スマートフォン向けゲームの歴史をふり返ると、いくつかのエポックメイキングな作品があるわけだが、その中でも『チェインクロニクル』(以下、チェンクロ)は、スマートフォンRPGのフォーマットを作り上げた先駆的な作品として知られる。
後に続く『グランブルーファンタジー』や『Fate/Grand Order』(以下、FGO)などといった大ヒット作の下地を作ったタイトルであり、今日のスマートフォンゲームにおける一大ジャンルを築き上げたといっても過言ではない。
本作の凄かったところは、いまや当たり前となっているキャラクターに紐付くシナリオ構造や、章立て&イベント単位のストーリー構成など、数々の仕組みを発明した点にある。
ややもすれば無機質と言える世界観や物語が多かったそれまでのソーシャルゲーム(スマートフォンゲーム)という分野に、重厚な世界観やストーリー、魅力的なキャラクターといったものを持ち込み、それを表現するシステムを含めて定着させた最初の作品が、この『チェインクロニクル』だったのだ。
そして、その本作の凄さや面白さにいち早く共感し、自身のゲーム制作へと繋げていったのが、何を隠そう、『FGO』を世に出したクリエイター・奈須きのこ氏であった。
事実、氏はことあるごとに『チェンクロ』を参考にしたと公言しており、その大いなリスペクトの念を隠さない。
そうした背景を踏まえて、電ファミでは『チェインクロニクル』の生みの親であり、現在も総合ディレクターを務める松永純氏と、奈須きのこ氏による対談を実現。スマートフォンゲームにおけるRPGの歴史、ひいてはスマートフォンにおける「物語」の見せ方にフォーカスした取材を行ってみた。
スマートフォンというプラットフォームのうえで、どんな試行錯誤が行われて、作品が進化していったのか? 他に類を見ない『FGO』の持つ熱狂とは一体なんなのか?──そこには、『チェンクロ』が指し示した土台を引き継ぎながらも、また違った視点で「物語」を届けようとした、奈須氏の挑戦があった。
『チェンクロ』と『FGO』はどのようにスマホゲームで物語を見せたのか
──今日は、物語の「読ませ方」や「伝え方」が、時代によってどう変わってきたのか?みたいなお話ができればと思うんです。
漫画や小説のような紙媒体から、テレビや映画のような映像媒体、ゲームでいえば、RPGやADVなど、物語はさまざまな形で作られて提供されてきましたが、それが現代のネット時代、ひいてはスマートフォン全盛時代においてどう変わってきたのか?
『チェインクロニクル』(以下、『チェンクロ』)や『Fate/Grand Order』(以下、『FGO』)は、実は「物語メディア」としての最先端のフォーマットじゃないかという思いがあって。それで今日の対談をお願いしたんです。
奈須氏:
『物語の提供形式』についての対談だったのですね。それはたいへん光栄です。よろしくお願いします。
──まず、両タイトルの簡単に流れや立ち位置を説明しますと、2013年に『チェンクロ』がスマホゲームでストーリーを主軸にして成功を収め、それに衝撃を受けた奈須さんが『FGO』の制作に乗り出したという経緯があります。まずはおふたりに、お互いのタイトルについてどうお考えなのかをお聞きできればと思います。
奈須氏:
分かりました。松永さんの前でお恥ずかしいですが(笑)。
松永氏:
いえ、こちらこそ本当に恐縮です(笑)。そもそも『Fate』シリーズはスマホゲームになる前からすごく好きな作品でしたし。
僕としては『FGO』の素晴らしいことのひとつに、なんというか、「ライブ感」に満ちている点があるかと思っています。『FGO』には「アニメの最新話を皆で同時に観て盛り上がる」というのに近い感覚が強くあるなと。奈須さんの描く物語が圧倒的に面白いからというのはもちろんですが、節目節目を盛り上げて、配信のタイミングにその盛り上がりのピークを持ってくるような仕掛けを、徹底してやってらっしゃるからだと思います。メディアの壁も越えて多方面で展開されていますが、常にそこの意識が感じられるのが本当にすごいなと。
『チェンクロ』は、「だれでもいつでも同じ体験ができる」というところを重視していました。「だれもが楽しめる王道RPG」になれればと思っていたのですが、物語を運営するという部分で、そこのスタンスが違う部分もあるのかなと思います。
奈須氏:
そうですね。スタッフ全員、それは常に意識していると思います。いつはじめてもいいけど、『その週の思い出』にいちばん寄り添えるのがスマホゲームの良さなのかな、と。
松永氏:
『チェンクロ』も最新話を配信したりするわけですが、遊んだ人がファミコンの新作RPGを遊んだみたいに、「あれ面白かったよ」「じゃあ俺も時間できたらやってみようかな」みたいな感覚で付き合ってもらうようなイメージをしています。
──松永さんの中では、やはりコンシューマRPGが根っこにあるんですね。
松永氏:
はい。最初は「古き良きコンシューマRPGの新しい形」をイメージして作っていましたね。
奈須氏:
僕たちも、「やっぱり最終的にはコンシューマRPGに行きたいよね」と思いました。実際、『FGO』で自分も「1部終わったらいつでもプレイできるように、パッケージ化してアーカイブにしたい」と思っていたんですけど……。
パッケージ化するうえで、メインストーリーと期間限定イベントの時系列は並べられるけれど、ゲームデザインそのものがスマホゲームである事を前提にしたものなので、システムから見直さないといけなくなって……これはとても今できる事ではない、と断念しました。
『チェンクロ』には、RPGに欲しいものが全部詰まっていた
──奈須さんが『FGO』を立ち上げるきっかけとなった『チェンクロ』ですが、当時触ったときはどういう印象だったんでしょうか。
奈須氏:
『チェンクロ』が登場する前は、スマートフォンのゲームと言えばまだ「ポチポチやるだけのゲーム」というイメージが強かったです。
自分は「ゲームは遊びだけど遊びじゃねえんだ」みたいな矛盾した言葉を言うタイプの、昔ながらのゲームマニア信仰があったんですね。お手軽なゲームに対して忌避感があった。ゲームって土日の休みに、ひとりで、誰にも邪魔されないようにどっぷりつかって『ひとつの世界』に埋没する贅沢な遊びであるべきだ、という。
松永氏:
わかります。
奈須氏:
2010年ごろ、はっきりと公言していた人はあまりいないと思うんですけど、「スマホの普及によってPC文化は終わるかもしれない」という危惧はありました。その時のために、そろそろアプリを開発しないとゲーム会社としては難しくなるだろう、と。でもその時の自分はまだ意固地で、「やりたくはないものはやりたくない」というスタンスでした。
そんなときに、相方の武内(崇氏)【※】が「奈須でも、これだったら面白いと思うんじゃないですか?」と言って『チェインクロニクル』を紹介してくれたんです。
※武内 崇
有限会社ノーツ代表取締役、およびTYPE-MOON代表。奈須きのこ氏とともにTYPE-MOONを立ち上げ、『Fate/stay night』『月姫』など初期作品の原画・彩色を手がける。
松永氏:
そうだったんですか!めっちゃ光栄です。
奈須氏:
僕は頑なにスマホを持とうとしていなかったんですが、そのとき初めてスマホをゲーム用として買い与えられて。
軽い気持ちで『チェンクロ』をやり始めたんですけど、忌憚なく言えば「自分が好きなメガドライブのゲームの匂いがする」って思いました。
松永氏:
古き良きRPGを目指していたので、そういうふうに言っていただけるのは嬉しいです(笑)。
奈須氏:
『チェンクロ』はスマホという小さい端末向けにダウンサイジングしたRPGなんですけど、そこには「RPGに欲しいもの」が全部詰まっていたんです。テーマの導入からゲームが始まって、世界観を説明しながらまずはこのパーティーで戦って、という流れを体験したら「あっ、由緒正しい王道のRPGだ。楽しい!」と嬉しくなっちゃって。
そこから1年間近く、毎日プレイしていました。デイリークエストも「そうか、日課は毎日触れることに意味を持たせているのか。朝起きて新聞を読むくらいの“日常”になれるのがスマホのゲームなんだ」と。あと一番の驚きは、このゲーム(チェンクロ)を日課にしていたら、毎日にメリハリがついたことですね。
会社に行くまでの通勤時間でやれるし、帰ったら残りを進めたり、今日はストーリーを3組分進めようだとか。これって、コンシューマにはない「自分の生活に寄り添ってる」ゲームなんですけど、それがRPGでできるとこんなに楽しいものなのかと。そういうことを教わりました。大先生です。
松永氏:
奈須さんが最初におっしゃったように、当時のスマホゲームが昔ながらのゲームじゃないという感覚は僕にもありました。「スマホゲームは暇つぶし」みたいな言われ方がされてて、すごく嫌だったんです。ポケットから取り出して軽く遊べるのは利点だけど、だからって暇つぶしじゃないだろうと。
「だから手軽に遊べたうえで、ユーザーの思い出に残るものを作らないと意味がない」みたいな考えがありました。いま奈須さんに、当時の思いをまさしくそのままに言っていただけたので、すごく嬉しいです。
スマホ以前から、PCのMMORPGなんかでも「毎日ログインする」ような感覚はあったと思います。でもあれって、究極的にはユーザー同士のコミュニケーションツールじゃないですか。そうではなくて、その日課感を「運営する側から作品を届ける装置」として使いたいという気持ちがありました。
奈須氏:
そうですね。自分はMMOが流行っていた2000年代のころはゲーム開発が忙しくて、プレイする機会がなかったんです。『FF11』も『ラグナロクオンライン』も、知り合いの作家がやってるのを横目で見ながら「いつか自分もプレイするぞ……」と羨望の眼差しで見ていましたが、結局やれずじまいで。
だから、あのころのみんなで集まって、チャット代わりにゲームをするという「MMO文化の楽しさ」をあまり知らない。なので奈須きのこはネットワークを介するゲームに対する偏見があったんですね。
それでいま松永さんがおっしゃられた通り、スマホになって、「積極的に関わる必要はないけど繋がっているよ」という良いバランスの距離感が生まれて、それがRPGを完成させる。
『チェンクロ』ではこの可能性がはっきりと示されていたので、『FGO』ではこのフォーマットで自分たちのマックスを出せばいいんだ、という気持ちで制作しました。
そういった意味では本当にやりやすかったというか、松永さんには本当に、先にレールを引いてもらっていたのです。ありがとうございます。
松永氏:
恐縮です。でも自分なりに「新しい形が作れたな」と思っていたので、本当におこがましいですけど、こういうゲームが『チェンクロ』だけじゃなくて、もっとたくさんあってほしいと思っていました。
漫画や小説、映画とかでもそうですけど、物語って、面白いものがたくさん並んでいるから素晴らしいじゃないですか。
奈須氏:
そうですね。おいしいものが沢山あるから毎日が楽しくなるし、まわりまわって、自分の好みも分かってくる。
松永氏:
やっぱり、ユーザーにとって「選ぶのが楽しい」という状態は大事というか。
だから、自分も好きだった作品に、同じレールに乗ってもらえたというのが、すごく光栄だし嬉しいです。
RPGの醍醐味は、大きな物語のなかで戦闘を擬似的に楽しむこと
奈須氏:
あのころ、セガさんって『チェンクロ』成功の後に、似たようなアプリの開発ラインが複数できませんでしたか?
松永氏:
はい、できました。
奈須氏:
『チェンクロ』が2部に入ったばっかりなのに、新しい形式のものがばんばん出てきて、それはそれで先ほどいった多様性の提供で大アリなんだけど、『チェンクロ』ユーザーとしては「そのリソースをもっと『チェンクロ』に……」と思ったりもしました。
松永氏:
そうですね。僕は関わっていなかったですが、社内で「『チェンクロ』のエンジンをうまく使おう」みたいな流れがありました。弊社、すぐ新しいことやろうとする性があるんですよね……(笑)。
あのころは他社さんからも、同じフォーマットで本当にいろいろなジャンルの作品が出ていて、個人的にその状況は嬉しかったですが。
でもその群雄割拠を『FGO』が吹き飛ばしましたよね。『チェンクロ』がやろうとしていたことって、メインストーリーを作ったり、キャラクターが仲間になる部分でガチャを活用して、スマホで新しいRPGのフォーマットを作る、ということでした。
そのうえで奈須さんたちが『FGO』で作られたのはその進化形というか、ユーザー全員が一緒になって、1個のコンテンツを共有しながらライブ感を楽しむという状況だったと思います。そのようなソーシャルコミュニケーションを越えた新しい盛り上がりみたいなものを作り上げられたのが、本当にすごいなと思っています。
奈須氏:
そうですね。ライターチーム含むうちのスタッフも、ディライトワークスさんのスタッフも、本当に毎日、熱心に開発を続けてくれています。
とはいえ、『FGO』は『Fate』という2000年から積み上げてきた財産があったから、あんなことができたと思うんです。ある程度ユーザーを信頼したうえでの旗振りでした。
でも、新規タイトルというのはユーザーの信頼をまず勝ち取ってから勝負しないといけないですから、そんな冒険は許されない。『自分たちの作品に興味のない人にどうやって楽しんでもらうか』という試みは、あらゆる創作において最も高いハードルですから。
その点においても『チェンクロ』は志が高かった。ユーザーに『面倒くさいことはさせない』というプレイ感覚が『まず手に取ってもらうための条件』だったころに、それに真っ向から立ち向かっていた。それにとても勇気づけられました。
……とはいえ。『チェンクロ』も最初のころ、「テキストはあまり長引かせない」というそれまでのスマホゲーム特有の縛りがありましたけど……。
松永氏:
ありました、ありました(笑)。最初のころは、テキストの量は苦戦しましたね。
奈須氏:
ですよね……。話が始まったと思ったらバトルが入って……というのが続いていて。「こんなに立派な舞台が用意されているのにもったいない、もっとストーリーに寄っても、ここまでプレイしてくれているユーザーなら読み込んでくれるのでは?」と思っていました。
でも、当時はそれが相当難しかった。『FGO』の企画段階のときに「バトルなしでストーリーだけで進むクエストがあってもいいじゃない」と言ったら「それは絶対にNG」と運営サイドにお願いされました。とはいえ、それなら自分が『FGO』に関わる理由はない。シナリオライターをプロジェクトのトップにした意味がない。バトルシステム班に任せて、自分たちはサーヴァントの設定とデザイン、セリフとボイスを作ればいいだけになりますから。
なので、開発当時の落としどころとして、「シナリオの分量が1KBだろうと5KBだろうと、そのブロックが終わったら必ず戦闘を入れる」という方針で『FGO』を始めました。
サービス開始から一年後、ユーザーさんからも「別に必ず戦闘がなくてもいい」という声も増えて、無理にバトルを挟まなくてもよくなりました。
松永氏:
たしか、『FGO』の1.5部ぐらいからですよね。
奈須氏:
そうですね、1部終了時から、「RPGしているならシナリオだけの節があってもいいよね」と。RPGの楽しみって、疑似戦闘でドラマを楽しむことじゃないですか。育てたユニットでバトルしていくのも楽しいけど、同じくらい『シチュエーションの妙』……ロールプレイに楽しみがある。
松永氏:
そうですね、はい。
奈須氏:
いまは3Dも多いからそうでもないとは思うんですけど、当時はRPGが「一番安価にドラマを作れるジャンル」だと思っていたんです。
大きな物語の骨組みの中で、戦闘を擬似的に楽しむ。要するにごっこ遊び=ロールプレイングですよね。「こういう状況でこういう役になりきって、こういう局面を乗り越えるんだ」というインタラクティブな興奮は、ゲームでしか味わえない。
漫画も小説も、つまるところ読者は『作家が用意した世界を楽しむ観測者』になりますが、『作家が書いた絵図を自分で動かして乗り越える』というのは、ゲームだけの物語体験だと思います。
その物語体験は『チェンクロ』できちんとで提供してもらってるんだから、『FGO』では1部の5章からフォーマット的に戦闘を入れるんじゃなくて、「ピンポイントでバトルを用意して、大きな物語の結節点としてドラマチックに見せていこう」という方向に舵を取りました。
「部屋の中でならともかく、移動中に5KB以上のテキストを読まされても困るのでは?」という恐れはあったんですけど、ユーザーのみなさんはあんまり困らず、それぞれのプレイスタイルで適応してくれました。……そうですね。この結果が、『FGO』でいちばん嬉しかった事かもしれません。
それで、1部5章あたりから「過去の成功例的なフォーマットはもう忘れて、やりたいことをやろう」という方向に向かっていきました。幸運なことにそのやりかたがヒットしてくれて、『FGO』は今の形に落ち着いたんだと思います。
松永氏:
『チェンクロ』も2部ぐらいから文章の量を増やしていって、という点では同じ流れでしたね。うちでも、ユーザーのみなさんは付き合ってくれて、物語で表現できることがぐっと広がりました。
奈須氏:
ですよね。ライターとして嬉しいです。……とはいえ、ユーザーさんのプレイスタイルは十人十色なので、別にシナリオに関係なくプレイしてくれるユーザーさんもいる。
『シナリオ』『キャラクター』『バトル』、それぞれは独立したもので、全部好き、というユーザーさんもいれば、ひとつだけ好き、というユーザーさんもいるでしょうし。
松永氏:
そうですね。とはいえ、うちはバトルに関しては今も「シナリオ的にちょっと無理があっても入れる」というふうにしています。やはり、ストーリー以外の部分がRPGとしての体験を補完する力は捨てがたいです。
だから、『FGO』ほど思い切ったやり方は「奈須さんだからこそできた」ことなのかなと思います。そういう意味で、僕が『FGO』を初めてプレイしたときにぶっとんだのが、「プロローグからめっちゃ読ませるな!」というところですね。
もちろん長さだけじゃなくて、その内容に痺れました。というのも、スマホRPGには「基本プロローグパターン」というのがあると思っていて。
どういうものかというと、突然クライマックスからシーンが始まって、主人公が最強の英雄たちと一緒にいて、魔王と決戦するんです。で、バーン!って最強技が飛びかったら、そこで光に包まれて、全てが無かったことになって、主人公が「俺はいったい…」と言ってレベル1から始まるというものですね。
ちょっと揶揄したような言い方になっちゃいましたが、でもこれってスマホゲームでユーザーさんの心を最初に掴むための、すごく大事な文法が詰まってるんです。
スマホゲームは初期離脱を恐れます。だからいきなりテンションを上げつつ、魅力的なキャラクターを全員見せて、派手で気持ちいいバトルを体験させて、でもそのキャラは売り物だからいったん取り上げて、そのうえで新しい冒険のワクワクを描く……というふうに必要なものを全部盛り込んでいくと、自然とそのパターンになるんだろうな、というのがあります。
奈須氏:
たしかに(笑)。
松永氏:
だからいつも「すっごいかわいい子いるけど、どうせこのあと離ればなれになるんでしょ…」とか思いながらやっていました(笑)。だから、純粋に物語として全力で振り切られた、『FGO』のあのプロローグには痺れたんです。
スマホゲーム運営が取りうる最良の手段は、ゴールまで走り続けること
──サービス開始時までの『FGO』はどのように作られていたんでしょうか。
奈須氏:
プロローグをまず自分が書いて、1章から4章はライターチームに任せていました。そのほか自分は全体監修や全体フレーバーテキスト作成、あとはサービス開始から半年まではメイン章担当のライターさんには余裕がないだろうと考慮してイベントシナリオの作成も、といった体制で進めていました。
プロローグ(序章)はライターチームに『FGO』におけるテキストのラインを示すために制作したものです。実はあれ、最初はずっとテキストだけを読んでいる状態だったんですが、先ほどの話にあった通り、「それだとまずい」ということで、尺を調整してシナリオをバラバラにして、バトルを挟めるようにして、現行のものにしてあります。
それでも「長いのでは」と危惧されましたが、TYPE-MOONが作る以上、「シナリオ読みに慣れたユーザーがプレイするものだ、これぐらいは読ませないと絶対にまずい」と考えました。「もう少しビジュアルノベル感を出すべきか、いやでもこれはRPGだから……」ということで、今のバージョンに落ち着いたんですけどね。
松永氏:
そうなんですね。実際、ノベル感もRPG感も感じられる絶妙なバランスだったと思います。
奈須氏:
『FGO』がサービス開始したとき、1部終章の構成をきっていたのですが、ゲームが軌道にのったので『1部の後』も用意してほしい、と正式に打診がありました。
そのときにちょうど『チェンクロ』で2部が始まって。1部で大きな物語が一度終わっているので「いやまあ、続くのは嬉しいけど、どう続けるんだろう?」と思ったら、大陸を離れて大海原に出るじゃないですか。あれが本当に素晴らしくって。
単なるシステムの延長じゃないし、世界も広がったし、今まであえて触れなかった海の話も出てきて「すごい、本当に新しい物語が始まった!」って思いました。
しかも、新しい世界を提示したあとに、さらに新しいいくつもの大陸があるんだよって知らされるじゃないですか。1部が終わったあとの2部というのは、これぐらい新しいことをして、ガラリと変えなくちゃいけないんだと。それがすごく印象に残っています。
松永氏:
ありがとうございます。あれもコンシューマRPGの『2』をイメージとして目指していました。大きな節目は、あらためてタイトルの特色が出ますね。
『FGO』でも、1部から2部の間に準備期間があったじゃないですか。あの期間の仕掛けはすごくドキドキしました。運営と一体になるライブ感を本当にうまく活用していて、その間の期間でさえユーザーさんの期待をしっかりと盛り上げてから2部を始めていて、本当にすごいなと思いました。
奈須氏:
ありがとうございます。2部で世界観や美術を一新するので、その土台を作るための制作期間として1.5部を作ろう、という理由もあったのですが、なにより次の新しい展開に向けて、ユーザーさんの『FGOはこういうゲーム』という固定観念を壊しておこう、という意図がありました。この先、いろんな価値観がやってくるよ、と。
──奈須さんの『チェンクロ』に関する話を聞いていると、業界人としての分析的な視点もある一方で、もうちょっと手前のプレイヤーとしての感情も捉えている印象を受けました。その感情も、しっかりと『FGO』に盛り込んでいる感じがあります。
奈須氏:
たしかにそうですね。やっぱり根っこはゲーマーなので、面白いゲームを遊んだら影響を受けるし、「そこまでやるならこっちもやってやろう」みたいなキャッチボールもしたくなります。
でも『FGO』を作る前に遊んだスマホゲームって、『チェンクロ』とあとひとつぐらいでしたから、そこは本当に幸運でしたね(笑)。
松永氏:
スマホゲームだからこそ、やっぱり直感的に「楽しいな」と思える体験を活かすのは本当に大事ですよね。
奈須氏:
「生活に寄り添って、RPG+ストーリーを提供できる」というものが、スマホゲームという場所で実現されていたわけです。まさに自分が学生のころに夢見ていた形式じゃないか、と。
──『週刊少年ジャンプ』をみんなでワクワクしながら読んでいたあの感覚を、どうやったら再現できるか?というのは、以前から話されてましたよね。
奈須氏:
でも、実際やる側になると血を吐きながら走り続けるマラソンみたいで、大変なんですけどね(笑)。大きく動いた車輪って、たとえブレーキが「止まれ!止まれ!」って言っても止まらないじゃないですか。
なので、「どうやって終わらせるか」が大事なんだと、最近は痛感しています。たいていは「最後まで走りきる」か「空中分解する」かという結末を迎えるんですけど、空中分解はユーザーへの裏切りになってしまうので、できれば避けたい。
松永氏:
そうですね。
奈須氏:
スマホゲーム運営が取りうる最良の手段は、この巨大機構を「ゴールまで走らせる」ことだと思うんです。そうは言っても、実際はそれをやりきるには制作の努力だけでなく、ユーザー数、ビジネスモデルの成否、といった問題もあるので、個人の力ではどうしようもないのですが。
松永氏:
いやー、本当に血のマラソンですよね(笑)。最悪の場合、空中分解しても漫画とかなら「残念な結末だったけど、仕方ない」って思われる場合もあるんじゃないかと思うんですけど、運営型のゲームって、ユーザーさんがもう膨大な資産を注ぎ込んでしまっていますからね……。
なにしろ、「キャラクターを育てる」という過程のすべてが注ぎ込まれていますからね。やっぱり、「キャラクターを育てる」ってすごく大事なことだと思うんですよ。
奈須氏:
大切です!
松永氏:
それって、「キャラクターが自分のものになる」という何よりの証ですし、それが空中分解してしまったらやっぱり悲しいし、許せないですよね。それを知ってるから、止まれない。
奈須氏:
いずれ終わりが来るとはわかっているけど、もしそれが「美しい終わり」だったら、納得がいくかもしれない。冷静になってみれば、現実でも永遠に残るものはない。最後に手元に残るものは、それまでの思い出だけですので。
松永氏:
そうですね。
奈須氏:
「俺がルーラーをすり抜けで限凸するまでにかかったこの○万は、いい思い出になるだろう。チクショウ、なれ!」みたいな(笑)。面白かったところ、面白くなかったところ、そのふたつは必ず存在するんだけど、最後の思い出の総括が『でも、とても楽しかった』で終わってくれれば、もう何も言うことはありません。
松永氏:
本当にそうです。