トランスジェンダーになって人生大満足してる人が「トランスジェンダーになりたい少女たち」を読んだ
読みます。
読みました。
あまり意味と意義深く書かれていると思わなかったので雑感の形で。
そもそもあまり意味のあることを書いた本でもない
と、思った。性別越境行為が一般化していく以上本書に出てくるような事例は必然に起こる防ぎようのないものであるし、それを全て防ごうとすることは「真に生得的な苦しみをもつ性別越境者」の人生を妨害することと不可分であり、また自由権としての愚行権の問題なので、基本どうしようもない。
思うにより大きな問題は実際に性別越境行為をしたりしようとする人の利害と社会のそれとが激烈に衝突する場面にあって、本書が主題とする自傷と愚行としての性別越境行為の是非などは二の次三の次である。(社会実態にそぐわず要らぬ混乱と衝突を招きうる不可解な教育及び制度への問題提起には首肯する)
そういう意味で私はこの本は特に書くべきことを書いた、言うべきことを言った本であるとは思わない。(上記問題提起は除く)
結局「党派性に基づくセンセーショナルなヘイト告発に曝された本」であることくらいしか私にとっての読むべき理由は見当たらなかった。
わりと事例としては広く触れられているのでどんなことが起きてるのかな~という初心者(?)の人なら読んで全体像の把握には役立つかもしれない。
(社会実態にそぐわない不可解で不合理な教育と制度への批判)
唯一意義のある事を書いているとした上記の点だが、これももっと突き詰めて「性自認至上主義」のもつ構造的な欠落や、社会実装上の衝突地点の現状などにまで踏み込んで批判すべきだと思われる。
終始、「こんなことになってます、やばくないですか!?」くらいのことしか言えておらず、あまり建設的ではない。
軽率勘違い性転換とそうでない性別越境との見分け可能性
思春期の若者(ここでは特に女性)がスマホとSNSと虚飾の理想に苦しめられ、本質的な内省を経ず踊らされるが如く性別越境の医学的プロセスに踏み入れる様は、愚行ではあるが間違いなく悲劇でもある。「軽率で勘違い的な性別越境行為」は確かに存在する。
なんだけど、個々の事例で出てくる「〇〇は幼少期から全く女の子らしい女の子であり生得的な身体違和の苦痛を抱えている様子はなかった(母親談)」みたいなのはあんまりあてにならないと思ってる。自分もそのテだし。
結局 親子関係と家庭環境
見出しの通り。なんだかんだみているとそのあたり多分に問題を抱えた事例が多く、結局(他のカルト傾倒や自傷行為の問題と同様)周囲の関係性が根底にあって、特段「トランスジェンダリズム」がどうって話でもないように思う。普通に読んでたらヘロインがどうとか出てくるからね。その時点で…という。
親として子の自殺含む自傷/カルト傾倒/薬物乱用/「勘違い性転換」…を防ぎたいのなら、周囲の良好な関係をちゃんと保つ必要がありますね、とそれくらいの結論しか出てこない。
可視化に苦しめられる「"真の"性別越境者」
この話題に触れてくれているのは良かったかな。「性自認はすべてに優越する」などの行き過ぎで不合理なトランスジェンダリズムが世に広まり認知されるにつれて、生得的な性別違和の苦痛をもつ目立ちたがらない人々の生活と安寧が脅かされているという話。それは世に出づらく観測されずらいが実際にある。
身体改変の害
早期内分泌介入治療含む身体改変の危険性と害についても触れられている。この辺りは全く知らない人からしたら普通に勉強になるかと思う。だいたい網羅的に述べられているかな。
(本とはあまり関係ないけど)「性別」破壊党 党首は軽率勘違い性転換を推奨するという話
私が党首をやっとる前衛運動団体 ー「性別」破壊党ー の理念は
身体的性別越境技術の際限なき発展によって誰もが気軽に性別を変えたり戻したりできる社会を実現し、それによって不変のスティグマとしての「性別」というものを緩やかにほぐしていく
というものなので、基本的に愚かな人々が軽率に性転換に踏み入れるというのは歓迎する。彼らは歴史の犠牲者であって、ただ現代では医療技術の不十分のために何か不可逆性のものを失ったりしているが、時代が進めばそうした悲劇もなくなるし、そういう生き方が今より一般化することを望む。
また、愚者の愚行を防止するがために、生得的な苦しみをもつ我々の実存的生き方である性別越境行為に障壁が課されるということは受け入れがたいので、私の立場としては本書はヘイトでもなんでもないとしたうえであくまで反対である。めっちゃ雑にいうと「それはそうだけど、何が問題なんだ?もっとやれ!」の感じである。
こんなもんですね。
阿部 智恵