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小宮友根氏の論の問題点~それは性的客体化表現ではない~

ゆっくりしていってね!!!!

頭だけで生命活動を行っている不思議な生き物、てっしーよ!

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さて。フェミニズムに擁護的な社会学者・小宮友根さんと、ふくろさんという方の対談記事が東京新聞のWEBサイトで公開されたわ。


けれど、小宮さんが言っている内容は2019年に出ていた次の記事とほぼ一緒なのよね……。
要は「萌え絵は、エロいからではなく、性的客体化表現や性差別的表現といった問題があるから批判される!」というお話をしていらっしゃるわ。
そうそう、これよこれ。知っている人は知っているわね?

さて、これらの記事の中で、小宮さんはマーサ・ヌスバウムの「性的客体化」という論文と、アン・イートンの「女性ヌードの何が悪いのか?」という論文に基づいて萌え絵の問題を分析しているのだけれど、それがめっちゃ間違ってるのよね。

前者のヌスバウムの論文内容と萌え絵の問題が合わないことについては、ヒトシンカさんが「性的対象化」(センサイクロペディア)の中で詳述していらっしゃるから、そちらを参照してね。

私のほうでは、アン・イートンさんの論文を扱っていきましょう。

結論からいうと、小宮さんの主張は、ヌスバウム論文に支持されない上、イートン論文にも支持されないわ。

泣き笑い

論文2つだけなんだから、ちゃんと読みなさいよ……。

イートンさんと小宮さんの齟齬

小宮さんは、対談記事で次のように萌え絵イラストの道徳的な問題点を述べているわ。

—女性の「性的」表現が「性差別」的になりうるポイントとは。
 小宮 ふくろさんのイラストと共に分析をしたことがあります。その中でフェミニスト美学の研究を参考にして五つの分類をしました。まず性的な部位(胸や尻など)を強調する。次に、理由なく肌を露出させる。それと関連して、メタファーを用いて性的な行為を連想させる技法もあります。また、女湯のぞきから性暴力まで、女性が侮辱や侵害と感じる性的接近をエロティックに描く。最後に、無防備なポーズ、戸惑いや恥じらいの表情で、見る側に女性を性的に利用できそうだと感じさせる。女性が自立性や活動性が低く受け身であるという理解を生みやすい表現です。

女性の描かれ方めぐる「炎上」はなぜ起きる? 社会学者・小宮友根さん、ネットで発信・ふくろさんに聞きました

「フェミニスト美学の研究」というのが、イートンさんの論文よ。
小宮さんは、それを引きつつ「無防備なポーズ、戸惑いや恥じらいの表情で、見る側に女性を性的に利用できそうだと感じさせる」表現や、「女性が自立性や活動性が低く受け身であるという理解を生みやすい」表現には問題があると主張しているわけね。

さて。でも、本当にイートンさんも同じ考えなのかしら?
32ページもあってクッソだるかったけど、私、全部読んだわ。

上記の小宮さんの主張と、イートンさんの主張はぶっちゃけ合わない。

まずは、この論文の大筋を説明しましょう。
そもそも、イートンさんが「悪しき性的客体化表現」として批判しているのは、伝統的な西洋絵画におけるヌードよ。
論文で具体的に取り上げられている絵画の一部を紹介するわね。

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ただし、イートンさんは、絵の中に登場する「特定の女性」をモノ的に表現されていたとしても、集団としての女性を傷つけているとまで主張するのは無理があることは認めているわ。

日本の炎上騒ぎになった例で言うなら、仮に「宇崎ちゃん献血ポスター」や「戸定梨香の交通安全啓発動画」が性的客体化表現だったとしても、それは宇崎ちゃんや戸定梨香さんという個別的な存在が客体化されているだけで、女性一般の話じゃないってことね。
(もちろん、ヌスバウムの定義に基づくなら、どちらも性的客体化表現ですら無いんでしょうけど)

ある少女キャラクターがフリルのドレスを着て可愛いクマのぬいぐるみを持った「いかにも女の子っぽい女の子」と描写されていたとしましょう。
でも、これだけだと「その少女はそういうのが好みである」ことを示すに過ぎないわ。いきなり「その少女以外でも、女の子ならば、一般的にそういう服装や小物が好きである(べきだ)」というメッセージ性を持っているとは言えないのよ。

まあ、ごくまっとうなお話ね。
意外と理性的でびっくりした――と言うと失礼かしら?

よって、イートンさんは、ある性的客体化表現について、フェミニズム的な、すなわち女性一般に関する問題があるというためには、もう少し条件を追加しなければならないと考えたみたい。

その条件とは、個性の排除が行われているかどうかよ。
これを追加した上で、先ほど紹介した西洋絵画におけるヌード描写は「女性一般にとっての問題にあたる」と論じているわけ。

それを論じたところが次の部分よ。

視覚的な表現がどのようにして女性全体をステレオタイプ化できるのだろうか。これは重要な疑問であるが、私の知る限り、文献には答えがない。私の答えは二つある。ヨーロッパの伝統における女性のヌードは、ほとんどの場合、一般的であると同時に理想化されたものである。
上のリストの 2.5節 で述べたように、「一般的」というのは、このジャンルを構成する個々の裸の女性には、個性を示唆し、それぞれを他と区別するような特徴がないという意味である。ヌードは、特定の作品や時代様式、ジャンルそのものによって定義される、ある集団に共通する特質が見られる傾向が強い(このことは、本章の最終章で述べる重要なポイントである。ある人物が一般的であることを確認するには、その人物が属する集団に訴えなければならないのだ)。そのような共通点のひとつが姿勢である。上のリストの 2.9 節で述べたように、女性のヌードには、乳房、恥骨、臀部を強調した、降伏と利用を示す非常によく似たポーズをとる傾向がある。ジョルジョーネの『眠るヴィーナス』のように横たわるポーズであれ、ブグローの『ヴィーナスの誕生』のように立つポーズであれ、これらのポーズは女性ヌード特有のものであり、服を着ていない男性にはほとんど使われない。
女性ヌードが一般的であると言えるのは、単にポーズだけでなく、人相も共通する傾向があるからだ。時代を問わず、色白で体毛がなく、豊満で丸みを帯びた乳房と勃起した乳首が特徴である。
(中略)
女性のヌードは、他人と区別できるユニークな個性として表現されることはほとんどなく、むしろあらゆる特殊性が排除され、ヌスバウムが言うように、人物を交換可能な、あるいはカビ臭いものにする同一性が優先されているのである。

アン・イートン『女性ヌードの何が悪いのか?』
※強調は引用者による。

……。

…………。

……………………。

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ええと……。申し上げにくいんだけど……。

宇崎ちゃん、戸定梨香さん、碧志摩メグさん、キズナアイさん、また温泉むすめの方々、その他「盛り過ぎでは?」というくらいに個性と特殊性を持った萌えキャラの方々は、すみませんが「失格」ですので、速やかにご退場ください。

あなたたちは、「女性一般はこうあるべきだ」というメッセージを伝達できません。性的客体化表現ですらおそらく「無い」ですが、仮にそうだったとしても、イートンさんの論では、差し支えありません。

――うん。

もうこれで小宮さんは致命傷を受けっちゃってるし、あとは白饅頭さんとヒトシンカさんの既存の記事が批判しつくしてるのだけど、じつは、イートンさんの論と小宮さんの論で合わない部分がもう2つあるわ。

それをオマケとしてつけて、締めくくりましょう。

小宮さんは、引用する文献くらい、ちゃんと読んだほうがいいと思うわ。

あ、この先の有料部分はオマケだから、Twitterのフォローとかこの記事のスキ&シェアをよろしくお願いしたいのだわ!
ここまで読んでくださった方々、ゆっくりありがとう!

オマケをお買い上げの方は、このままよろしくなのだわ!
これもまた同レベルで致命傷になる案件よ。
実はイートンさんが論文中で取り上げている「性的客体化ではなく、問題のない女性ヌード表現」の実例と「それは問題ないとする理由」が、小宮さんの主張とは真っ向から対立しているのよ。

【2022/03/12追記】
有料部分をさらに拡充し、ヌスバウムさんのインタビュー記事から「自己を性的客体化することは問題ない」と主張している部分をご紹介。
さらに、イートンさんの論文で「ヌード作品の制作者が男性に偏っていることが問題」と述べている部分も書き加えたわ。これは、女性制作者も多い萌え絵にイートンさんの論を適用するのは難しいことを表しているわ。

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