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nekonoongaeshi’s diary

鉄印の旅と植物と保護猫と。田舎暮らしの日々を綴っています

雪景色の魔法と魅惑の紅葉絨毯を体験🍁

今週のお題「今年の目標どうだった?」

気が付けば12月。しかも1週間が過ぎている。今年は元旦から色々なことがありました。「今年こそは…」と思って準備を進めていた八幡平行きを様々な事情でとりやめることになり、そういう意味では目標は達成できませんでした。

数日前、主人の大学時代の旧友が、長野に用事があっておでかけするというので、その帰りに家へ足をのばしてくれることになりました。ノーマルタイヤでは無理だから主人が迎えに行くことになり、待ち合わせ場所を、紅葉が見頃とニュースになっていた郡上八幡城の駐車場・山内一豊と千代の銅像がある所(本丸跡地)にしました。

郡上八繁城には伝説があり、2006年放送のNHK大河ドラマ功名が辻」の主人公で一躍脚光を浴びた「千代」は郡上八幡城の創始者・遠藤盛数の娘という説が有力なのだとか。山内一豊織田信長豊臣秀吉徳川家康など時の覇者達に仕え、24万石の初代土佐藩主にまで駆け上がった武将で、その一大出世を陰で支えたのが千代の内助の功だと言われています。

お城から見下ろした郡上八幡の城下町

 

この友人はいつも全国各地のお土産を持参してくださるのですが、今回は諏訪大社の近くで塩羊羹を買って来てくれました。

郡上八幡城へ向かう途中で見つけた可愛い公園

5年ぶりの再会です。外大を卒業されて南米に嫁がれたお嬢さんのお話やボリビア西部にあるウユニ塩湖、世界遺産に指定されている古代マヤの代表的な都市遺跡の興味深いお話を聞かせてくれました。お嬢さんが住んでいる場所からウユニ塩湖までは片道3日かかったという説明に驚かされたり、ナスカの地上絵やマチュピチュに憧れる私にはとても刺激的でした。あと、日本から移民した人たちが住むカラフルな町並みの沖縄タウンもあるんですって。日本語を話せる日系人はいなくて、日常会話はスペイン語が中心だそうです。

憧れの南米は死ぬまでに行けたらいいなぁと思いつつ、猫のいる生活なので2週間も留守にはできない現実がありますが、来年は3泊4日で八幡平の紅葉を観に行きたいです。

それにしても郡上八幡城の紅葉は本当に見事でした。ちっちゃなモミジの葉がフカフカの絨毯のようで、歩くとキュッキュッと鳴って。空はどこまでも青くて。

家に泊まってくれた主人の友人は徐々に変わる雪景色にびっくり。

「トンネルを抜けると別世界だ。すごい雪ですね」

そうでしょ。まるで川端康成の「雪国」そのもの。



今年の秋、紅葉を観に行けなかった私にささやかなご褒美をいただいているような気持になりました。せわしない12月に紅葉を愛でる機会に恵まれるなんてラッキーだな、私。

 

 

 

hachiman-castle.com

 

とっておきの、仰天エピソード

 

久しぶりの投稿になってしまいました。先日、11月20日は父の命日だったのですが、その日、俳優の火野正平さんの訃報が報じられました。

みなさんは日野正平さんのイメージってどんなですか?

nhkのbs「にっぽん縦断 こころ旅」という番組で火野正平さんが視聴者から送られたお手紙「こころの風景」を自転車で訪ねるというもので、うちは主人がその番組の大ファンでよく見ていたので私も一緒に見ていました。

東日本大震災のあった年、2011年にスタートして14年間で1200カ所(1200回、正確には1240回)の心の風景を訪ねられたそうです。

4月の2024春の旅が1週間で中止になり、持病の腰痛のリハビリに専念すると発表になったときは、ずいぶん無理をされているのだろうなと感じていましたが、夏に圧迫骨折でその後、他の機能も悪化し11月14日に亡くなられていたことが事務所を通して公表されました。

私はこの番組で火野正平さんに対する印象が大幅に変わった一人です。

花巻の鉛温泉に宿泊した時も、火野さんがマルカン百貨店の大食堂で食べていた特盛のナポリタンと聳え立つソフトクリーム、それと同じものを食べるために温泉旅行をしたようなもの。

京都編で視聴者のお手紙を大募集したときに、主人が「応募したら採用されると思う。面白過ぎる」と推してくれたのですが、結局出さず仕舞いで終わっていた火野さんにまつわるエピソードがあります。

今日はそんなエピソードを、はてなブログでちょこっとご紹介。

 

あれは私が22歳だったかな。女友達ののんちゃんと京都でお昼ご飯を食べていた時のこと。実は私は焼き魚の皮の部分が苦手で残していると、お隣の席の男性が

「食べへんの?ここが一番おいしんだぞ。食べ物粗末にしたらあかんで。」と言ってお箸でつまんで焼き鮭の背の皮をパクリと食べたのです。

え?!え”-噓でしょ。何よこの人って仰天しました。一緒にいたのんちゃんが小声で「あの人、俳優の火野正平さんよ」と教えてくれてクスクス笑って見ています。

私はというと、口があんぐりとあいたまま固まっていました。

この話を主人にすると「絶対、採用されるよ。応募してみたら?」

のんちゃんにメールを送ると「あの時の写真あるわよ~。うふふ」と悪乗りする始末。

 

今思うと、ボツ(不採用)になってもいいから応募しておくべきだったな、と少し後悔しています。テレビで紹介されなくても、火野さんにこんなお手紙が届いていましたよ、と番組のスタッフが伝えてくれたかもしれない。

2024秋の旅はピンチランナーをたてて番組がスタートしました。番組が春に用意した電動アシストのチャリ丸くん(2号)の出番はなくなってしまいましたね。

早いか、遅いかの違いはあってもみんないつか必ず死ぬのだから。

でも。少し早すぎましたよね。もっともっと走ってくれると思っていたものですから。

事務所の発表では家族に見守られて穏やかな最期だったそうです。

火野正平さん、14年間お疲れさまでした。

 

 

www.nhk.jp

はてなブログスタッフさん、振り返りメールありがとうございました。

 

 

感動の映画『マリと子犬の物語』

選挙も終わり、あっという間の10月でした。

今日はエンタメの話題です。

今週から朝ドラ「おむすび」の舞台が神戸に移ったようです。阪神淡路大震災をどのように描くのかと思っていたのですけど、テレビやタンスが倒れ、数十秒で避難所となっている学校の階段で身を寄せる場面に。

これはきっと今年の能登半島地震の被災された方々への配慮なのかもしれません。

 

週末は主人が録画しておいてくれた映画「マリと子犬の物語」を初めて観ました。

この映画は31憶円超えの興行収入があったそうですし、文藝春秋で紹介されたり、絵本になったりとご存知の方も多いと思います。

2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の実話をもとに映画化された作品です。

マリを演じたイチの演技が心を揺さぶります。そのイチの演技指導にあたったドッグトレーナーの宮忠臣さん、素晴らしい!通常、犬を使った撮影は同じ役を演じる犬を数匹用意するのだそうです。この映画でマリ(成犬)を演じた犬は“イチ”ただ1匹だったんですって。これ、ペットを飼っていない人でも、きっと涙なしでは観れない映画だと思います。

 

マリと子犬の物語 AC

 

マリと子犬の物語」 124分 東宝映画 2007年12月公開 

原作:桑原眞二、大野一興『山古志村のマリと三匹の子犬』

監督:猪股 隆一(いのまた りゅういち)

特撮:清水俊文

出演:船越 英一郎 松本 明子 広田 亮平 佐々木 麻緒 宇津井 健 髙嶋 政伸 他

マリ(柴犬) :イチ

音楽:久石 譲

主題歌:『今、風の中で』平原 綾香

 

 

実在のマリ(柴犬)は、映画とは違って、地震当日の朝に3匹の子犬を産んだそうなのです。避難所へ連れて行けない犬や猫たちは、倒壊した家屋の隙間などで寒さを凌ぎ、食べ物を探してさまよいます。余震の続く中でまだ目の見えていない3匹の子犬を守りながら飼い主を待ち続ける…映画よりもずっとずっと過酷な体験をしたと思います。PTSD (心的外傷ストレス障害)によるとみられる行動の変化が犬にもみられたそうです。

能登半島地震の時も被災ペットのニュースがとりあげられていましたね。おきざりにしたくないから避難所へは行かずに、半壊した家屋や車で寝泊まりする飼い主さんもいました。この映画をご覧になって被災ペットについて考える時間を作ってもらえたなら、そんな願いを込めて。

 

主役のマリを演じたイチは2013年の松竹映画『ひまわりと子犬の7日間』(実話)にも出演しました。

マリと子犬の物語」は今ならアマゾン Prime Videoでご覧になれますよ~。

 

 

お詫び💦

毎日ブログを更新されている方には、毎日サイトを訪問できなくて申し訳ない気持ちがあります。時間のある時に読ませていただくというスタイルで、不定期更新を続けて参ります。💦よろしくお願い致します。

 

南アルプスの風に魅せられて #キャンプ

今週のお題#最高のキャンプ

縦走の山登りでは、国内だけではなくカナダでもキャンプ地をよく利用しました。ある年の夏の懐かしい思い出話です。長文になりますが、よろしければお付き合いくださいね。

南アルプスの風

 8月の蒸し暑い朝、東名高速富士川SAで、コーヒーを飲もうと車を止めました。
あいにくの曇り空。
なんてアンラッキー、晴れていれば ここから富士山が眺められるはずなのに。
本日の予定を雨のドライヴコースに変更すべく、観光スポットをピックアップして、沼津ICから国道1号線へ。
 まずは東洋一の涌き水で有名な柿田川湧水群を訪ねました。源は約40キロメートル北方の富士山に降った雨や雪。これらが三島溶岩流の間を通り、長い年月(数ヶ月~数十年)を経てミネラルを適度に含み、日本有数のすばらしい地下水となり、湧水しているのだそうです。
全長1200メートル。狩野川と合流し、するが湾に注いでいます。
水質はPH7.2  色度0 濁度0  溶存酸素9.5前後  湧水量100万トン/1日 水温年間15℃前後  電気伝導率14~16m s/m というデータが公園内にありました。
この日は偶然にも「湧水まつり」の日で、オープニング前の山車や会場準備のスタッフが忙しそう。0-157が猛威をふるう日本列島の夏に大丈夫かな?
おずおずと歩み出て柄杓一杯の涌き水を頂きました。
う~ん、おいしい!
貴重な動植物にはミツマバイカモ、ツリフネソウ、ミクリ、ヤマセミカワセミゲンジボタル、アマ
ゴ、アユカケ、アオハダトンボ、ミドリシジミ、など。
この涌き水が静岡県東部35万人の飲料水を支えています。隣接するJA駿南の裏に専用の駐車場がありますが、ちょっとわかりにくいので1号線沿いのサンテラスのP、またはファミリーレストランすかいらーく」のPを利用すると、とっても便利です。
(そのときはコーヒーくらいは飲んでね)

 

 柿田川公園をあとに136号線を南下。
修善寺有料道路を通り、1時間半程で414号線の分岐へ。
夏休みのリゾート地とあって、車は渋滞の踊り子街道をややゆっくりと走りました。踊り子橋~白橋の間には作家・川端康成氏の小説「伊豆の踊り子」の一節が石に刻まれています。これを含む踊り子歩道は、浄連の滝と河津七滝天城越えに結ぶ16.2キロのハイキングコースとなっています。所要時間は約8時間。また、船原峠と天城高原(四辻)を天城山の稜線沿いに結ぶ40キロ(所要13時間)のロングコースもあります。実は天城山日本百名山の一つで、天城山白田山、万二郎岳、万三郎岳、箒木山、三筋山の山の総称で、最高峰は万三郎岳(ばんざぶろうだけ)の1406m。
旧天城トンネルの横に登山道がありました。旧トンネルは およそ400mの長さで懐中電灯なしでも歩けます。このあたりは霧の多いことで有名。トンネルを抜けると、旅芸人一座と踊り子に出会えそうな気分になるから不思議ですね。
無邪気な伊豆の踊り子が、色々な表情を持っていたように街道には色々なコースがあります。
時間がなければ七滝めぐりが、おすすめのコース。
 滝のことを「たる」と呼ぶのが、この辺りの方言なのだそうです。大滝、出合滝(であいだる)、カニ滝、滝、蛇滝、エビ滝、釜滝の7つ。
河津七滝のまわりの岩に注目すると、柱のように規則正しく割れてびっしり並んでいます。これを柱状摂理といいます。
この釜滝の岩をバックにして、水しぶきに光が差して虹が見れますよ。
浄連の滝は、やはりここのハイライト。透き通った滝水の横では、わさびの栽培が。
珍しいお土産を発見しました!
わさび塗りのお箸と、そして暑~い夏にはgoodな水出し煎茶。
 巨大な蚊取り線香を連想させるループ橋を走り、湯ヶ野温泉の「福田家」へ。
「福田家」は大正7年の11月2、3、4日と川端康成氏が宿泊した宿です。氏のお気に入りだったという創業以来の「かや」のマス風呂に入りましょう。一泊¥12000~宿泊できますよ。

福田家をあとに414号線を北上し、136号線から天城湯ヶ島を通り、西伊豆・土肥海岸へ向かいました。曇り空にもかかわらず、土肥海岸は芋の子を洗う賑わいでした。
なんと!この日は避暑に訪れていた吉本ばななさんの父親が、一人で泳いでいて溺れるという、水の事故があり驚きました。私は、男の人が溺れたんだくらいにしか思わなかったのですが、主人は名前を聞いて「吉本ばななの父親じゃないか!」と大騒ぎ。
意識不明の重体で病院へ運ばれたけれど、その後どうなったのかしら‥‥‥。

少し暗い気分で土肥~戸田村~大瀬崎へ海岸沿いをドライヴしました。17号線から414号線を経由し163号線、更に県道380号線を走り、バイパス1号線から由比町へ。
土曜日ということもあり、夕方は大渋滞でした。
 由比(ゆい)町は、桜えびの本場で東海道の宿場町として栄えたところです。
旧街道には由比正雪の生家・紺屋(ごうや)、真向かいには東海道五十三次の浮世絵を所蔵した東海道広重美術館があります。
静岡マップルの新名所として紹介されていた「ゆい桜えび館」は、土日祝の営業19:00までとなっていたのに、実際には17:45で営業を終了していてガッカリさせられました。
 紺屋さんの若旦那は、閉店後の店内を見せてくださり、簡単に「由比正雪の乱」の説明をしてくれました。
 「由比正雪の乱」は慶安四年(1651)の4月三代将軍家光が死去すると、その年の7月由比正雪らにより幕府転覆が企てられました。
これが世にいう慶安事件です。
のちに正雪は、駿府城下の梅屋で同士と共に自刀して果てますが、350年続く「紺屋」が正雪の生家と言い伝えられているそうです。
 記念切手にもなった歌川広重のシンプルな藍染めの手拭いと鮮やかなサーモンピンク地の桜えびの型染めのハンカチを買いました。
 夕暮れの旧東海道を由比川へ向かって歩くと、桜えびづくしのお料理が味わえる「井筒屋」さんがあります。名物桜えびのかき揚げ、桜えび御飯、桜えびの佃煮、大根とベーコンがベースの桜えびのお吸い物、駿河湾で水揚げされた鮮魚のお刺身に水菓子(8月はスイカ)と香の物の7品がつく由比の本陣定食、¥2000で楽しめますよ。
 旬の桜えびを戴くのなら春と秋の漁期がおすすめ。春漁は3月末~6月初、秋漁は10月下旬~12月までで、生桜えびの珍味や沖上がりが味わえるそうです。
電車利用の場合でも東海道本線由比駅から徒歩15分と散策コース圏内ですし、営業時間も夜8時までというのが嬉しい。
田舎のお店は、夕方5時ともなると夏でもオーダーストップしてしまうので気をつけてくださいね。

 

清水の次郎長で知られる清水市も、夜は早いようです。アーケードの商店街も夜8時で弊店していました。
ここで、おすすめしたいのが横砂西町にある和食専門店の「榊屋」。
清水漁業組合御推薦のリーズナブルな料理屋さんです。とにかく安い!
 和食が嫌いな方に、おすすめのシーフードレストラン「フィッシャーマンズクラブ」ならディナー¥3000より海の幸が楽しめます。
静岡県O-157撲滅運動”のノボリが、やたら目立った西伊豆と夏真っ盛り食べ歩きの駿河路と‥‥私流サマー・バケーション第1話、おしまい。

 

 

 日本アルプスというと、漠然と思い浮かべるのが信州。信州って長野県?静岡県山梨県にまたがる山といえば‥‥誰もが「富士山」をイメージしますよね。
富士山の美しい山容と、日本一の標高、どっしりした存在感と‥‥。
 ところで日本で2番目の標高は?というと、これが以外と知られていないのです。日本第2の高峰は南アルプスの「北岳」3120m。静岡県山梨県の県境に位置する、堂々とした量感のある山です。
 この夏、2度目の北岳へ、広河原から白峰三山縦走に塩見岳をプラスして登ってきました。南アルプスは、北アルプスのような個性的な容姿も賑わいもなく地味で、山が深く、玄人好みの山とでもいうべきでしょうか。
その北岳も夏休みとあって、広河原の駐車場に入りきれない車が、夜叉人峠まで数珠つなきの状態。南アルプスは交通の便が悪いので、近年は北岳のみ往復するマイカー利用者が増えています。
 そこで縦走下山口の奈良田の町営駐車場へ車をおいて、山梨県早川町からタクシーで、広河原の登山口へと向かいました。早川町~奈良田(40分)、奈良田~広河原(50分)で、このタクシー代(当時)が、なんと¥16000なり。予定外の大出費。
凸凹の山道をタクシーに揺られながら、他に交通の手段はなかったのかと思うことしきり。
 登山口を出発したのは午後3時をすでにまわった夕方でした。薄暗くなった樹林帯を登り終え山小屋の赤い屋根にホッと一息。その日は白峰御池でテント泊。
 翌朝、北岳の大バレットを右手に仰ぎながら雪渓を歩き、除々に高度を上げていきます。岩場~ハシゴ、鎖の繰り返し。やっとの思いで”八本歯のコル”に辿り着いた時には、20㎏のザックが肩に食い込み、背中は塩を吹き、灼熱の太陽に焼き豚状態というものでした。が、頂上に立つと不思議ですね。この爽快感は うまく言葉に表せないものがあります。北岳山荘~間ノ岳(あいのだけ)3189m、ここの分岐でほとんどのハイカーと別れ、間ノ岳~三峰岳(みぶだけ)2999m~熊の平まで岩の切り立った痩せ尾根のピークを何度も越えて3つ目のキャンプ地・熊の平小屋へ。
 ランチは、長しそうめんと五目飯。冷たい山水で身体を拭き、テントを張ったロープに洗濯物を干し、絵はがきのような青い空にシュークリームみたいな雲がポッカリ浮いて、午後のひととき時間はゆっくり流れていきます。
 体調を整えて翌朝、塩見岳(しおみだけ)3046m往復を。
往復9時間の、とんでもない山行プランを提案したのは私だったので弱音は吐けません。それでも午後からの4時間は雷雨の中を歩き、へとへとで小屋に到着できたのは夕方でした。
熊の平の管理人は、暖かいスープを差し出し、流暢な日本語で
「元気の出るスープよ」と言ってニッコリ笑いました。

疲労も長時間雨に打たれたことも忘れてしまいそうな、そんな味がしました。
さて、ここの管理人は女性でして、彼女はアメリカのユタ州の出身だそうです。毎年、アメリカと日本を往復して、夏山のシーズン中にはここで小屋番をし、笑顔でハイカーを迎え、サイフォン仕立てのインディアカコーヒーと手作りパンで送り出す。
そんな生活を彼女は16年続けてきたのだと話しました。すご~い!
16年て半端じゃできない。彼女はホントにこの南アルプスが好きなんだなあ‥‥この16年間きっと彼女の笑顔と元気スープは、数えきれない程のハイカーを勇気づけてきたと思います。
ちょっと残念なのは、来年もう一度、南アルプスを訪れても彼女の笑顔に会えないということ。
ユタ州なまりの英語しか話せない2人の子供達が、スクールにあがるので、それを機に母国へ帰られるのだそうです。
だから彼女の手作りパンを味わえるのは、この夏かぎり。
 雨上がりの翌日、私共はできるだけ出発を遅らせ、彼女が布団や洗濯物をパンパンと叩いてテラスに干す光景を見ていました。
 誰かが吹くオカリナの音色が心に染みてきます。
「お世話になりました。お元気で!」と言うと、彼女は忙しそうな手をとめてニッコリ。彼女の笑顔はまるで南アルプスの風のようでした。

 

 

※登山キャンプの画像はadobe stock 様のフリー画像をお借りしました。

(「南アルプスの風」HPからの移転)

血に呪われた一族の百年の歴史と「猫が笑えば」

この3連休は行楽日和でした。どこかお出かけになりましたか。

一生に一度は訪ねてみたい、紅葉の名所「八幡平」。

思うところがあって今年の八幡平行は来年に持ち越しとなりました。

先週急激に寒くなり、ふたりとも風邪気味で片道14時間の車の旅は、しんどいだけで観光を楽しめそうにないというのが延期の理由のひとつです。

昨年行った立山は吹雪でほとんど視界は0状態でしたので、今年も行きたそうでしたが

駐車場がいっぱいになっているらしく、これも断念しました。そんなわけで珍しく家でテレビを見て3日間を過ごしていました。

 

テレビをつけるとちょうど二百名山の「栗駒山」1626mの絶景が。小学生の頃、家族で行ったことがあるのですけど私は硫黄の匂いが苦手で、嘔吐ばかりしてどんな景色だったのか全く覚えていないのです。

 

そのあと大谷翔平さんとダルさんの野球対決をテレビ観戦。これはきっと視聴率高かったでしょうね。日本人プレイヤーがアメリカで活躍されているって本当に素晴らしいことだと思います。

それから録画しておいた鈴木保奈美さんがMCを務めるBSテレビ東京の「あの本読みました?」

今回は文庫本ランキングの紹介で作家の小川哲さんが解説されていたんですけど、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』が堂々の1位でした。1967年にスペイン語でアルゼンチンのスダメリカナ社から出版され、日本では1972年に新潮社から刊行されました。46の言語に翻訳され、5000万部も発行されている世界的ベストセラー小説。1982年にノーベル文学賞を受賞しています。

あらすじは

ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランを始祖とするブエンディア一族が蜃気楼の村マコンドを創設し、隆盛を迎えながらも、やがて滅亡するまでの100年間を舞台としている。

コロンビアのリオアチャにあるコミュニティでは、近い血縁での婚姻が続いたせいで豚の尻尾が生えた奇形児が生まれてしまった。それを見たウルスラは性行為を拒否するが、そのことを馬鹿にされたため、ウルスラの従兄弟で夫のホセ・アルカディオは彼女を馬鹿にした男を殺してしまう。しかし殺された男がホセとウルスラの前に現れ続けたために、夫妻は故郷を離れてジャングルを放浪した末に、新しい住処「マコンド」を開拓する。そしてウルスラは「豚のしっぽ」が生まれないように、婚姻の相手は血のつながりのない相手に限定するという家訓を残した。さまざまな人間模様や紆余曲折がありながら「マコンド」は繁栄していったが、ウルスラが残した家訓は玄孫の代に叔母と甥の恋愛結婚という形で破られ、「マコンド」は衰退と滅亡へと向かっていく。   wiki より

作家没後、2024年に新潮文庫で再刊された作品を買いました。2014年に86歳で亡くなられていますので ちょうど10年。池澤夏樹さんの「百年の孤独 読み解き支援キット」を主人がダウンロードしてくれたのでまずはこちらから読むのがおすすめですね。

 

最後はWOWOWで放送されたオリジナル番組の「ねこが笑えば」シリーズを一気見しました。やっぱり体調がすぐれない時や疲れて何もしたくない時には、こういう癒し系の番組が一番です。

番組では毎回、ねこご飯の紹介があるのですが「ねこご飯レシピ」を参考にして作ってみました。お試し鶏肉と大葉のねこご飯

うちの猫たちは返品でしたよ。大葉の匂い。ダメでしたねー。大葉食べる猫って本当にいるのかしら。

主人いわく。「刻んだ大葉のうえにマタタビでもふりかけているんじゃないのか」

 

我が家の外猫さんたちは猫缶のほうがよろしいようで。

 

 

テレビ三昧の3日間でした。

お題「最近の小さな幸せ」

いちじく丸ごとデザート🎂秋を楽しむ

今週のお題「秋の味覚」

昨年の今頃は、「仔猫のおもてなしレシピ」でフルーツピザと無花果の赤ワイン煮を作りました。今回は小さめの無花果でしたので、バナナやオレンジピールと一緒に無花果皮ごとパウンドケーキにいれてみたら甘さあっさり大人向けで美味しかったです。

オレンジピールは、ネーブルオレンジの皮(通常は捨てちゃう)2~3個分と皮と同量のグラニュー糖、少量のお水で簡単に作れます。

はじけて今にも落ちそう。玄関前の栗の木が収穫をむかえました。

収穫祭🌰 と言いたいところですが、台風で半分以上落ちてしまいまして。

秋どりさやいんげん 9/25からほぼ毎日収穫

二人では食べきれない量に嬉しい悲鳴をあげています💦

牛焼肉*さやいんげんと薩摩芋のツナマヨ和え*鶏肉と蓮根のポン照り

さやいんげんの黒胡麻和え*アスパラ豚肉ロール*栗入り炊き込みご飯

 

<追悼>

料理評論家の服部幸應さんが4日午後6時30分、急性心不全のため都内の病院で亡くなられました。服部さんは1945年12月16日生まれ、東京都出身。立教大卒、昭和大医学部博士課程修了。1977年に服部栄養専門学校の校長に就任し、同学校の理事長も務められました。フランス大統領よりレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章。旭日小綬章東京都知事功労賞など多数受賞されています。フジテレビの番組『SMAPSMAP』や『料理の鉄人』毎週見ていましたよ。懐かしいですね。

ご冥福をお祈りします。

秋だからこそ信州

今年は暑さが長引きましたね。でも山には確実に秋の足音が。ご存知ですか?紅葉の南下は1日50mといわれています。

手持ちのNikonのフィルムスキャナーが古くて今使用しているパソコンに対応しておりませんので、ブログにはスマホ写真しかUPできません。💦

しかも高性能とは言えないアンドロイド。

そこで駒ケ根千畳敷カールのフリー画像を拝借。先日、千畳敷の紅葉がニュースになっておりました。

 

 

秋だからこそ信州

 「11月の連休は西穂へ行こう!」
そう言って主人が出勤したのは、10月の末の月曜日でした。  
見送るやいなや、慌ててキャンプ用品一式を車に積み込みました。我が家の旅行は、主人がいきなり決定することが多く、週末を利用する場合は殆どが金曜日の夜から車を走らせることになります。

 西穂高岳へは、ロープウェイを利用する一般向きのルートと、上高地・帝国ホテル前から西穂山荘(せいほさんそう)まで片道3時間10分の登りのルートがあります。
今回の西穂高行きは、後者のコースで雪山登山を楽しむことになりました。
ひまわり天気によると11月3日の関西は曇りのち晴れ、全国的に3連休は快晴の予報でした。
 ところが岐阜へ入ると大雨。日本海側は荒れているのか暗黒雲が広がっています。
今年の7月、北アルプスの槍ガ岳へ向かう途中、土砂崩れで走れなかった荘川村(現:市町村統合により高山市荘川町)の峠にさしかかると2~3日前の残雪のすごさに驚きました。
乗鞍スカイライン上高地へ入る安房峠(あぼうとうげ)も積雪の為通行止めになっており、急遽予定を変更して、高山経由で平湯~新穂高温泉口へまわることに。
ロープウェイ駅横の駐車場で4時間の仮眠をとり、翌朝激しい雨音で目をさますと、雨にもかかわらずバスツアーの観光客の長蛇の列が‥‥。 

 小降りになった雨の中、出発です。
ロープウェイ山上駅に着くと、下界の紅葉の風景とは異なる、真っ白い別世界が私どもを迎えてくれました。
ロープウェイを利用すると、山上駅から西穂山荘まで1時間20分の登りでアイゼン無しでも楽に山小屋まで辿り着けます。積雪は25~30cmくらい。山荘のスタッフから「天候が悪いので今日はやめたほうがいい」
と言われたのですが、夕食までには必ず戻ると告げて、山荘を後にしました。
丸山から独標(どっぴょう)まで1時間30分の登り。稜線上では谷底から吹き上げる強風に何度も身体が宙に浮き、雪煙が走ります。2~3cm先の視界もままならず、髪の毛や膝がパリパリに凍りついて帽子をかぶっていても頭が深深と冷えました。
独標で記念写真を撮り、鎖場をつたわってピラミッドピークを目指すことに。
ここから西穂岳山頂まで更にコースタイム1時間30分。岩稜を這うように、ゆっくりゆっくり歩いて行きます。鎖場で手間取り、情けない格好で岩にしがみついていた私は、とうとう主人に「ここで待っているから、頂上まで行って」と弱音を吐きました。おそらく主人の足なら50分~1時間余り。

「ここまで来たのに?」(そう言いたげな顔をしながらも)
「こんな所に2時間も座っているなんて危険だ。一緒に引き返そう」少し残念そうに言いました。
晴れていれば南には焼岳と霞沢岳、西に笠ガ岳、東には前穂高(3090m)、奥穂高岳(3190m)、西穂~奥穂へのジャンダルムやロバの耳と名付けられた岩稜の連なるパノラマが展開するはずなのに‥‥‥。
下山のフットワークは軽く、兎のようにピョンピョンと跳ねる私のうしろで主人が呪文のようにこう言いました。「○○○、雪山の西穂高未踏に終わる。〇〇〇〇年11月4日」

除雪作業をしていたスタッフが、「おつかれさま~」と笑顔で迎えてくれて、山荘ではストーブを囲んで20人余りの人が読書やおしゃべりを楽しんでいました。
 夕食の温かいお味噌汁、本当にありがたかったです。現在の西穂山荘は3年前に火事で全焼した為、新築され、吹き抜けのダイニングルームと総フローリングが自慢のペンション風山小屋になっています。
1泊2食付きで¥8500。オールシーズン営業は魅力ですね。
夏山登山ですと、この西穂山荘から独標まで行列ができるほどの賑わいをみせます。

翌朝、まだ夜の明けぬうちに三脚とカメラをを持ってもう一度、独標へと向かいました。
静寂の中に雪を踏む足音だけが響きます。東の空が朱色に染まり、西の空は笠ガ岳を包み込むように薄紫からピンク色に変わりました。御来光です!
逆光で、ダイヤモンドダストがキラキラと輝いて見えました。
リバーサルフイルムを2本撮りきって下山。昨日までの悪天候が嘘のような青空の11月5日のお昼、温泉に浸かり信州をあとにしました。
高山市内で郷土料理をいただき、御幣餅をほおばりながら、無事帰路に着いたのでした。

 

 

 学生時代、天文部に所属していた私は、天体観測で何度か信州を訪れましたが、まさか登山の為に信州へ通うようになるとは思いもしませんでした。
しんどいだけで無駄なことだと思っていた山歩きで素晴らしい発見をしたのです。
吊り橋や林道、尾根道や岩場で擦れ違う見知らぬ人が、にっこり笑って挨拶をしてくれるのです。
急なのぼり坂では「頑張って!」と声をかけてもらい、その挨拶に励まされ登頂を果たしてきたような気がします。他に交わす言葉などないけれど、みんな懐かしい旧友に出会えた時のような笑顔で声を掛け合います。その、擦れ違う瞬間が嬉しくて私はこれからも山登りを続けるでしょう。

 山はやっぱり信州、秋だからこそ信州ですね。


※ 西穂高岳の登頂は翌年の11月連休に再び挑戦。無事完登しています。

(エッセイ*HPから移転)