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神賑(かみにぎわい)とは何か?

有斐斎弘道館の講座「日本の祭と神賑(かみにぎわい)」でお話した中からテーマを選んでダイジェストでお届けします。今回は、第2回「神賑(かみにぎわい)とは何か?」(2021年6月20日)からの抜粋です。

祭の中の静と動
祭には、清らかで厳粛な「静的な」場面と、賑やかで々しい「動的な」場面とがあります。多くの場合、動的な場面をもって祭の特徴が語られますが、もちろん静的な場面も含めて祭です。祭を「静」と「動」の二つの局面に分けることは可能です。しかしながら、この手法では、例えば、神輿が賑やかに舁か かれる場面と、地だん車じりが勢いよく曳かれる場面の両方を、同じ「動」の範疇で捉えることになり、根本的な役割が異なる二つの祭具の分別がつかなくなります。また、「動」への分類が予想される地車(だんじり)なども、神社に宮入りして拝礼する場面は「静」に分類することになります。このように、祭を「静」と「動」といった雰囲気で捉える方法では、場面ごとの印象を述べる以上の分析は期待できません。そこで、祭具・芸能を、外側からの「観察」ではなく、内側からの「担い手目線」で捉えてみることにします。

神事と神賑行事
祭を担い手の立場から捉えるために、まず、「何を目的として生み出されたのか」「どのような役割を担っているのか」といった、祭具・芸能の出自と役割に着目します。祭はカミとヒト、ヒトとヒトとの関わり合いで成り立っ
ています。

そこで、

「カミへの奉仕を目的の第一に生み出された祭具・芸能」による行為を「神事」
「ヒトへの披露を目的の第一に生み出された祭具・芸能」による行為を「神賑行事」


と定義することにします。

神事的局面と神賑的局面
前述の定義はヒトの心のあり方に注目したものです。従って、「神事と神賑行事の違い」は、「ヒトの意識の方向性の違い」と言い換えることができます。

そこで、

ヒトの意識がカミに向いている場面を「神事的局面」
ヒトの意識がヒト(氏子同士や競合他者、見物人)に向いている場面を「神賑的局面」


と定義することにします。

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このような観点で祭を見ると、二次元の絵が三次元の立体となったかの如く、祭の実像がありありと立ち上がってきます。


定義の詳細は、先日発売の拙著『日本だんじり文化論』(創元社)の終章「神賑の民俗学」をご覧いただければと思います。

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講座では「ワクチン・ハラスメントと祭」についての雑感も述べさせていただきました。

<講座・講師について、もっと知りたい方はこちら>
・篠笛 玲月流 ウェブサイト → https://reigetsu-shinobue.jp/
・有斐斎弘道館講座「心で読み解く日本の祭と神賑」について
 → https://kodo-kan.com/
・次回講座、8月22日(日)11:00〜 日本の祭と神賑「だんじり(地車・太鼓台)」
 申込→ https://kaminigiwai-0822.peatix.com/






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