朝、目が覚めると肋骨が痛かった。九州地方で活躍するタレント・えみりィーさんに血液のがんが見つかったのはそれから3か月後のことでした。診断結果を受けて夫婦で車に戻った瞬間に夫は── 。(全3回中の1回)

【写真】がん治療のため無菌室で孤独な1か月を過ごした当時のえみりィーさん ほか(全11枚)

肋骨の痛みにはじめは「寝違えたのかな」と思った

── 子育てしながら、熊本と福岡を中心にテレビの情報・バラエティ番組や、ラジオパーソナリティ、地元の雑誌・CMでのモデルなどとして活躍するえみりィーさん。2019年に病気を経験しましたが、ご自身の体調の変化に気づいたのは、何がきっかけですか?

えみりィーさん:ある日、朝起きると肋骨が痛かったんです。重いものを持とうと力を入れたり、咳をするとズキッと鋭い痛みが何度も走りました。寝違えたのかな、と思って整形外科に行ったら、肋骨が折れていました。私は出身地が海のそばで、毎日魚を食べて育ったので骨には自信があったし、骨折したことがなかったので驚きました。でも、3人出産して骨がもろくなったのかもしれない、とくにいちばん下の子がまだ2歳で、ソファーの上からポンと飛んでくるのを受けとめたりするので、そのときに折れたのかもしれない、と思いました。

がん治療のため無菌室で孤独な1か月を過ごした当時のえみりィーさん

── それまで、健康診断などで指摘を受けたことは?

えみりィーさん:私はフリーのタレントなので自分で健康診断を受けるのですが、健康にいろいろと問題が起こるのは40歳以上のイメージがあって、それまではほとんど受けていませんでした。この肋骨骨折で病院に行ったのは39歳のときのこと。子どもは中2、年長、2歳。健康診断を受けようと考えていた年齢である40歳目前のできごとでした。

── 30代だとまだまだ若くて大きな病気とは無縁なイメージがありますよね。肋骨の骨折は、その後どのような経過をたどりましたか?

えみりィーさん:医師からは2、3週間で痛みがやわらぐと言われましたが、まったく治らず、逆に痛みが増していくばかり。コルセットを巻き、痛み止めを飲んで仕事をしていました。やがて、肋骨をかばうために腰を痛め、最終的には反対側の肋骨まで、洗濯物を干すときに折れてしまったんです。整形外科で「短期間であちこち折れるのはおかしいので、総合病院で診てもらいましょう」と言われて検査を受け、そこからさらに大きな病院で精密検査を受けることになりました。

── その状態での仕事はつらいですね。最初の骨折から精密検査までは、どのくらいの期間がかかりましたか?

えみりィーさん:3か月くらいです。大きな病院への紹介状の宛先が「血液腫瘍内科」だったので、「整形外科から、どうして血液腫瘍内科へ?」と不思議に思いました。医師からも「次は、家族と一緒に受診してください」と告げられ、いつもと違う空気を感じました。

「肥後もっこす」な夫が診断結果を伝えられて

── 精密検査を前に、もしかすると深刻な病気かもと感じていたのでしょうか?

えみりィーさん:「血液腫瘍内科」「骨折」などをネット検索するといろんな病名が出てくるし、もしかすると深刻なのかもと思いつつ、心のどこかでは「まさか」と考えていました。骨粗しょう症くらいだろうと思っていたんですよね。肋骨骨折が血液のがんにつながるなんて1ミリも考えなかったし、「多発性骨髄腫」と診断を受けても、初めて聞く病名なので、はてなマークだらけでした。でも病名に「がん」とついているだけで、ものすごい病気をしてしまったんだって…。

1か月間入院して末梢血管細胞自家移植を行った

── 想像しなかった診断にショックを受けたんですね。おひとりで話を聞かれたんですか?

えみりィーさん:夫が一緒でした。午前中に先生から病名を聞いて、午後からまた骨髄の液をとる検査をするので、いったん夫婦で車に戻ると、夫が「わーっ」て声を出して泣き出したんです。そんな姿、いままで見たことがなかったので、ただごとではないと感じました。じつは、夫は中3のときにお母さんをがんで亡くしているんですよ。当時、夫の妹はまだ小2でした。だから、うちの子たちと重なる部分もあり、がんだと言われて「また同じ思いをするのか」と…。もともと、夫はすごい「肥後もっこす(熊本の方言で、まっすぐで頑固者)」で、人前で泣くなんてありえないタイプ。そんな夫がこんなに泣くなんて、私がもっとしっかりしなきゃ、元気でいなきゃと強く思いました。

2人で声を出して泣いた後は少し冷静になり、これからのことを考えられるようになりました。すぐに治療に専念するのか、セカンドオピニオンをお願いするのか、子どもたちに話すのかを車の中で話し合いました。

── 大きなショックがあるなか、夫婦で今後の話し合いができたんですね。

えみりィーさん:午後の検査を受けて、病名がさらに確実なものになりました。夫はお母さんの病気の件もあり、医療をあまり信じていなかったんです。でも、私の主治医が目をしっかり見て「まかせてください」とおっしゃる様子に、「あの先生ならまかせられる気がする」と言いました。だから、セカンドオピニオンは受けずに、早く治療を開始しようとそこでお願いしました。

無菌室での孤独な1か月

── 信頼できる主治医にめぐりあえてよかったですね。治療はどのように進みましたか?

えみりィーさん:最初は定期的に通院し、血液の数値が安定してから、自分の末梢血管細胞をとって、がんを全部死滅させた後に健康な細胞を身体に戻す「自家移植」を行いました。この自家移植は、1か月間、入院して無菌室で行われました。無菌室ではベッドと室内のトイレを往復するくらいしかできず、その間は誰とも会話せず、家族にも会えなくて孤独でした。楽しみは体調のいいときに家族テレビ電話をすること。大量の抗がん剤を使ったので副作用が出て、脱毛や食欲不振も起きました。免疫力が低下するので、生ものが食べられないなど、食事制限もありましたね。

いろんな人がくれた「がん切りお守り」

── 副作用は苦しいと聞きます。家族テレビ電話以外は、どのようなことを?

えみりィーさん:ブログを書いたり、いろんな方からのコメントに返事をしました。私が入院したころは病院にまだWi-Fiがついていなかったので、ポケットWi-Fiを持ち込んで映画を観ました。食欲が戻るかもしれないと考え、大食いYouTuberの動画も見ましたね。お腹は空いても、実際に食べ物を前に匂いをかぐと、ムカムカして食べられない状態でした。それでも、私の場合はまだ副作用がマシなほうだと思います。口内炎ができて、水すら飲めない人もいるようで、私はまだなんとか食べることはできましたから。

── 無菌室にいる間、気持ちはどのように変化しましたか?

えみりィーさん:自分が出演していたテレビ番組を見ながら、自分がいなくても問題なく進んでいる様子に、「私が戻る場所はあるのだろうか」とマイナスに考えてしまうことがありました。社会に取り残されているような気がして不安になり、友だちによく電話やLINEをしていました。

髪が抜けたのがいちばんつらかったですね。でも、がんサバイバーの人たちに教えてもらったウィッグのウェブサイトを見て、退院したらどんなウィッグにしようかなとネットショッピングするのを、自分の楽しみにしていました。

── 退院が近づいたときは、「ようやく孤独からも開放される」という気持ちで、さぞうれしかったでしょうね。

えみりィーさん: それが自家移植後、血小板の数値が上がらなくて、予断を許さない状態でした。「ここまでいけば退院できる」という数値があったのですが、2回輸血をしても上がらず。「まだですか?」と不安になりましたが、5回の輸血でようやく数値が上がり、退院が見えてきました。血小板の数値が戻らないと出血しやすくなり、とくに髪がない状態で頭を打つと脳内出血の可能性があるので、血小板数値はちゃんと上げなければならなかったんです。それでも、1か月で退院できたので順調なほうだと思います。

── 自家移植後の経過はいかがですか?

えみりィーさん:最近まで、月1回通院して6時間くらいかけて抗がん剤を点滴していました。その日は点滴しながらごはんを食べるなど、丸一日つぶれます。でも、いまは     医学の進歩に月1回注射1本で、同じ治療効果を得られるようになりました。注入量が多く、5分かけてお腹に打ちます。ただ、仕事の調整もしやすくだいぶ助かっています。

── 2020年1月に自家移植を行ってから、5年近くたちます。いまも抗がん剤治療が続いているのですね。

えみりィーさん:現在の医療では完治しない病気なので、抗がん剤の投与は継続する必要があります。でも、担当医が「このがんは、とても注目されていて、技術的にも進歩がありえるものだから、いずれは完治する病気になると思う。それまでがんばりましょう」と言ってくださいました。実際に、点滴から注射になりましたし、この取材の前に抗がん剤注射を打ってきましたが、こうしてふだん通り元気に過ごせています。

テレビに出ている私をご覧になっている視聴者は、私が完治したと思ってらっしゃるでしょうね。「5年も経ったから大丈夫なんでしょう?」「大変だったね、きつかったね」と言われるので、「まだ抗がん剤は続けています」と答えると、「そんな感じには見えない」「以前とまったく変わらない」と皆さん言ってくださいます。治療しながらの仕事は難しいと考える方もいるかもしれませんが、抗がん剤を打ちながらも、しっかり仕事を続けられることをお伝えしていこうと思います。

えみりィーさんの退院を後押ししたのは、夫と当時まだ幼かった3人の子どもたち。がんを打ち明けると幼いながらに自分なりの考えを持ち、母を力強くサポートしたこともえみりィーさんにとっては救いになったようです。

PROFILE えみりィーさん

熊本県・福岡県を中心に活躍するタレントで、3人の子どもを育てるママ。2019年6月に「多発性骨髄腫(血液のがん)」と診断を受け、翌年1月に自家末梢血幹細胞移植。出身地・芦北町の「あしきた親善大使」としても活動中。

取材・文/岡本聡子 写真提供/えみりィー