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ミュリエルは顔を真っ赤にして声を荒らげた。
「いいや……。ある程度の星神力があるのなら、令嬢がセレストの足元にも及ばないことくらいすぐにわかるんだ。ゴールディング侯爵も、その家庭教師とやらも、知っていたからこそわざと術を習わせなかった」
セレストは、ゴールディング侯爵家での暮らしについて、フィルに詳しく話している。
彼がセレストとの結婚を承諾した理由の一つは同情だった。セレストがどうしても侯爵家から出たいと訴えて、彼がそれに応じたのだ。
ただし、学びの機会を奪われているという事実は伝えたが、実娘より才能があるのが気に入らないからという理由までは言っていなかった。
他人より優秀であるだなんて、自ら口にするのは恥ずかしい気がしたからだ。
彼の推測は、共に暮らす中でセレストの実力を評価してのものだろう。
「嘘よ、そんなはず。だって……お父様は……お姉様が出来損ないだと。……侯爵家の恥だと……」
フィルは首を横に振り、不敵に笑ってみせた。
「一族から無能な人間を輩出すると家門の恥になる。それだけで他家との婚姻を結びづらくなるのが血統主義の貴族社会だ。……だから普通、不出来な者がいたら徹底的にしごくんだ。強くなる目的で軍に入隊する者も多いから、それくらい俺でも常識として知っている」
ノディスィア王国の貴族は、強い星神力を持っている血統をなによりも尊ぶ。
たとえば、セレストが落ちこぼれならば、ゴールディング侯爵家の血が弱まっていると疑われ、ミュリエルの将来――主に結婚に差し障る可能性がある。
じつにくだらない話だ。強さを重視するのに、血統のよくわからない者はたとえどんなに素晴らしい術の使い手であっても認めない。
星獣だって必ずしも家格が上の順に主人を定めるわけではないというのに。
けれど、それがこの国の貴族だ。
伯父がセレストに家庭教師をつけず、評判を落とそうとしたことは、侯爵家にとってなんのメリットもない愚かしい行為だった。にもかかわらず伯父がそんな行動をしたのは、弟の娘のほうが、自分の実娘よりも優秀だということがどうしても許せなかったからだろう。
「嘘よ! あなた、わたくしがどれくらいすごいか知らないじゃない」
先ほどまで真っ赤になって憤っていたミュリエルの顔色が悪くなる。
「まあ、証明は侯爵令嬢が大人になったら嫌でもされてしまうだろう。……一つだけ助言を。星獣には心があって、優しい気質の子が多い。自分の力を誇示するための道具にしたいという思いには、きっと応えないはずだ」
最後は諭すような言葉だった。
「……っ! な、なによ……不愉快だわ!」
窓がピシャリと閉じられた。しばらくすると豪華な馬車がゆっくりと走り出す。
二人は馬車が道の先へと消えていくのを確認してから、顔を見合わせる。
「つい、説教なんてしてしまった。まだ十歳の子に大人げなかったな」
フィルはばつが悪そうだ。
その気持ちは、心だけ大人のつもりのセレストにもよくわかる。相手がどんなに無礼でも、子供に正論を諭すのはなぜだか罪悪感を伴うのだ。
「いいえ、……少しだけでも自身と侯爵家を冷静に見るきっかけになってくれたらいいのですが」
「それにしても君のいとこ、伯父君にそっくりだな」
「え? そんなことないですよ。ミュリエルはとっても綺麗な女性になるはずです」
ミュリエルは艶やかな黒髪の令嬢で、容姿はどちらかというと母親似のはずだった。恰幅のよい伯父とは似ているところを探すほうが難しい。
「いや、顔立ちじゃなくて性格が。誰かを下に見ることで満足するのってかなり病的だと思う。……貴族の社会だけではなくどこにでもそういう者はいるんだが、俺はあの侯爵家の人間が嫌いだ」
フィルがここまではっきりと他者への嫌悪感を口にするのはめずらしい。今の言葉だけでは収まらず、彼はさらに言葉を続ける。
「引き取った姪を見えないところで虐げて、政治のオモチャにして……。恥ずかしいから結婚式はしないとか……! 今思い出しただけで腹が立つ。幼い子供は大切にされるべきだというのに」
フィルは結婚前の顔合わせのとき、伯父の態度があまりに目に余るものだったことを振り返り、憤ってくれる。星獣使いで将軍職、爵位まで得たフィルに対し、一切の敬意を表さなかった部分も、怒っていいはずなのにそこは気にしていないようだ。
彼の怒りはすべて、セレストの扱いに対してだった。
「フフッ」
「なにかおかしかったか?」
「いいえ。私のために怒ってくださったんだと伝わったから。つい嬉しくなってしまったんです。こういうのが家族なんだって……」
当たり前に手を繋いでくれるのが、家族という存在なのだろう。一度目の世界では、子供の頃に失って以降、再び得ることがなかった。
仮初めだとわかっているのに、セレストにとってフィルはかけがえのない大切な人だ。
早く大人になって力を得たいのに、こうやって守ってもらえる関係が心地よく、甘えたくなる。
「侯爵家にはなにか対策が必要かもしれないな」
「対策ですか?」
「あぁ。星獣使いになれるかどうかは置いておくとしても、君が優秀な術の使い手になることは間違いない。そうなったとき、侯爵家はどう出るか? なにか陰謀をくわだてて邪魔するか、君を取り戻そうとするか――どっちだろうな」
一度目の世界で、セレストは貴重な星獣使いとして尊ばれる存在のはずだったのに、実際には侯爵家の駒として使われるだけの傀儡だった。
フィルと結婚したことにより、侯爵家がなんらかの権利を主張してくることはあるだろうか――ないとは言えない。
そうなったときに、エインズワース伯爵家は大貴族に対抗できるだろうか。
「……フィル様は、結婚だけでは弱いと考えているのですか?」
彼が困った顔をして頷く。セレストは急に不安になった。
セレストは結婚により侯爵家からの支配から逃れられたつもりでいた。
血筋を重んじるゴールディング侯爵家が、セレストや成り上がり貴族のフィルに嫌がらせをしてくる想定はしていたのだが、権利を主張するほうは考えていなかった。
プライドだけは高いから、一度手放したものを再び手に入れようとするはずはないと思っていたのだ。
「大丈夫だ、なにせ俺と君は、正式な夫婦なんだから。対策は俺が考えておくし、ドウェインも力になってくれるさ。……帰ろうか、皆が待っている」
セレストは頷いた。
愛すべき獣たち、モーリスとアンナ。そこにスピカも加わってくれる日は、きっと近い。