東京大学は2月2日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のモデル動物を用いた研究で、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のウイルス量にかかわらず、感染後数日で広範囲にわたって、鼻の奥にある匂いを感知する部位である「嗅上皮」が脱落することを明らかにしたと発表した。また、大部分の嗅上皮は感染後21日で正常厚になることも見出したが、正常厚に戻らない場合があることも発表された。

同成果は、東大医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科の浦田真次届出研究員(米・テキサス大学医学部ガルベストン校 耳鼻咽喉科 博士研究員兼任)、同・岸本めぐみ届出研究員(テキサス大医学部ガルベストン校 病理学 リサーチアソシエイト兼任)、東大大学院 院医学系研究科 外科学専攻 耳鼻咽喉科学・頭頸部外科学の山岨達也教授(東大医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 科長兼任)、テキサス大医学部ガルベストン校病理学のPaessler Slobodan教授、同ガルベストン校 耳鼻咽喉科の牧嶋知子准教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、神経科学を扱った学術誌「ACS chemical neuroscience」にオンライン掲載された。

新型コロナウイルス感染症の初期症状のひとつとして、嗅覚障害は早い段階から知られていた。しかし、今ではそれが長引くこと(慢性症状)や合併症が出ることも報告されている。最近の研究によれば、発症後約2か月が経過してPCR検査で陰性となった人のうち、18~45%において何らかの嗅覚障害が残存していることが明らかになったという。

そもそもヒトが匂いを感じる仕組みは、鼻の奥にある嗅上皮の「嗅神経細胞」にある。同細胞には、匂い物質を受け取るタンパク質である「嗅覚受容体」が存在しており、そこに匂い物質が結合すると、嗅神経細胞を介して脳に信号が伝わるのである。嗅覚はほかの五感と比べてやや特殊で、脳への刺激がダイレクトと表現していい一面がある。そのため、ヒトは匂いを感じると同時に、ほかの五感以上に記憶や情動などの脳機能にも影響するのである。

嗅上皮は外界と接していることから(空気に触れていることから)、それだけウイルスに感染するといった障害を受ける確率も高い。そこで常にアポトーシス(プログラムされた細胞死)と再生を繰り返しながら、その機能を維持する仕組みを有している。

これまでの研究から、一般的なウイルス感染によって傷害を受けた場合、嗅上皮は一度剥がれ落ちて薄くなるが、再生することで正常な厚さを取り戻すことが知られていた。しかし重度な傷害を受けた場合はその限りではなく、嗅上皮に障害が残ってしまうことがあることもわかっている。

新型コロナウイルスに感染した場合も同様で、嗅上皮が脱落することは確認済みだ。しかし、これまで嗅上皮の厚さが正常化するのかどうかまでは不明だった。嗅覚障害が完治するのか、また嗅覚障害以外の合併症を引き起こし得るのかなどもわかっておらず、それらを明らかにすることも喫緊の課題となっている。

こうした課題を明らかにするには、動物モデルが重要だ。新型コロナウイルスはヒト以外の動物にも種を超えて感染することが確認されており、一見すると動物モデルを作りやすく見える。しかし、実験動物として一般的なマウスでは、ウイルス感染への抵抗性があり、野性型マウスに至っては感染しないことが明らかとなっている。

そこで現在では、新型コロナウイルスが細胞の表面に存在する受容体タンパク質「ACE2」を介して感染する(細胞内に侵入する)ことから、ACE2遺伝子を改変した動物を用いての研究が行われている。しかし、それらの遺伝子改変モデルマウスでは新型コロナウイルスに感染して数日後に死に至ってしまうという問題があった。そのため、ヒトの臨床症状との相同性がより高い「COVID-19モデル動物」の確立が求められていたのである。

それを受けて国際共同研究チームは今回、ハムスターを用いた新型コロナウイルス感染症と酷似したCOVID-19動物モデルの確立に成功。なお、このモデルのハムスターたちは感染しても発熱症状などは見られないという。

同モデルを用いて、さまざまなウイルス量での感染実験が実施された。するとウイルス量にかかわらず、感染が成立して早い段階で嗅上皮が脱落することが判明。また嗅上皮の大部分は感染後21日で正常厚に戻ったが、一部の嗅上皮では傷害が残っていることも確認された。さらに感染後の嗅上皮は、部位によって障害の程度や再生速度が異なっていることも明らかになったという。

  • 新型コロナウイルス感染症

    新型コロナウイルス感染後の嗅上皮障害の模式図と嗅上皮の厚さの変化をまとめたグラフ。実験では、感染後3日で鼻腔内のほぼ全域において嗅上皮脱落が認められたという。そして感染から21日で鼻中隔、内側鼻甲介での嗅上皮は正常厚に戻ったことが確認された。ただし、背側鼻甲介、外側鼻甲介の嗅上皮には傷害が残っていたという (出所:東大プレスリリースPDF)

今回ハムスターで開発されたモデルは発熱症状もなく、COVID-19モデル動物として有用だとする一方で、ヒトでの症状である嗅覚障害を呈しているかどうかについては今回は調べられていないため、さらに改良すべき点もあるとしている。さらに、感染後21日に正常厚となった嗅上皮の形態や機能が正常化しているのか、正常厚に戻らない部位での傷害が永続的なものかといったこともより詳細に調べる必要があるとしている。

また今回作り出されたCOVID-19モデル動物は、嗅上皮だけでなく、全身の臓器において起こっている変化を解析することも可能だ。このことから、新型コロナウイルスへの感染による嗅覚障害の病態解明だけでなく、治療シーズの開発を加速させることも期待されるとしている。