無神論者だった私が、あえて神様を信じる理由
前回の続きのような記事です。
今回は私が神様を信じる理由をお話いたします。
結論
結論から先にいうと、「実際に神様の存在を体感した」からです。
私も神様を信じる前は典型的な無神論者でしたが、以下の経緯を経て信じるようになりました。
経緯
私は中学1年生の始めの頃、小学3年生の時から続いた人間関係の強い悩みから、精神的に完全に疲弊してしまい、部屋で引きこもるようになりました。
元々あまり良くなかった家族関係も悪化し、その現実から逃げるように、ゲームやネット、ポルノサイト、暴飲暴食に入り浸り、昼夜逆転する毎日を送っていました。
そのような生き方をして、元々病んでいた精神状態をさらに悪化させることは必然でした。
中学3年生の時、難病といわれる強迫症(強迫性障害)を発症しました。何度も手を洗ったり、くだらない確認行為を繰り返したり、侵入思考に頭が取り憑かれるなど、悪魔に乗っ取られたような状態となり、人生が地獄となりました。
このままではいけないと、精神科に行って薬をもらったり、大学病院に行ったりもしましたが、余計に事態を悪化させるだけでした。
毎日が自殺の一歩手前という状況でした。
ところがその時、母親が私に「RAPTブログ」を教えてくださいました。
私は最初、それまでのんびりした語調が突然強い感じに変わった母親に半信半疑でしたが、自分で調べて確認すると、今までにないほど、難しい政治や社会、歴史等を分かりやすく紐解いてくださっているのを読み、本当に驚きました。
そして、RAPTさんが神様を信じていらっしゃると知ったので、自分も神様を信じてみて、同ブログの「読者の証」の真似をして、明け方(厳密には違いますが、当時は朝の6時)に祈りを捧げてみました。
すると、今まで悩んでいた精神病がいつの間にか治っていたのです。
それまで常に感じていた不安や義務感を全く感じなくなり、心が安らぎに満ちていたので、大学病院の通院をやめました。
RAPTブログで「向精神薬は精神を悪化させるためにある」と知ったからです。
他にも、雨が止むように祈ったら、何度も止むという経験をしましたし、当時からやっていた音楽制作の技術が向上するように祈ったら、驚くほど上達したという経験をしています。
そして、しばらく祈っているうちに、「聖霊」という存在を「実際に」感じ、全身が熱くなり、肌がじわじわ感じ、心が多幸感に満たされるという体験をしました。
このように、さまざまな経験を通して、私は神様を信じるに至っています(というか、今更どう否定できんの?というレベルです)。
現在は、絶望から救ってくださった神様とRAPTさんに感謝し、パソコンの作曲ソフトで賛美歌を書くという生活を送っています。
さいごに
このように、神様の存在を確認した私でしたが、神様は御自身を信じようとする人と共にされます。
人間には、神様を信じる信じないの選択をする「自由意思」が与えられているからです。
もし、この記事を読んでも「そんな訳あるか」と鼻で笑う人は、それはその人自身の選択ですし、「もしかしたら神様はいるのかもしれない」と思っていらっしゃった方がいるなら、その人は実際に祈ってみるとよいでしょう。
私はあくまで自分が経験した事実のみを書くまでであり、読者の皆様の自由を尊重し、考えを押し付けることはしません。
しかし、私の体験は実際に起ったことであり、皆様も私と同じように信じて祈るならば、必ず同じ体験ができると断言できます。
神様を信じようとする方が、RAPTブログを通して問題が解決し、聖霊に満たされる体験をされ、それらを通して完全な救いを得られることを、心より願っています。