博物館を訪れると、絶滅した恐竜や哺乳類、魚類など大昔の生き物の化石を間近で見られる。これらの化石標本に「複製」や「レプリカ」といった説明が付いているのに気付いたことはないだろうか。そう、展示されているのは必ずしも実物の化石とは限らない。腕利きの職人が本物と見分けがつかないほど精巧に作ったレプリカ(複製品)だ。中には、50年以上の歳月をレプリカ作りに注いできた〝レジェンド職人〟がいる。その職人が今年3月、引退した。
円尾博美さん(90)。本業は彫刻家で、主に国立科学博物館の研究者から依頼を受けて標本のレプリカを作ってきた。訪れた人の視線を釘付けにする迫力のある首長竜「フタバスズキリュウ」の全身骨格をはじめ、東京・上野にある同博物館の日本館で展示するレプリカの大半の製作に関わったという。博物館の展示と古生物研究を長きにわたって支えてきた円尾さんの足跡と功績を取材した。(共同通信=岩村賢人)
▽展示だけじゃないレプリカの価値
展示されているのが実物の化石ではないと知ってがっかりした人がいるかもしれない。だが、レプリカを軽んじてはいけない。展示だけでなく、学術的にも非常に重要な役割があるのだ。
貴重な実物の標本を末永く維持していくには、劣化や破損の原因となる光や湿気、移動を極力避けなければならない。そのため博物館の外への持ち出しはもちろん、展示すらも制限される場合が多い。一方、レプリカは保存や運搬が比較的容易で、直接触れることも可能。研究者は実物を収蔵している施設に行かなくても、レプリカを譲り受けたり借りたりすれば、特徴の分析や他の標本との比較ができる。
▽彫刻を学び、レプリカ作りの世界へ
円尾さんは1933年、香川県で生まれた。建具の職人だった親戚に付いて中学生の頃から木工の作業を手伝っていた。その後、高松市内の工芸高校で彫刻を学び、卒業後は工芸高校の元校長が埼玉県に構えたアトリエを経て、画家や彫刻家でつくる美術団体「太平洋美術会」に併設された美術学校に進み、再び彫刻を学んだ。
粘土で作った原型を石こうに置き換える「石こう取り」という作業が得意で、本人も「『石こう取りなら円尾』と言われた」と振り返る。何年かたった後、博物館で展示する恐竜の模型などを製作していた彫刻家・今里龍生さんに「博物館の仕事を手伝ってほしい」と声をかけられた。そして、レプリカ製作の世界に足を踏み入れた。
最初は恐竜が生きていた時の姿を再現した模型を作る仕事だったが、やがて化石標本のレプリカ製作へ。国立科学博物館に所属していた古脊椎動物学者の長谷川善和さんから指導を受けた。
レプリカの標準的な作り方はこうだ。まず、標本の欠けている部位を粘土で補って本来の姿に近づける。これが原型となる。標本の上にシリコーンをかけ、さらに上から石こうで覆う。石こうが固まってから外すと、シリコーンに標本の形や模様が写し取られ、型が出来上がる。
さらに、型の内側にレプリカの本体となる繊維強化プラスチック(FRP)の樹脂を塗って乾燥させるとレプリカができる。1回の作業で標本の型を丸ごと作るのは難しいため、いくつかのパーツに分けて作る。
つなぎ目が目立たないようにパーツを組み合わせて、少しはみ出した部分などを削り、色を付ければ完成だ。石こうとシリコーンでできた型を保管しておけば、再びFRPを使って同じようにレプリカが作れる。
作業は円尾さんを含めて3人のチームで取り組んだ。円尾さんは原型を石こうやFRPなどで固めて元の化石の形を再現するのが主な仕事で、他に、研究者の意見を聞きながら欠けている部分を粘土で補いつつ原型を作る人と着色する人がいた。茨城県つくば市にある国立科学博物館の研究施設の一室が主な作業場だった。
円尾さんはレプリカ作りにFRPをいち早く取り入れた人で、この方法は、円尾さんと、チームのメンバーだった彫刻家・小村悦夫さんの名前にちなんだ「OM(小村・円尾)式」という名称が付いて、今では一般的な手法になっている。
▽「本物に見えるように作らないと」
古生物学や地学を専門的に学んだ経験はない。作業の進め方について、2021年に取材した際はこう語っていた。「『この骨は白亜紀もので・・』といったような標本にまつわる話を研究者から聞いたり、論文を読んだりして、どんな地層からこの標本が見つかったのかを考えながら復元していく。レプリカであっても、本物に見えるように作らないといけない」
作業は基本的に手作業。紙に碁盤の目のように線を引いて、標本の寸法を測る。3Dプリンタなど新しい技術が登場してきたが「扱えたら楽なんですけど、全然できない。時代遅れも良いところだけど、昔流のやり方でしか作業していない」と苦笑いしていた。
そんな職人の技を支えていたのは筆やノミ、ヘラなど200種類を超える道具だった。工芸高校に通っていた頃から使っているものが大半を占めている。よく見ると不思議な形をした道具も多い。先端が曲がった筆、挟む部分に隙間の空いたペンチなど。手が入らない場所にも樹脂を届かせたり、少ない力で針金を曲げたりするため自分で改良したという。洋食用のナイフをヘラの代わりに使うこともあった。
最も思い出深いのは、国立科学博物館で展示しているフタバスズキリュウの全身骨格を復元した仕事だという。「博物館に持ってきた時はヒレも背骨も母岩が付いたままだった。そこから化石を外してクリーニングする作業も手伝えた。なかなか体験できない仕事だった」
巨大な化石で骨も多い。当時、東京・新宿にあった国立科学博物館の分館に作業場を構え、同時並行でいろいろな部位を複製していく。朝8時ごろから、遅いと夜8時ごろまで連日作業を続けて、数年がかりで完成させた。
他にもナウマンゾウや絶滅したクジラ、アンモナイト、縄文人の骨など数え切れないほどの標本の複製を手がけた。円尾さんは「通常はなかなか触れない実物の化石に接することができる。さらに背景を知ると、単なる仕事以上の喜びを感じる」とレプリカ製作の魅力を語り、21年の取材時には「できる限り続けたい」と意欲を見せていた。では、なぜ引退を決めたのか。
▽体の不調、惜しまれながら引退
大きな理由は、体の不調だったという。目の調子が悪かったり、足がだるかったりして自分で思うような作業が難しくなってきた。「体がそんな調子なので、もう区切りが付いたのかなと思った」。関わりのあった研究者からは「もう少し頼みたい仕事がある」と言われたが、「もういいでしょう」と伝えて身を引いた。
今回の引退に対して、交流のあった研究者からは惜しむ声が上がる。
30年以上の付き合いがあり、レプリカの製作を依頼してきた国立科学博物館地学研究部の甲能直樹グループ長はため息をつく。「まだまだお願いしたい仕事がたくさんあった。自宅で作業してもらう案も考えたが、標本を送るのは現実的ではない。非常に残念です」
甲能さんが複製を頼んだのは、主に絶滅したクジラ類や海獣類。特に印象に残るのは、新種だと分かったクジラの頭骨の化石を扱った時。二つに分かれていて、合わせれば長さ約2メートル50センチ、重さは400キロにもなる巨大な化石を数人がかりでひっくり返し、片面ずつレプリカを作っていった。ひっくり返す作業以外は、円尾さんがほぼ一人でこなしたという。
「ただ単純に技術で作っているわけではなくて、複製する対象に興味を持ってくれる。あちこちの図書館から本を持ってきて調べて、分からないことがあれば聞いてくれた」と甲能さん。「遠慮なくこちらのこだわりを伝えられて、それを理解して作業してもらえたのはとても楽しかった。円尾さんが抜けた穴は相当大きい」
レプリカの作り方を教わる機会があったという国立科学博物館地学研究部の木村由莉研究主幹は円尾さんの技術をこう説明した。「薬品をどの分量で配合したら良いか頭に入っている。計量せずにパパパパパと入れていく。職人技ですね」
木村さんが思い出として挙げるのは、総合監修した22年の特別展「化石ハンター展」で目玉として展示したサイの祖先「チベットケサイ」の全身骨格を復元したこと。骨格の一部は、進化的に近い別のサイの骨から作った型で再現した。実はその型は約30年前に円尾さんが作ったものだった。
「円尾さんの仕事を自分が監修した展示の目玉につなげられたのは誇りです」と木村さん。円尾さんが使っていた作業場を見渡して、「以前はこの部屋に来たら樹脂のにおいがしたのだけど、今はそのにおいが取れてしまった」と寂しがる。
▽引退後はどうする?
引退後、円尾さんはどうするのか。今年4月に再び取材の機会を得て聞くと、照れくさそうに笑いながらこう答えてくれた。
「木の彫刻を作りたい。抽象的な空間とか流れを表現するような作品が良い。材料は持っているし、筆もある。太平洋美術会に所属しているので、展示会では作品を出したい。まあ一つの楽しみですね」
しかし、現在は体調を崩しており、製作活動はストップしているという。少しでも回復して、またノミや筆を手に彫刻を作れる日が来ることを近しい人たちは願っている。
円尾さんの足跡と功績はここまで。最後に一つ、今回の引退を受けて研究者が懸念する問題がある。「今後のレプリカ製作をどうするか」だ。
▽引退で浮かび上がった大きな課題
実は、円尾さんには正式な弟子や後継者はいない。円尾さんは国立科学博物館の正式な職員ではなく、研究者が関わるプロジェクトの予算から依頼に応じて報酬を受け取るという微妙な立ち位置で働いていた。研究予算は限られており、円尾さんは引退前に「レプリカ製作だけで生活費を賄うのは難しい。新しく若い人を育てるということができていない」と語っていた。本業が彫刻家である円尾さんが副業的に請け負っていたからこそ成立していた側面があった。
円尾さんの引退によって、国立科学博物館における古生物の標本レプリカづくりに大きな穴が空いたことになる。
今後考えられる方法は主に三つ。①博物館で一から人材を育てる、②外部の専門業者に製作を依頼する、③研究者自身が作る。ただ、それぞれ課題がある。
米国など海外では発掘した化石をクリーニングしたり展示用のレプリカを作ったりする「プレパレーター」が職業として確立しているが、日本ではまだ十分に認知されていない。博物館で専門の職員を正規で雇って育てるとなると時間も費用もかかる。予算の大半を占める国からの運営費交付金が減り続けている現状では実現は難しそうだ。
外部の業者に頼む場合は、円尾さんへの報酬より金額は高くなり、予算内でのやりくりが課題となる。研究者自身が作るとしても、職人と同じレベルに仕上げるのは難しい。
国立科学博物館の木村さんは現状を「ターニングポイント」と表現した。「自然科学における資料や標本の保存、伝承をどうしていくのか、個人の技術を超えて、広い視野で考えないといけない局面に来ている」