引きこもり体験記 - はじめての不登校
序章
自分は高校時代に不登校から引きこもりになり少し働くもまた6年引きこもりを経験した当事者です。引きこもっていた当時、周りは進学したり、就職したり、彼女がいたりするんだろうなと思っていました。情報として引きこもりの人がいると知っていても、もしかしたら本当は自分だけではないのかと孤独感がありました。
そして今現在は、秋田県の引きこもりの集まりの代表をしつつ、たまに講演などをしています。あまり大したことは言えないかもしれませんが、現在進行形で引きこもり続けている人が、ぜひ自分だけではないということを知ってもらえればと思います。
子供時代から気付いた時には、生きているのがつまらないからか死にたいと思っていた。理由ははっきりとはわからないけれど、この連載を書くにあたり振り返ってみるといろんなことを思い出してきた..。
初回はこちらからご覧ください。https://note.mu/atack20/n/n8b48c4314cba
中学時代
友人に誘われて嫌になってやめたはずのラグビー部に入部する。自分としてはリベンジと思っていた。この時母親によると「自分は絶対にやめない」と宣言したらしい。このとき顧問の先生や友達にも強く誘われたため期待に応えたかったという気持ちの表れだったと思う。2学期のはじめにラグビー部の県大会があり、敗退した。3年生にとっては最後の大会。しかも先輩たちがいなくなるとチームの人数が足りず、公式試合には出られなくなる可能性があったこともあり実質自分も最後の試合になったかもしれない。ということで意気込んで望んだ結果、燃え尽きてしまった。結果は一回戦敗退で自分は活躍できなかった。そんな部活のアップ&ダウンもあり2年生の9月頃に不登校になる。しかし担任でありラグビー部の顧問である先生が訪ねてくれたおかげで、2週間でこの時は学校に行くようになった。友達が朝迎えに来てくれた。気持ちは単純に気にかけてくれたことが嬉しかったのだと思います。
修学旅行での友達とした漫才が印象強く覚えています。なぜか文化祭で実行委員みたいなこともやって。中3のときはできるだけいろんなことをしてみようとは思っていたはず。かなり大変だったけど充実していたし楽しかったです。中学生になったときからとにかくいつも時間を気にしていて、平日はもちろん土日もあと何時間で部活だと考えていたな。すごく忙しかった記憶がある。
転機の受験勉強
自分はほとんど受験勉強をしませんでした。
(同級生は塾や予備校に行っていた人もいたのに。)
高校は高専に受かったのですが、理由は高専の試験が数学以外は記号選択式だったので、過去5年間の問題集を買ってきて、正解の確率の高い記号はどれなのかということを調べあげました。(アイウエオの選択肢の中で一番多く回答に選ばれていたのはアだから、迷ったらアを選ぶというもの)
自分は完全に高校入試というものをなめていた。
だがその戦法で合格してしまったのだ。
そもそもなぜそんななめくさっていたのかというと、たとえ高専に落ちても公立の一般入試が後にあったのだ。だから、とりあえず楽な方法で合格できる方法を考えた。
実はその時、友達に他の高校に一緒に行かないかとさそわれていたのにそれを蹴って高専を受験している。このとき友達の誘いに乗っていれば人生が変わっていたかもしれないと考えることがよくある。
苦痛の高校時代
そんな、なめくさったやり方で受かった高校。ここからの生活がかなりキツかった。全県から学生が集まるためほとんど寮に入るので、入学式の時点である程度の人間関係が出来上がっていた。
クラスで孤立、友達が出来なくて絶望した。この先クラス替え無しで5年間のためこれでは無理だ。登下校の時に電車の同じ駅に降りる人がいなかったため友達ができなかった。あと高校生になっても携帯電話を持っていなかったため友達との連絡手段がなかった。これは、今後やっていけないと思った。
そして当然中学生の時よりもスケジュール的に忙しくなり、心も体もクタクタになっていた。そんな感じで、なんとか夏休みまで行ったがそれ以降は学校に行こうとすると体に拒否反応が起こるようになった。症状としては朝学校の校門を入ろうとするとお腹が痛くなってしまう。一応3年の途中で大学などに編入することもできたがそんなことを考えることもなく追い詰められてた。
2回目の1年生の経験
結局留年して2回目の1年生になった。高校生にとっての一歳の違いは予想以上に大きく、前回の一年生よりも過酷な学生生活になった。後輩が自分に気を使っていたためまた、自分も後輩に舐められてはいけないと思っっていたので打ち解けることができなかった。
休み時間には飲みたくのないのに水道の水を飲むふりをしたり、昼休みにはトイレで持参のお弁当を食べたりしていた。浪費もするようになり高校生なりの無駄遣いをしてコツコツ年俸制のお小遣いで小学生からためていた貯金も底をついた。
結果、極度のストレスがたまり緘黙という症状になり、夏休み直前に保険の授業中に声が出なくなった。先生に当てられたときに声がでなくて、口をパクパクしていたらかなり怒られてしまった。このとき自分でもびっくりしてたんだけど。何が起きてるのかよくわからなかったし、そろそろ本当にやばいと思った。
そんな中、なんとか学校に通っていたある日の実習のとき、溶接の授業だったのだが金属と金属をくっつけるためのつなぎ目の部分が、クラスの中で一番下手だったため、自分の作品を先生から笑われながら作ったものを壊されてしまう。
この出来事で完全に自分はこの場所にいるべき人間ではないと悟ることができました。また同じように夏休み以降行けなくなり退学することになりました。
とうとう引きこもってしまった...
退学後完全にひきこもるようになった。けれどもあの学校という空間にもう行かなくてもいいという感情が生まれ、半年ぐらいはホッとしたというのが正直なところだった。学校の近くもできるだけ通らないようにしていた。学生服を着ているひとたちも避けていた。
しばらくその状態が続いたが、さらに中学時代の友達や知り合いに会うことができなくなり、外を出歩くことも極端に少なくなった。中学時代の友達が電話してくれたり、家に直接会いに来てくれたりした。
この時には昼夜逆転の生活になって、テレビの深夜番組とと深夜ラジオとゲームに没頭するようになった。一日単位の時間の過ぎ方はあまりかわらないけど、年単位で振り返ってみるとすごく短く感じた。
さすがにこのまま何もせずに、普通に学校に行っていた同級生が卒業するタイミングで自分が完全な中卒なのはまずいと思い勉強して、一応高校卒業程度認定試験に合格する。
今から振り返るとある程度の時点でひきこもりになっていただろうと思う。テレビなどでひきこもりの話題が出始めた時期だったので、ひきこもりの人たちが自分と似ていたりしていたし、自分の将来こうなるかもしれないなと感じてもいた。同時にどのくらいの人数の人達が同じような状況になっているのかも気になった。
ーーー
ここまで18歳の春までのことを体験記として書きましたがもし不登校だったり引きこもりしている人でこの年代の人がいたらとりあえず高卒認定試験を合格しておいた方がいいと思います。この先働くにしても大学に行きたくなっても高卒認定だとかなり選択肢が広がるからです。(実際自分もこの先実感します。)
あと学生の人は学校内で信頼できる人がいたら、できる限り相談しておいた方がいいです。なぜなら学校をやめてしまうと、もう基本的に学校内の人に助けを求めることができなくなるからです。そうなると自体はもっと深刻になると思います。
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