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西成区のブログが炎上している件で、ジェントリフィケーションやまちづくりの難しさを考えてみる

まちづくり、ジェントリフィケーションに関するとある記事が炎上している。西成区の「新今宮」に関するものであった。

上記のブログは、あくまでPR記事である。著者は私も共通の知り合いが何人もいる人ではあるし、昔から福祉界隈にはしっかりと現地の課題に寄り添う姿勢であった人らしいのだが、今回の記事は残念でならない。内容は、酷い、というより、お金持ちが貧乏人と遊んで楽しかった。下界もいいところだ、というように読めてしまう内容で、西成区の釜ヶ崎エリアが抱える問題を華麗にスルーするものである。

この、新今宮や釜ヶ崎という名前で知られるこの地区の「エリアブランディング事業」として大阪市から受託しているのが電通ということもあり、炎上に火を注いでいるようだが。

上記の内容に私もほぼ全面的に同意するものであるが、新今宮(釜ヶ崎と表記したほうが個人的にはしっくりくるのだが便宜上今後はこの表記で統一する)に住む人、暮らす人を「生活が大変だけど温かい人たち」と勝手に思い込んだものであり、その人たちの生活の困窮さを、恐ろしいほどの無意識によって描写している点が、私も非常に酷いと思っている。

簡単に言えばこの炎上した記事で問題なのは、
①感動ポルノ記事の類であること
②文中でデートした、とされるホームレスの人が「ここで泊まらないほうがいい」というた意味を深くわかっているはずなのに表現していないこと。
③新今宮の良さを伝えようとして、古くからお決まりの「町は古いしおしゃれな街ではないが、人情がある」という陳腐なコンセプトしか考えられなかったこと
(発注者の大阪市も、受注者の電通も、このブログの筆者も)
④取材、というより描かれたホームレスの人の心情などを意図的に無視していること
⑤観光であろうと、自分が住まないよその「まち」に入るときは「よそ者として」の振る舞いが求められる。それを、外から目線の都合だけでよそ者でも行きやすい、と安易に『なんとかなる町』とまとめようとしてるコンセプト。(これはこの企画に限らず多くの観光業でも批判されるポイントではあるが)
といったことだと思う。

こういった、ホームレスの人やまちの「暗部」に蓋をするように、歴史を鑑みることなく表面上だけまちをきれいにしてしまおうとする動きは、各所で進んでいる。西成区しかり、ちょっと前だと天王寺公園だったり、東京では上野公園だ。

私は上野公園の一部である、毎年冬に大量のカモが飛来する不忍池(東京都台東区)から、小学生でも徒歩で10分ほどのところ、根津に住んでおり、カモにパンの耳あげるためになど足しげく公園に通っていた(中学生くらいの時に矢カモ事件が起きた)。30年前の不忍池の敷地にはビニールシートなどで建てられたホームレスの住居が所狭しと並んでおり、高齢の方や、「イラン人(パキスタン人?)」と呼ばれていた外国の労働者が暮らしていた。不正改造されたテレホンカードを売って歩いている人が何人もいた。

いまでは、天王寺公園も上野公園にもホームレスの人はほとんどいない。ホームレスの就労支援で知られるビッグイシュー調べ(下図)によると、ここ10年でも8割程度減少しているという。しかし、一方でネットカフェ難民と言われている人も4000人程度いるという。町から消えただけであって、ホームレス問題はまだまだ多く存在している。

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まちづくりの中において、こういった貧困者層の問題というのはかなりシビアな問題となる。そういう人がいるだけで、町としてのブランドが傷つけられるので対応しなければという方向性が示されることが多い。そのために再開発として多くの広いエリアで立ち退きや建物の集約が図られることが多い。そこで安い家賃の古い家でどうにか暮らしていた人は、その建物がなくなればもはや住むところが無い、という状態になる。家賃も厳しければ、保証人もいない。そんな人でも部屋を貸す大家は決して多くない。

ホームレスに対して支援もあるという人も多い。確かに現実的には収容できる施設もある。しかし、何人かの人は世界に絶望してホームレス状態になっている。助けがある、ということに対しても恥ずかしいとか、辛いという感情が先に立つことが多い。この感情は、自分が似たような立場にならないと分からないだろう。この私も、30代でありながら明日のお金にも困るような状況が一時期あった。そういう時は、本当に世の中全てが暗く感じるし、周り全てが敵に思える。しかし、怒りの声を上げるような気力すらわかない。100円を節約するために阪急上新庄から中津まで歩く割には、割高のカップラーメンをご馳走として自分に奢る。100円にはこだわるが、3000円などになると自分とかけ離れた金額になってしまい、使い道に迷う(なので、パチンコや自分の快楽に使ってしまうこともある)。貧すれば鈍する、という言葉がこれほど突き刺さったことはない。

ジェントリフィケーションで問題になるのは、貧困層がかろうじてその日その日を一生懸命住んでいたエリアに対して、比較的所得がある人が住み始めることによって、貧困層が徐々に追い出されることによって起こる。具体的には解体された家やビルの跡地に、新しいマンションが建ち、そこは比較的都心部に近いながら家賃はとても安いため、中間層の人間が住み始める(比較的すぐにマンションは満室になる)。その結果、いくつかの不動産会社がマンション開発で追随したり、既存アパートのオーナーが家賃を値上げしていくことによって起こる。私がこの目で見てきたエリアだと、尼崎市の出屋敷や東京都文京区の湯島の一部地区、豊島区巣鴨の駅の北側、台東区の鶯谷や千束あたりといったところか。私の実家の根津エリアも、昔は遊郭があったので、生まれる前は本当にすごい下町だったのだろう。銭湯が小さなエリアごとに1つはあったことがその名残だと思われる。親戚が経営していた銭湯は、30年ほど前に売却し、マンションになった。

まちづくりとは、『みんなが住みやすいまち』を作ることでもある。しかし、そこの『みんな』に、ホームレスの人も含めて、ということを考えている人は稀だと思う。エリアブランディングとは、『まちのイメージを高める』ことでもある。その『イメージ』に、労働者のまち、というものを加えようという人もまた稀だと思う。

私は以前、コミュニティデザインが嫌いだと述べた。

その時述べたことは、『社会資本に「弱者も巻き込む」仕組みづくりがなければ、本来の「コミュニティ・デザイン」とは言い難い。まちづくりを考える「メンバー」は多様性がなければいけない。』いまの巷にあふれるコミュニティデザインは、この視点が欠けているのではないかという指摘をした。今でもそう思っているし、ますます欠けてきていると思っている。まちのコミュニティデザイナーは『みんなの意見を聞くこと』とされているが、実際はそうではない。その『みんな』の中に入れない人の声や姿を見破り、見極め、まちの本当の課題をどう解決していけるかをまちの人自身に問いかけることができる人であると思っている。

私はかつて奈良市で商店街活性化のためタウンマネージャーという立場についたが、『みんな(≒商店街の偉い人)の意見を聞いてまちの方向性を示す』ということがミッションであったが、着任して数か月経った時に確信したのは『この人たち(≒商店街の偉い人+行政)の言うことを聞いていても埒が明かないし、まちは決して良くならない』ということだった。10年後20年後の視点がないので、現状の枝葉の解決ばかりしか出てこない。10年後のことを話題にすると、ふんわりしたイメージしか出てこず、STEPを示すことができない。本質的なことに向き合い、その課題で困っている人の立場でまちのみらいを語ることができるようにしていくことが『まちづくり』を主導する人の責務である。なので、この新今宮の話題についていえば、行政がその部分をしっかりと考えながら行われなければならなかったが、安易な『エリアブランディング』に囚われて業務設計をしてしまっただけに、冒頭のブログのようなことになってしまったのだろう。そこを知ってか知らずか取り組んだ電通もブログ主もかわいそうといえば可哀そうかもしれないが、この実績をもって「まちづくりで頑張っています!」などとは決して言ってほしくない。

まちの歴史・史跡をすべて残すというノスタルジー思考でもいけない。古きよきものだということで性産業や犯罪の温床になるような状況は改善しなければならないし、そういう建物を無理に残すこともないだろう。
ただ、アーカイブすることは大切である

まちの歴史を語り継ぐこと、語り継げるような仕掛けを残すこと、その上で新しく訪れる人・住む人が、既存の人の中に緩やかに溶け込めるようにすること&急激な地価の上昇を抑えるために、開発の速度をコントロールすることが、ジェントリフィケーションを抑えることになり、新今宮のプロジェクトが失敗した「エリアブランディング」の深化にもつながる。今回の新今宮プロジェクトは、歴史を残そうとしつつも、新しく訪れる人のための仕組みづくりを急ぎすぎ、冒頭のブログのような結果を招いたと読んでいる。そもそも、たった1年間の業務委託で歴史のアーカイブからエリアブランディングまでするのが無茶な話で、エリアブランディングはどうしていくべきかというのはもっと大切に時間をかけて行うべきであったろう。そういう意味で今回の炎上で一番悪いのは大阪市である。

まちの生活や文化、町並みを守りつつ徐々に町の中に新しい人を招き入れ、住民満足度と商業的にも成功している例は、大阪市城東区蒲生4丁目だろう。ここは地主とコーディネーターの頑張りによるところが大きい(行政は何もしていない)。また、奈良市ならまちエリアも取り上げたいところだが、住民との連携がどこまでできているかというと、ややオーバーツーリズム的問題を孕んでいることが多く、かつ町家(古民家)がでかすぎて、新規参入がしやすい物件とそうでない物件がはっきりしてしまい、景観資源としては大きい、そこそこ広い古民家の解体などは歯止めができていない状況である。

まちづくりにおいて、誰がどういう方向性を示すのか、それはどうやって決めていくのかは最重要課題である。そしてその中に古いエリアについてはある程度の政治的決断で解体⇒再構築も行っていく必要はある。ただそれであればこそ、その影響を強く受ける人の課題解消についてはしっかりと取り組まなければならない。地主にはただ単に新しいマンションで住む権利をあげればいいかもしれないが(六本木の森ビルにはこういう理由で住んでいる高齢者が結構いる)、賃借人はそうもいかない。ホームレスの人が困っているのは住むところが無いからではない。人生に、社会にあきらめてしまっている自分自身の状況がさみしくて悲しくてどうしたらいいのかもわかっていないことが「困っている」ことである。その人のための支援を民間やNPOも頑張っているが、エリアブランディングを行政がしたいというのであれば、まず先に行うのはこういったブログやHPを電通に作らせることではなく、就労支援やリカレント教育であろう。

クロード・レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の「群集」という章の中で、インドの貧困者たちを描写した文章がある。【あるとき、東ベンガルの総督が通訳に、チッタゴンの丘陵地帯に住む、病気と栄養失調と貧しさにさいなまれ、回教徒たちに意地悪く迫害されていた原住民に『あのものたちは何を嘆いているのか』と尋ねた。原住民たちは長い間考えこんだ後で『寒さです』と答えた】という描写がある。これは浪人生の時ながら衝撃的な文章であった。つまり、長い間厳しい状況に置かれていると、自分がなぜその状況にいて、何で困っているのかすらわからなくなることもあるということである。そして、何がこの状況から脱出できるのかを考える事すらできなくなる。

だから、困っている人には『解決法』を提示することで何とかなるものではない。寄り添って少しずつ状況を解すことからが大切である。これは、コンサルティングでも言えることである。もちろん、一刻一秒を争う場合は即効方も求められるが、それは経営におけるコンサルティングの話である。まちづくりではそうはいかない。その解決を早めたいのであれば、寄り添う人を多くすること、体制を作ること以外に道は無いと考えている。なんらか新しいセンターを作っても仏作って魂入れずとなる。

願わくば、新今宮で多く活動している人への支援がこれを機に逆に集まってほしいと切に願う。私も、かつての苦境を乗り越えて少しばかりであるが支援できる身になってきたが、今回の件を批判するばかりでなく、そういう活動にもう少し寄附をしようと思った次第である。

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