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100円CDをめぐる冒険
100円CDに、魅せられてしまった。
いま現在、私の生活の中心には、常に100円CDがある。CD部屋と決めていた部屋は大量の100円CDに埋もれ、はみ出したCDが廊下も階段も寝室もダイニングすらも占拠。四方八方でCD壁やCD山脈、CDタワーを形成しており、私の家のどこを切り取っても、100円CDが置かれていない場所は無い。まさかこんなことになるとは、思ってもみなかった。
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100円CDコーナーには、週2、週3で通っても飽きない。おそらく毎日行ったとしても、飽きることはないだろう。めくるめく興奮。あっという間に何時間かが過ぎている。気づくと毎回、カゴが山盛りになっている。その重量に自分でも驚きながら、レジまで持っていく。会計のさなか、本日も素晴らしい100円CDばかり見つけたと、つかの間の余韻に浸る。そして、100円CDのパンパンに詰まったビニール袋を担いで、次の中古屋へ。一日に数軒、ハシゴしてしまうこともざらだ。
当然のように語り出してしまったが、100円CDについて、みなさんはご存知だろうか。
100円CDとは、中古レコード店やリサイクルショップの店先、あるいは店の奥まったスペースに、棚やワゴンにみっしり詰まった状態で、一律100円の値段を付けられ、ほとんど投げ売りされている、有象無象の中古CDのことである。あいうえお順やジャンルごとにきちんと並べられている場合もあれば、ただただぐちゃぐちゃに詰め込まれ、ホコリを被っている時もある。
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ハズレばかりではないか。ほとんどの方は、そう思われることだろう。
しかし私には、100円CDコーナーが、掘っても掘っても掘り尽くせない、宝の山に見えている。
中古価格で数千円〜数万円で取引されているレア盤を発掘、という瞬間もなくはない。それはそれで興奮するひとときである。しかし、私がこれから述べていくことは、もう少し別角度からの、100円CDが秘める可能性についての物語である。
一枚のCDが100円コーナーに流れ着いた瞬間、どのような新しい価値が生まれ、どのようなドラマをはらむか。そこには、単なる売買行為を超えた、冒険がある。
100円CDは音楽概念を拡張する
まず、100円CDコーナーは、私がいま持つ音楽というものの概念、幅を拡張してくれる。
そこに並ぶ膨大なCDは、完全なるノンジャンルだ。何がしかの判別が付く盤はまだ良いほうで、ジャケを一瞥しただけではどんな音楽なのか想像も付かない、未知の盤すら大量に転がっている。それらを一枚一枚手にとり、分からないものからカゴに入れていく。分からなければ分からないほどよい。
例えば、1989年リリースの『田中さんのためのBGM』という一枚。このジャケだけでも強烈だが、裏ジャケを見ると、「田中さんのテーマ」という一曲が収録されている。いったいどういう曲なのか。好奇心が、刺激されないだろうか。
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ライナーノーツを開いてみる。そこには、衝撃の事実が記載されていた。
ーー「田中さんのテーマ」は、「TANAKA」のローマ字による言語構成と、約100人の田中さんの姓名の名乗り方を収録したテープから声のグラフを作成し、これをコンピューターにインプットして、音階に直したものをモチーフに作曲しました。ーー
何という労作だろう。これは紛れもない、田中のためだけに制作された真の田中ミュージックであり、田中濃度がメーターを振り切っている。ひょっとして私が知らないだけで、田中は全員このCDを持っているのではないか?と疑いたくなるレベルだ。曲も良い。軽快さや朗らかさ、人の良さが全ての音から滲み出ていて、確かに、歴代の田中はこんなやつだったと思わせるだけの説得力がある。
しかし、田中以外には売れそうもないこの一枚、よくリリースしたと思う。田中でなくとも興奮して買ってしまった人間は、おそらく自分くらいではないか。リリース時から35年ほど経っても時代の半歩先をひた走っており、まだまだ追いつけそうにない。結果、100円CDコーナーに流れ着いてしまったが、音楽がどれだけ自由な表現だったか、誰もが思い起こすことだろう。
そう、100円CDは、我々の音楽に対する思考や偏見を根底からくつがえし、解き放ってくれるのだ。
100円CDはジャンルを超越する
100円CDにおいて、「このCDはこんなジャンルだろう」と早合点してしまってはいけない。100円CDは、我々の予想をはるかに超えてくる。
例えば、アニソン。正直、私はアニメにそこまで明るくない人間だ。しかしそれゆえに、アニソンを累計500枚ほど買い込んでしまっている。それゆえに?と思われるかもしれない。しかし私はこれこそが、100円CDにおける王道の買い方だと主張したい。
事前予想を起点として、そこからどれだけ予測がつかない場所まで飛ばされてしまったか。私はこれを「100円CDの飛距離」と呼んでいるのだが、アニソンは毎回、私にとってかなりの飛距離を叩き出すジャンルの一つだ。
某日、私は100円CDコーナーから『天地無用』というアニメのサウンドトラック(1994年リリース)を掘り当てた。聴いた瞬間、衝撃を受けた。バッキバキのクラブサウンドではないか。90年代初頭、デトロイトテクノにおける伝説のユニット、アンダーグラウンドレジスタンスそのものではないか。我々が知らないだけで、実は実際に、この楽曲を手がけた可能性はないか。アンダーグラウンドレジスタンスからジェフミルズとロバートフッドが脱退し、マイクバンクスのソロプロジェクトとなったのが1993年あたり。となれば、マイクバンクスが1994年に、傷心旅行で来日していたとしてもおかしくはない。そのときたまたま、旅館のテレビで見たアニメに、心動かされたとしたら…。
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私がアニソンについて詳しかったり、どんなアニメか事前に知ってしまっていたら、ここまでの妄想が生まれる余地はない。知らなかったからこそ、たどり着けたのだ。100円CD界において、物を知らないというのは武器になる。しかし、知る必要もないと無視してしまってはいけない。辛うじて知っている手持ちの知識で、ことさらに、無理にでも読み解いてみるのだ。スリリングな知的興奮、音楽体験の幕が開ける。
100円CDは、ジャンルを超越する。それは、ノンジャンルで雑多なCDばかりが並んでいるといった外見から即座に分かる特徴以上に、買って視聴してからも、いくらでも起こりうる。
現に私は、DJとしてクラブで頻繁に100円CDを回しているが、およそクラブで回されたことがないだろう、誰もDJ用に使おうなどと思ってもみなかっただろう100円CDばかりを「クラブ系」と称して回し、その場でミックスしていたりする。これらは全て、100円CDだからこそ可能となったプレイスタイルだ。100円だったからこそ、見知らぬCDを買うという冒険が可能となり、そこで出会った驚きの飛距離をスパイスとして、フロアでの起爆力に変えている。そのようなDJスタイルが、現在の私を形作っている。
100円CDは奇跡を起こす
ご丁寧にも「ジャンク品」という札を掲げ、返品クレーム一切を受け付けぬ、何があっても全て自己責任という100円CDコーナーがある。魑魅魍魎度が一気に上がる、上級者向けの100円コーナー。ここでは、人生が試される。降り落ちてくる難題に、どう立ち向かうか。それをどう喜びに変えていけるか。生きる上で大切な知恵を、実戦形式でイチから学ぶことができる。
中身が違う。中身がない。ジャンクコーナー産の100円CDには、そういったことがある。たいてい買ったあとで気づく。ノークレームはレジにて了承してしまった。常識的に考えれば、悲劇以外の何物でもない。しかし、ここは100円CDコーナー。常識など通用するはずもない。我々は、試されているのだ。この出会いにも、何らかの意味があるはず。何か神的な存在、いわば100円CD神からの、一つのメッセージであると信じ込む。すると、見えてくる。「ケースの中身が違う=今日は良き日」と。そう、あなたはいま、大吉を引き当てたのだ。考えてみてほしい。どれだけの偶然が作用して、その一枚があなたの元へと流れ着いたか。歴史上、今までリリースされた全CDの、たったの2枚。その2枚だけが、偶然にも入れ替わったのだ。膨大な組み合わせが、考えられたはずである。少しでも何かが違えば、そのマリアージュは決して実現しなかった。しかも、最後の難関・店員の厳しい目を見事に潜り抜け、あなたの元へと辿りついたという事実。その天文学的確率に打たれずにはおれない。つまり、100円CD神が特別なお墨付きを与えた一枚を、今日のあなたは手にしたのだ。これを幸福と言わずして、何と言おう。
以上のように、100円CDコーナーは、運勢占いとしても利用できる。もしこれが、数100円だったらどうか。真顔にならざるをえない。不思議なことに、100円CDコーナーでは、真顔が笑顔に変換される。ネガティブな感情は、許す心、肯定の気持ちにすっかり置き換わる。「100円CDコーナーには神が宿っている」と、私は言い切りたい。日常では気づきようのない奇跡が、そこでは頻発しているのだ。
私は100円CDコーナーで、幾度も奇跡と遭遇した。まともに生活していては、おそらく出会えなかったであろう盤の数々。手描きジャケの浜崎あゆみや、帯の留め方が斬新な飯島真理。CDかと思ったらフロッピーディスクであったり、鳥よけCDコーナーから名盤がザクザク、みたいなこともあった。その瞬間を逃したら二度と出会えぬ、全て一期一会の奇跡。また機会があったらご紹介したい。
サブスクリプションなどネットでの音楽視聴が一般化した現在、以上のような奇跡に出会う機会は、まれとなった。自分が聴きたい音楽は、AIがもっともらしい理由を付けて、レコメンドしてくれる。しかし、偶然にこそ宿る奇跡というものがあるのだ。出会うはずのなかった何かに、うっかり出会ってしまうこと。100円CDは、偶然がなくなりかけた音楽という環境に、そしてまた平凡な日常に、奇跡を呼び込む一つのライフハックであると言えよう。
(初出:『5PM Journal』2024/2/21)