初に数手を使って、相手の王鷲兵をこちらの王鷲兵で仕留めてしまう戦法である。
数手を浪費するぶん、若干の不利はあるが、相手の戦法を限定できる。
俺はだいぶ王鷲兵を使うのが上手いというか、得意だから、こういう戦法を取ってきたのだろう。
「ねえ、あなた」
と、そこでジューラが話しかけてきた。
なんだ?
決勝戦では挨拶もしない約束でもあったんじゃなかったのか。
思えば、こいつの声は初めて聞いた気がする。
「大丈夫?」
なにがだ。
「さて、体調は悪くありませんが」
俺がそう答えると、ジューラはわざとらしく口に手をあてて、クスクスと笑った。
「いいえ、心当たりはないのかしらってね。心配事はない?」
「特にありませんね」
「そうかしら? あなたがやっている……その、なんでしたっけね? 小さなお店」
「ホウ社ですか」
「流れ者の平民を沢山雇っているんですってね。今頃大変かもしれないわよ? 火事になったりとか」
あーあ……。
なんつーか……ほんとにクズだな。
俺はクズが嫌いというわけじゃない。
俺自身、クズみたいなものだし、美学のある悪党というのは、逆に好きなほうかもしれない。
だが、こいつらはダメだ。
美学がない。
「ふーん……まあ、驚きました」
ジューラはニヤニヤと微笑んでいる。
「あら、なにが?」
「はあ、まさかここまで頭の回転が悪いとはね」
俺が馬鹿だったわけだ。
勝ちを譲る?
恩を売る?
なんだそりゃ。
まるで話になっていないじゃないか。
ここまでハッキリと勝ちを譲ってやれば、相手は当たり前に気づくだろう。
そう思っていたが、そもそも気づいてもいなかったわけだ。
それほどに鈍感であれば、せっかくの恩も売り込みようがない。
相手は、実力で勝ったとしか思っていないのだから。
「先ほど報告を受けましたよ。家屋四軒全焼、怪我人なし。被害はまあ……軽微で済みました」
「……あらそう?」
ジューラは余裕を装ってはいるが、驚きを隠しきれていない。
作り笑顔が強張っている。
俺が知らないとでも思っていたのか?
馬鹿め。
「しかし、まさか、僕の動揺を誘うために放火をしかけ、こういう場でそれを口に出してくるとはね……やれやれ」
「……私がやったと、いつ言ったのかしら?」
ジューラは声を抑えているわけではなかった。
なにを考えているのか知らないが、こういう勝ち方こそが魔女家の誉れと思っているのだろうか。
この会話は、前のほうの観客には筒抜けだ。
「どのみち、被害の届け出を出すつもりもない」
どうせ握りつぶされ、犯人は特定されない。
「どうでもいいことです。放火だろうが失火だろうが」
「そう? じゃあなにが言いたいのかしら?」
「あなたは、品性下劣にも程がある」
「なっ……!」
ジューラは恥辱で顔を赤くしながら、俺を睨んだ。
「こんなことをせずとも、僕は負けて差し上げるつもりだった。先ほどの勝負は、どうもお気づきでないようだから申し上げるが、わざと負けてさし上げたのだ。それになんの違和感ないとは、魔女とも思えぬ図抜けたお気楽ぶりだ」
「なにを減らず口をっ……!」
ジューラは顔を真赤にして怒っていた。
だが、俺の口は止まらない。
「わざわざ負けて差し上げても、恩を恩とも解さずに、人の家を燃やし、こういった手口で舌戦を仕掛けてくる。これでは、負けて差し上げる甲斐もありませんな」
俺は、ああいう衝突を避けたくて、二戦目でわかりやすく負けてやったのだ。
恩を売ってやれば、将来的に衝突は避けがたくとも、引き伸ばしはできると。
だが、実際に放火で全焼してしまった今となっては、もう負けてやる義理はない。
百歩譲って、放火で工場を全焼させたのは構わない。
奴らの身になって考えてみれば、これは仕事なのだから。
間接的な嫌がらせが効果を発揮しないとなれば、直接的な行動に出ざるを得ないのは、仕方がない。
こちらが、わかりやすい警告を頭から無視しているのだから、それはそうなるだろう。
ラクラマヌスは羊皮紙ギルドからリベートを受け取っているのだから、その権益を保護する義務がある。
ギュダンヴィエルも『守ってやる』と言っていたが、金を貰う以上は、その相手を庇護する責任も負わなくてはならない。
子の権益が脅かされたときは、たとえ恨んでいない相手でも、攻撃する。
それは当たり前のことで、こいつらはそれを仕事にしているのだ。
だから、大切に育ててきた工場に火をかけられようと、俺は恨みつらみを言うつもりはなかった。
俺にとっては卑劣に思えるが、ラクラマヌスにとっては家業なのだ。
いまさら辞めるわけにはいかないことだ。
だから、火をかけるのはいい。
俺が今、ここに座って動けないことを利用して、留守を狙うのもいい。
だが、なぜそれを口に出して動揺を誘う?
ホウ社を潰す『ついで』で、俺を貶めようとする?
それは、強欲だ。
俺からホウ社を奪い、優勝の栄誉も奪い、泥に塗れさせて高笑ってやろう。
そういった意図が透けて見える。
いいだろう。
「審判ッ、こんな侮辱には耐えられませんわ」
ジューラがそう言うと、時間計測係(なんと審判だった)は、
「ユーリ殿は口を閉じるように。そして、罰則として持ち時間をゼロとする」
などと、ふざけたことを抜かしてきた。
もうなんでもありだな。
よほど強力に買収されているのだろう。
女王を見ると、かなり眉をひそめた顔をしている。
きっと、これで職を失うことになっても、生活に困らない程度の金は、懐に入るのだろうな。
持ち時間がゼロの場合、約30秒以内に打たなければ、失格となる。
これは大変な不利だ。
あまりに面白かったため、思わず笑みが浮かんでしまった。
「フフッ……構いませんよ。しかし、いいのですか?」
「なにがッ」
俺は人差し指でトントン、と盤の隅を叩いた。
「同じ負けるにしても、このような低俗な小細工を弄し、不利まで課して、その上で負けたのでは……立場というものはあるのでしょうか?」
負ける気がしなかった。
***
俺はもう、盤面も見ずに、ひじ掛けに頬杖をついて、ジューラの顔を無表情に眺めていた。
こうしてみれば、ジューラは歳相応の顔をして、泣きそうになりながら盤とにらめっこしている。
だが、もう道はない。
そもそもの腕前が二枚も三枚も劣るのだ。
皆が口をそろえて言っていたとおり、これなら準決勝の相手のほうが余程強かった。
彼女と十番勝負をすれば、こいつは運が良くて一本取れればいいほうだろう。
同じ寮に住んでいる相手だ。寮内では何度も対局をしているはずだ。
その相手に勝って、さらに一局目で腕の差を見せつけた俺に対して、何故あの二局目を自力で勝てたと思ったのだろう。
そして、俺の動揺を誘えば、三局目は余裕を持って勝てる、となぜ思えたのだろう。
物事を好都合なほうに考えてしまう性格なのか、予めの計画を修正することを考えつかなかったのか……。
寮内ではろくに対局をしていないとか、血筋を考えて手加減をされていたということも考えられる。
わからないな。
それにしても、本当に詰めろがかかり、必死になるまで続けるつもりだろうか。
盤をひっくり返して俺にぶつけ、一矢報いるとか。
それも、ありえなくはない。
ガキみたいな行動だが、俺がモロに盤と駒を浴びせられ、椅子から転がり落ちでもすれば、相当みっともないことになる。
この最悪の状態からの巻き返しとしては、悪くはない。
俺の無礼への報復ということで、多少の言い訳もつく。
一応、警戒しておくか。
「参り……ました……」
ジューラは、下唇をかみながら、目に涙をため、悔しそうに盤の上に手をおいた。
終わった。
***
終わった瞬間に、立ち見席のほうから爆発が起こったように歓声が上がった。
騎士院の連中が、文字通り飛び跳ねながら嬉しがっている。
歓声のなか、それからの手続きが分からず座っていると、キャロルが貴賓席から立ち上がり、こっちへ向かってきた。
キャロルは黒に近い藍色のドレスを着ていた。
頭には琥珀と銀で出来た繊細な髪留めをつけている。
ドレスの暗い色合いが、髪飾りで装った金髪に、よく映えていた。
靴もヒールのついた靴を履いていたので、立ち上がると、なにやら普段とは別人のように見えた。
「まったく、お前はふつうにやれんのか」
中身は変わらんらしい。
「厄介が向こうから押し寄せてくるんだ。しようがない」
「それは、お前がひねくれものだからだ」
「……そうかな」
急に自信がなくなった。
そうかもしれん。
キャロルの言うとおりなのかも。
良く分からんが、これから酷く厄介なことになりそうだし。
「……だが、よくやった。見事である」
キャロルは、不敵にニコっと笑って、軽く手を差し出してきた。
今度は、肩を叩くつもりではないだろう。
「そうかい」
すっと立ち上がると、手をとりながら跪き、俺はそっと口づけをした。
***
すぐに会場を抜け、服を制服に着替えさせてもらうと、俺はそのまま走り去るように王城から出た。
そう急いでいるわけではないが、できるだけ早く水車小屋のほうに行きたかった。
「ユーリくん」
王城の門の外に、ミャロがいた。
手綱を握っているのは、どこから調達してきたのか、ホウ家の鞍のかかったカケドリであった。
「申し訳ございませんでした」
ミャロは頭を深く下げた。
「なにを謝る」
「ボクの考えが足りませんでした。ボクがユーリくんを大会にひっぱり出したせいで、大切な建物が放火されてしまい……」
「ミャロ」
俺は強い口調で言った。
「あれをお前のせいと思うほど、俺は落ちぶれちゃいないぞ」
あれはどのみち、いつかやられていたことだ。
強いて言えば俺のせいであり、社が荒稼ぎをした代償でもある。
ミャロのせいではない。
「……それだけじゃありません。控室に乗り込んで見当違いの文句をいうなんて。言い訳のしようもありません」
ミャロは、ずっと頭を下げたままだ。
「顔を上げろよ」
「……はい」
頭を上げて、顔が見えた。
親の説教を待つ子供のように、情けなさそうに歪んだ顔は、いつもの人を見透かした笑顔ではない。
そこには歳相応の幼さがあった。
主人に見捨てられるのを恐れる、子犬のようだ。
カケドリを用意しているということは、これもつぐないのつもりなのだろう。
まだ決勝が終わって二十分、経つか経たないかという時間だ。
決勝が終わってからカケドリを調達したのでは、幾らなんでも早すぎる。
ということは、ミャロは序盤にやりとりを聞き、火災を知るとすぐ会場を離れ、別邸まで行き、どうにかして事情を話し、トリを調達してきた。という事になる。
いわば気を利かせたわけだが、その気遣いが俺には哀れにすら感じられた。
十六歳のすることか。
「馬鹿だな」
俺は、ミャロに近づくと、その体をぎゅっと抱きしめた。
ミャロのか細い体は、同じ年齢でも細く、すっぽりと俺の胸のうちに収まった。
「あ、あの……」
「そんなに気負うな。俺はお前がどんな失敗をしても、嫌いになったりしない」
「……はい」
腕の中で、安心したようにミャロの体が弛緩した。
「あの、こ、この際だから言ってしまいますけど……ボ、ボク、実は女なんです」
なんか言ってきた。
「男と思っていてこんなことをするか。気持ち悪いだろ」
「そ、そうですよね……で、でも、離してください……」
俺はミャロを離した。
「こ、こんなことをされると……勘違いしてしまいます」
ミャロは頬を赤らめていた。
慰めたつもりだったのに、なんか変な方向に……。
「ゆ、ユーリくん、お急ぎなんでしょう? ほら、早く行ってください。ボクのことはいいですから」
「そうか」
俺は鐙を踏みつけると、ひらりと鞍に跨った。
やはり騎士院の制服は動きやすい。
「どうぞ」
ミャロから手綱を受け渡されると、俺は走らせた。