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nyalraの日記だけ追ってくれている読者
「にゃるらの作品は興味ないけれど日記だけ追っている」という方も少なくない。数字的にも不思議なこともなく、12月にTwitterへ直接noteへのリンクを貼るようにして以来、ビュー数は毎月10万ほど増えた。要するにTwitterでだけ日記を読んでいた層が完全にこちらへ直接追ってくれるようになったのですね。
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単純に一日一万人が読んでくれている。そんな中で「ここまで追っているのにアナタの本/ゲームは全然知りません」と若干申し訳なさそうに言われることもある。もちろんまったく構わないぜ。ただ日々文章を深夜〜明け方に投稿するのみでろくに宣伝もしていないのだから、そんな様子を追っていくれている日/10000人の読者の存在には、嬉しいとしか思わない。そして、作品とは違うんだよなってのも分かる。
僕もヒラコーに対して、「しばらくオタク臭い日常のエッセイ漫画だけ描かないかな……」と思っていた時期がある。そもそも他人の感性や生活って面白くて、オタク気質であると気になる作品名が思わぬ解釈がぽんぽん出てきて愉快。ヒラコーやヒコロウ、田丸浩史のような濃い人らのエッセイ的な漫画からまだ見ぬニッチな名作たちを知る喜び。僕もそのような体験に近い味が出ているのではないか? もっと言えば今は無きテキストサイトがその役割を果たしていた。今や僕を含めた数人しか立っていない。いま僕を追っている思春期たち!
キミらはひと昔ならテキストサイトなる日陰の文化にハマっていたかもしれないね。それかゴスロリ系ファッション誌のコラムとかね。僕もそういった雑誌にコラムを連載している文化人の文章を読んで、「おもしろいけど、この人って何をした人なんだ!?」とまったく分かっていなかった。でも好きなんだ。伊集院光のファミ通コラムを楽しく(立ち読みで)読んでいるのに、伊集院光がなんなのか小学生の僕はよく分かっていない。でも好きなんだ。
全然いい。そう考えると、しょうもない日常や作品の感想が読みたいのであって、僕がなんか創作に命をかけてますよ的な回はハズレであるのでしょう。あれはね、本当に疲れてくたくたな時ああなんだよ。もう作品のことしか焦点合ってないから他のこと書けないし、いま熱意の炎が消えたら死んじゃうからガソリンを足すように想いを吐き出している。瞬間、こんな僕にも青い炎が宿っている。それに伴う弱音もね。弱音に関しては、健やかな状態で読み直すと感慨深いけれども。本当に苦しかったなーと。しかし結局は生きてきたなあとなるわけだ。ある意味で素直なんだな。読み返して「あの時こんなこと考えてたよな」と己がしみじみするくらいだから、総じて素直なやつにも思える。根本がぐんにゃりとしているのはともかく。
なんにせよ、僕が何を思ってどうしているのか、日に一万人が読んでくれるのは精神的には楽になる。来年の僕は今ある仕事が表に出て大変なことになる。あらゆる賛否をぶつけられるでしょう。それはいいんだ。それも僕の一部であるけれども全てでは無い。けれど、こんな駄文を日々読んでくれるアナタくらいは、もはやTwitterなど表で見えなくなってきた僕の人格や生活部分を、「nyalraが何を好きでいたのか」だけは覚えていてくれると嬉しい。そのために書いている。僕は僕が好きな作品や玩具たちが大好きでたまらないのだ。
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