「やらなきゃ」駆動から「やりたい」駆動へ切り替える方法をついに見つけたかもしれない
2022/11/23 追記
この記事は好評だったので、大幅に加筆修正し、Voicyでも話してみました。
3000文字以上あるのでVoicyのながら聴きもおすすめです。
「やらなきゃ」駆動から「やりたい」駆動へ切り替える方法をついに見つけたかもしれない
久々に手応えを感じる日々が続いている。
最近、鳥井さんのVoicyを聞きまくっている。その影響で他のパーソナリティーさんの配信も気になりはじめ、Voicyを聞きたいがために妻のクッキー作りを手伝うようになった。
そうこうしているうちに自分もVoicyをやりたくなった。表現したいことが頭のなかに溢れ、Twitterやnoteもはかどるようになった。
あきらかに「やらなきゃいけないこと」が減って、「やりたくてやっている」ことが増えた。
つまりこれは、鳥井さんのVoicyのおかげか? と思った。鳥井さんのおかげであることは間違いない。
鳥井さんと配信しているオーディオブックカフェで『エッセンシャル思考』を取り上げた。そのとき「刃牙」の話をしたのがきっかけで、自分の生活が「やらなきゃいけないこと」で埋まっていることに気づかされ、これはどうにかしなければと思ったのだ。
僕はずっと鳥井さんのVoicyが気になっていて、ずっと聞きたいと思っていたのだ。それなのになかなか聞きはじめられなかったのは、「聞かなきゃ」と思っていたからだ。
いつのまにか僕の生活は「やらなきゃいけないこと」と「やってはいけないこと」の二種類しかなくなっていた。
休むことや遊ぶことすらも「やらなきゃいけないこと」だった。生産性を上げるためにしっかり休まなければいけない、創造性を高めるためにしっかり遊ばなくてはいけないと思っていたのだ。
そんな生活に疲れ、ふと漫画のアプリで刃牙を読み耽っていると
「しまった、無駄な時間をすごしてしまった」
と罪悪感を感じる。しかもなぜかその時間は「休憩」にはカウントされない。
なんとなく何かが間違っているような気がしながらも、どうすればこの発想を変えられるのかがわからなかった。
「自分は体力がないしめんどくさがりだから、人よりやれることも少ない。アウトプットも少ない。」
「だからやることを厳選しよう。大切なことに集中しよう。少しずつでもやれることを増やしていこう。負荷をかけながら筋トレのように、できることを増やしていこう」
「いまやれないのは仕方がないよ。大丈夫。いつかできるようになるよ」
とやさしく自分に声をかけていた。つもりだった。
しかしこの発想がそもそも間違っていたのだ。
それは暗に
「いまの自分のままじゃだめだ。全然足りない。もっとがんばれ」
をやさしいふうに言い換えているだけだったのだ。
ほんとうは「もっと本気で、やることを減らさないとだめだよ」って声をかけなきゃいけなかったのだ。でもそんな発想はまったくなかった。
人と比べて何もしていない自分が、もっとやることを減らさなきゃいけないなんて思ってもいなかった。
やりたいことも休憩も遊びも、「自分にはまだまだ足りないものがある」という前提で生活の中に取り入れようとすると、全部「やらなきゃいけないこと」になってしまう。
「やらなきゃいけないこと」で生活が埋まっている人にとって、何か新しいことをやるということは
「それをやっていなければやれたはずのことがやれない」
ということになる。その不安がいつも痛いのだ。
それがどんなに楽しいことでも、「これをやってなければ今ごろ、あの仕事が終わっていたかもしれない……」という幻想痛に悩まされることになる。
「エッセンシャル思考」を読んだ。自分にとって大事なことを厳選したうえで「よしやろう!」と決めたことができない。前に進まない。楽しくない。
そしてようやく気づいた。「やらなきゃいけない」という発想で選んでいたら、好きなことも大切なことも、何もかもが義務になってしまう。
だから僕は
「どんなに大切だと思うことでも、『やらなきゃいけない』という義務感を感じていることはやらない。あるいはやる時間を減らしていく」
ことにした。
僕にとっていちばん大切なことは「書くこと」だった。オーディオブックカフェで「限りある時間の使い方」を読んで、「エッセンシャル思考」を読んで、自分にとって大切なことは何か考え抜いた。自分の時間をほんとうに大切なことにだけ使わなくてはいけないなんてことは十分に理解しているつもりだった。
執筆は僕にとっていちばん大切な時間だ。だからこそじっくり時間をかけなければならないはずだった。
じゃあその大切な時間を毎日何時間もとることができていたか? というと、
「やるからにはきっちりしたものを書かなきゃいけない」
「いまはその時間がない」
「書くに値するアイデアがまだ降りてきてない」
などと考えるばかりでぜんぜん時間を取れていなかったのだ。
そのくせに、一日中「今日こそは何か書かなくては」と考え続けていた。それをいいことだとさえ思っていた。自分は作家なんだから、執筆について考えるのは当然だとか思っていた。
でも僕が考えていたのは「何か書かなきゃ」ということばかりで、書きたい内容をアタマの中で想像を広げたり、ひらめきにワクワクしているわけではなかった。「書きたいことがあふれちゃってしょうがない」というクリエイターの思考とはまるで違うことをしていた。
しかも「書かなきゃいけない」という思考で頭の中はいつも忙しく、他のことを考えたりやったりする余裕がすっかりなくなってしまっていた。
「大切なことのために時間とアタマを使ってるんだ」と自分に言い聞かせてみたが、モヤモヤとタスクが積み上がっていくばかりだった。
僕が時間を使っていたのは「大切なことをやらなきゃ!」という思考であって、実際に手を動かしてはいなかったのだから、それは当然のことだった。
このままいくら大切なことに集中しようとしても、それを大切にしすぎるせいで逆に大切なことから遠ざかっていってしまうと思った。
だから僕は、自分にとっていちばん大切なことに、あえて時間を区切ってとりくむことにした。
書くのは23時からの1時間だけ。この時間に今日のnoteを書き切ることにした。ほかの時間に無理に書こうとしたり、アイデアを無理にふくらまそうとしない。
このルールですごしはじめたら、日中にアイデアのことで悩まなくなった。不安や焦りから開放され、細々としたタスクも自然と進められるようになった。思考が解き放たれ、書く以外のアイデアもあふれはじめた。頭のなかに余白が生まれた。その時間を使ってVoicyを聞いたりオーディオブックを聞いたりして、インプットの量が増えた。
それでも、いつものクセで「何か書かなきゃ」と考えてしまうことがあった。そのときは
「何を書きたくなるかは、書く時間がくるまでのお楽しみ」
と考えて思考を止めた。そうしていよいよ書く時間を迎えると、とても楽しく書けることも発見した。
このやり方に手応えを感じた僕はさらに
「19時以降はやりたいことしかやってはいけない」
というルールをつくった。少しでも「やらなきゃ」と感じることは、遊びであれ休憩であれやってはいけない。
これは純粋に「やりたい」という衝動だけで身体を動かす感覚を思い出すためのトレーニングとしてやっている。
すると、この時間に文章を書きたくなっている自分がいて驚いた。
いつしか「やらなきゃいけない」ことになってしまっていた執筆が、自然と「やりたい」という気持ちで書けるようになっていた。
取り戻した!と思った。これはとても嬉しかった。
かれこれもう20年近く、「やらなきゃ」駆動から「やりたい」駆動に切り替えようとがんばってきたけど、ここまでの手応えを感じたのは人生で初めてかもしれない。
もし「最近、たしかに義務感でやってることばっかりかもしれない」と感じることがあったら試してみてほしい。
僕も引き続き実験を続けながら、また新しい発見があったら共有していきたいと思う。
CM
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