283 Production LIVE Performance [liminal;marginal;eternal]の"演出"意図について
■あったこと
・2025年1月11日~12日に、アイドルマスターシャイニーカラーズのXRライブ「283 Production LIVE Performance [liminal;marginal;eternal]」が4公演にわたって行われた。
・シーズ(七草にちか・緋田美琴)とコメティック(斑鳩ルカ・鈴木羽那・郁田はるき)の合同ライブ。
・2公演目の幕間でシーズの緋田美琴が一時的に失神。残り3曲あったシーズの楽曲は七草にちかが一人で演じ、美琴の出演が見合わされることが告知された。
・翌日、3公演目では、美琴の体調は問題ないとしつつ、大事を取って後半からの出演となる。6曲中前半の3曲は七草にちかソロでのパフォーマンスとなった。残る4公演目では予定通りフルメンバーで行われた。
■前提
・「XRライブ」は、事前に制作された3Dアニメーションの映像を舞台上に投影する拡張現実型のコンテンツである。そのため「出演者の体調不良による突然の出演見合わせ」は原理的に起こらず、本公演3,4回目における緋田美琴の出演見合わせは演出の一貫である。
■考えること
・なんでそんなことするの???
■仮説
①制作上の都合
・本公演の演出には大きなコストと時間がかかっている。3Dモデルやダンスモーション、プロジェクションマッピングを模したビジュアル演出など、楽曲ごとに膨大な制作リソースが必要とされる。
・暗転中も完全に真っ暗にはせず、フォーメーションの変更やセットの切り替えをシームレスに見せるこだわりがあるため、楽曲の順番変更やセットリストの入れ替えには追加の手間とコストが発生すると考えられる。
・実際、4公演のセットリストを見比べると、一部例外を除いて概ね同じ楽曲が同じ順番で披露されている。これにより、曲順の変更や新たな楽曲の追加が制作的にハイコストであることが推測される。
・XRライブは事前に制作された映像を上映する形式のため、同じ曲のパフォーマンスは公演ごとに全く同一になる。この形式には「4公演のうち複数回見るファンにとって変化がなく、見飽きてしまう」というリスクがある。つまりライブ全体を制作するにあたって「限られたリソースを使って、4公演を見飽きないものにする」という課題があった。
・この課題に対する対策として、「公演内に起伏を作り、文脈を生み出すことで、同一のパフォーマンスを異なる視点で楽しめるようにする」という演出が考案されたのではないか。
・ちなみに、この手法は『アイドルマスター』シリーズにおいて初期から見られる特徴であり、3Dモーションによる歌とダンスが同一であっても、キャラクターとの交流や文脈によって新たな意味が生み出される仕組みにも重なる。
・本公演においては「緋田美琴の一時的な退場」によって楽曲を(欠員という形で)変化させ、残された七草にちかの心情を上乗せすることで印象も変化させていた。1公演目から順に、同じ楽曲で「よく知っているシーズ」「美琴のいないシーズ」「美琴がいないことが前提のシーズ」「美琴が戻ってきたシーズ」という差異が生み出された。
・また「事前収録された映像である」という暗黙の合意は、不測の事態を演出として利用するために必須の条件であり、その意味でも都合がよかった。
②シナリオ上の必然性
・このライブの冠が「アイドルマスターシャイニーカラーズ」ではなく、「283 Production LIVE Performance」であることが示すように、本公演は作中の283プロの物語世界と地続きのライブとして描かれている。
・ゲーム本編で緋田美琴は、ストイックな練習でたびたび自らを追い込んできた。昼夜を問わず身体を酷使する彼女の姿は、同時に危うさもはらんでいる。一方で、新人の七草にちかは美琴を崇拝しつつも「じゃない方」「バラエティ担当」と自虐するなど、依存心と自己否定の心を抱えている。
・この関係性の延長として、美琴が体調不良を起こす展開と、にちかが一人でシーズを背負いステージを支える場面には、シナリオ上の必然性がある。これまで積み上げられた彼女たちのエピソードが伏線として機能し、ライブにドラマを持ち込んだ。
・制作陣の視点から見ると、本公演は「完璧なライブ」を提示するのではなく、あくまで「シーズとコメティックの物語」を上演する場だという意識がある。4公演目アフタートークで美琴がライブに対する悔いを口にしていることからも、ここに至るまでの出来事すべてが “物語の要素” として組み込まれていたと考えられる。
・ところで、本公演は、開催決定時から「完璧・永遠であることは美徳であり彼女達は幾度も到達の機会を与えられる」というフレーズが唐突に示されていた。
・私は未所持だが、公演パンフレットではメンバーの魅力を紹介するテキストが途中で文字化けして「完璧・永遠であることは……」のループになるという異常な演出があったようだ。普段の告知の文体からかけ離れたこのテキストは、シャイニーカラーズの世界の外部から挿入された、ある意味でメタ的なテキストであると考えられる。
・作中の283プロダクションはもちろん緋田美琴の欠場など全く予期していないのだが、その世界を作っている神(=制作者)はトラブルが運命づけられていることを知っている。それを伝える託宣が「完璧・永遠であることは……」という一連のフレーズなのだと思われる。
・アイドルたちは虚構の存在であるがゆえに、本来は神(制作者)の力でいくらでも「完璧」で「永遠」に近づける。しかし、それでは “到達の機会” が消失してしまう。
・有限性を物語に導入することで、神の視点からあえて「完璧でない」形を与えられているともいえる。その試練こそがアイドルを現実に近い存在に感じさせ、各公演に固有の意義を持たせるカギとなっている。おそらく神は単に美徳を携えた偶像ではなく、そこに到達するためにもがく姿をふくめた全体を(残酷なことに)愛している。
・アイドルという存在は本来、人々の前で “完成” を披露する存在だが、本公演では未完成や脆さにこそ物語性と真実味が宿っている。形而上のイデアとしてのアイドル像に足りない、現実の “有限” な時間や体調が物語の骨子になっているのがポイントであり、そこにこそ本公演の意義が見いだされる。
■仮説のまとめ
・なぜ「XRライブ」でこの欠場を描いたのか
→ XRライブは “事前制作の映像を上映する” という形式上、単純に曲数や振り付けを変えるのが難しい半面、キャラクターが “実在のアイドル” として目の前にいるように見せる力を持っている。
→ 美琴の欠場という “不測の事態” をシナリオに組み込み、同じパフォーマンス映像を使いつつ「誰が参加しているか」「そのときどんな心情か」を変化させることで、公演ごとに新しい体験を与える。
→ “完璧・永遠” に近い虚構のアイドルたちに、あえてトラブルを介した有限性を与えることで、4公演すべてを異なる物語として成立させる。
・つまり、美琴の一時欠場は「制作的な事情(映像の使い回しを同じままに、観客に飽きを感じさせない工夫)」と「シナリオ上の必然性(美琴とにちかの関係性をステージ上で回収するドラマ性)」を両立させるための演出だったと考えられる。そのためにXRライブという虚構と現実を交差させる舞台を利用し、アイドルが “完璧”"永遠" ではなく "不完全"“有限” な存在であることを劇的に示すことで、4公演にわたる物語性とライブとしての新鮮味を同時に作り出そうとしていた。それは要素に還元できない新たな美徳の構築でもあるように思う。