YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について
こんばんは。Sagishiです。
今回は、YOASOBI『アイドル』について幾つか論評をしていきたいと思います。
わたしは『アイドル』を幾つかの点で好意的な評価をしていますが、いっぽうで懸念や悪い評価をしている箇所もあります。この破天荒な『アイドル』という楽曲を通して、日本の音楽シーンそのものについても考えたいです。
1 スタイルの追究による異様化
1-1 J-POPの進化の歴史『スタイルの追究』
『アイドル』を初聴したさいの印象ですが、「マジでカオスで変な曲」「すごい強引」だと感じました。そう感じる理由というか原因は明白で、展開や転調の過剰さと、ボーカルの声の演技です。
非常に曲展開の切り替わりが早く、まるでジェットコースターのような印象を受ける楽曲です。こうなった理由を紐解いていくと、近年の日本のメジャー音楽における、米津玄師とOfficial髭男dismの影響をどうしても話す必要があります。
そもそも米津玄師が世間を席巻するまえの日本の音楽シーンというのは、アイドル楽曲がチャートを独占していました。その代表格がAKB48といえますが、要するに音楽好きを満足させるような、創造性のある楽曲を聴くことができませんでした。
アイドル音楽による独占というのも、これも一種のマニュファクチャーな『スタイルの追究』といえますが、米津玄師が革新的だったのは、その有機的サウンドのレベルの高さです。
高音域から低音域まで、みごとに音が分離していて、それでいて一体的に交響しているように聴こえる音楽。それが有機的サウンドです。この究極系は『Flamingo』という楽曲で、異常なほど余計な音がインサートされているのに、なぜかすごく心地好く、厚みを感じられる楽曲として聴けます。
こういう音楽は、それまでのJ-POPでは聴けなかったわけで、米津玄師が日本の音楽を塗り替えたといっても過言ではない、とわたしは思っています。King Gnu『白日』が伸びたのも、楽曲の交響感が評価されているはずで、米津玄師が存在しなければあり得なかったと思います。
最近では、このスタイルが質的変化を起こしていて、米津玄師『KICK BACK』やOfficial髭男dism『Cry Baby』のような、異様な展開のスタイルがキャッチアップされています。要するに、音場におけるそれぞれの音の交響性の複雑な操作から、テクニカルな構成へ、注目点(どう音楽を楽しむのか)がスライドしているのだと評価しています。
『アイドル』の異様な楽曲展開も、基本的にはこの「新しい音楽の楽しみ方の創造・発見」の延長線上にあると思っていて、YOASOBIのAyaseは米津玄師やOfficial髭男dismに追随できるような、非常に豊かな能力のある、器用なコンポーザーであることを証明しているといえます。
1-2 異様化
しかしまぁ、米津玄師『KICK BACK』、Official髭男dism『Cry Baby』、YOASOBI『アイドル』のような曲は、はっきりいって異様なわけです。
芸術界では、スタイルの模倣と追究によって異様化することを『マニエリスム』(代表的な作家にミケランジェロやアルチンボルドなど)と言いますが、日本の音楽はいまマニエリスム化しています。
世界のチャートを見ると、アメリカだろうがイギリスだろうがドイツだろうが韓国だろうが、そもそも転調がある音楽というのは、いまめちゃくちゃ少数派です。なぜ諸外国の楽曲に転調が少ないかというと、転調されると「足が止まる=踊れない」からだと言われます。
日本の音楽は、歴史的にクラブで踊るために作られるような音楽がすごく少ないと思いますが(なぜかは分からないけれど)、そういうのが世界的なチャートの傾向の差として現れていると思います。
これが良いのか悪いのかというのはいちがいに評価できることではないですが、日本お得意のガラパゴス化が起きているのは間違いないでしょう。
日本の音楽を、海外のプロのコンポーザーがどう感じているのか、専門的な意見を知りたいです。非常に創造的であるのは間違いないと思いますが、たぶんかなり奇妙に思われているのではと思っています。
1-3 『アイドル』の評価
わたしは『アイドル』はすごい良くできた音楽だと思います。展開を複雑にするという潮流を押さえつつ、しかしどこか余裕も感じさせる楽曲の運びで、能力があるのだなと感じます。
ただ幾つか問題があるなと思っていて、1つ目がボーカルがやたら幼い声で演技しながら歌っていると感じることです。だって『怪物』とか『夜に駆ける』とかと違って、かなり「幼い声」で『アイドル』は歌ってますよね。
これは日本のアイドルらしさみたいなものを楽曲に反映しようとしてやっているんじゃないかと思っていて、たぶん結構成功していると思うのですが、その反面、児童向け音楽のように聴こえるなと感じています。
海外のチャートでこういう幼い声を全面に押し出すようなボーカルの曲ってあんまり聴かないんですよね。高い声のボーカルのアーティストはいるのですが、なんというか、この『アイドル』は幼い声という印象です。
たぶん海外のひとは、オタクじゃない限り『アイドル』を児童向けソングだと感じるんじゃないかな、わたしでさえそう感じるんだから。そうなるとあまり『アイドル』はより普遍的に聴かれる楽曲ではない気がします。
(例えば、英語版はもっと艶っぽく歌うなど、変化をつけても良かったのではと感じます)
2つ目、ラップパートが悪い。ボーカルがお世辞にもラップが上手いとは言えません、コーラスパートから落差があります。ビートへのアプローチがうまくいっておらず、何回聴いてもラップパートで脱力さます。
ボーカルをカバーするためなのか、ビートも使い倒されたシンプルなものが選択されています。せっかくのラップパートですし、本当はもっと楽曲にあったビートがあるのではと強く感じます。
HIPHOPが好きなわたしは何度聴いてもこのラップパートはきついなと感じますが、展開を多様にするためにラップパートがインサートされるのは、まぁもう仕方がないのかなと思います。
(6/6 23:40追記)
なぜラップがここまで悪いか、原因を改めて確認しました。どうもYOASOBIのボーカルは、ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしているように思えます。
一般的にラップはビートにいかに乗せるかが重要です。しかし、YOASOBIのラップはビートへのアプローチに欠けていて、リズムが不安定になっています。
このラップでは全く音楽に乗れません、縦ノリも横ノリもできないです。クラブでこのラップに遭遇したら、わたしは棒立ちになると思います。
(6/10 追記)
議論が拡散してしまっているので追記します。わたしはこのラップパートはラップとしてまずいと思っていますが、ダサいとは思っていません。ダサいというのは基本的には主観なので、批評としてそのようなことを言い出すべきではないと考えています。
わたしは客観的に楽曲から得られる情報として、「ラップパートなのにビートアプローチがうまくできていないことがまずい」と書いています。なぜまずいかと言うと、ラップの基本がビートアプローチだからです。ラップパートをやるからには、しかもトラップの3連もやっているのだから、ここはちゃんと押さえないといけないと考えます。
原作との関連やJ-POP等なんだからという理由でラップの品質を求めるな、という意見もありますが、それはYOASOBIのようなハイレベルなアーティストに向かって言う言葉ではないと思っています。それなりのアーティストにはそれなりのレベルを求めます。なので、ラップならそれ相応のビートアプローチをすべきと考えます。
あるいはラップではなく語りなんじゃないか、ラップとして聞こえない、という意見もありますが、ラップパートとして意図して製作されているのだから、きちんとラップとして評価すべきでしょう。
また、上記以外の観点では、HIPHOPとして『アイドル』を論じることはしていません。もとよりHIPHOPの文脈では論じることができない楽曲だからです。あくまでJ-POPのなかのラップパートとして、きちんとしたラップになっているのかだけを議論の俎上に載せています。
3つ目、展開が強引すぎること。米津玄師『KICK BACK』もかなり悪いと思っていますが、こういう丁寧さのない破天荒な楽曲構成から得られる音楽的な体験は、ぶっちゃけ悪い。たしかにクリエイティブには聴こえるけど、どう考えてもカオスだし、感情が無意味に動乱させられるし、そもそも音楽のデザインとしてどうなのと思う。
たしかにある程度は理知的にコントロールされているとも感じるよ。うまくショートカットさせて繋げているなと。
けどなぜここまで急変する展開でないといけないのか、ほぼ8小節ごとに毎回異なる展開がなされるわけで、それだけ急変する展開を構成する理由が、楽曲内で的確に表現されているとはなかなか言いがたいと思う。何かアニメや原作の要素を取り入れているから、というような言葉で取り繕って評価しているひともいるけど、ぶっちゃけマニエリスムでしかない。楽曲として異様化している。
あんまりみんなここを触れないけど、わたしは良くないと思っています。
2 英語版の歌詞が常識外れすぎる
これ何で英語版を出すの、という気持ちしかないのですが、英語版の『アイドル』の歌詞が常識外れすぎます。ちゃんと韻踏んでください。
コーラスパートですが、「media/mysterious」以外に韻踏んでない。もうこういうの本当にヤバい。こんな歌詞、アメリカでもイギリスでもドイツでも韓国でもヒットチャートでは絶対に見ないです。BTSの英語の歌詞だってちゃんと韻踏んでます。常識外れすぎます。
何か日本語の発音を、うまく英語にしていることが評価されているようだけど、そういうの韻(rhyme)って言わないです。英語と日本語では音韻的に母音が異なるので、異なる母音同士をペアにしたものはrhymeという概念には当てはまりません。あえて言うなら「空耳」ですよね。ここははっきりとしておきたいです。
仮にそういう好意的な評価をするにしても、ヴァースパートは酷すぎます。
ここのパート、日本語の歌詞のように聞こえるよう、英語で再現とか全くしてないですよね? じゃあ何で韻踏まないのか。おそらく韻を踏まないと音楽の歌詞にならないという感覚や知識がないのでしょう。
日本語の歌詞の曲を、日本で展開して、韻踏んでないのはもう仕方ない。だってそういうふうにここまで来てしまっているし、日本語のイントネーション句の句頭と句末に自然ストレスが付与されるのが、日本語でちゃんと脚韻されない原因かもしれない、とか色々理由をつけられる。
けど、英語だとダメ。本当に。信じられないくらい奇妙でいびつな歌詞に見えるし、音感としても強烈な違和感を覚えます。
だれかYOASOBIに教えてあげて、英語版の歌詞ヤバいって。はっきり言って、この歌詞を褒めてるのはガラパゴスすぎます。このヤバさを喩えるのは難しいですが、外国人に「これ短歌。マジ完成度高いから」って、9-10-9-9-9の音数の句になっている作品をドヤ顔で出されてる気持ち。
3 まとめ
たしかに『アイドル』はよく計画されて、それを実現させている楽曲だと思う。チャレンジがあるし、クリエイティブだとも思う。音場の作りとか、全体的にクオリティも高い。視聴後の満足感もある。
けど、こういう破天荒な構成の曲を楽しむのは、ちょっと限度があるよね、と思う。異様化されているし、内輪感はどうしても感じる。わたしも日本人だから十分その文脈で楽しめるけど、うーん、あんまりこういうのばっか聴いても、食傷するかなというのが正直な感想。何度も聴くとすごい疲れる。リラックスしたり、ビートに乗って楽しめたりするような、日常的に聴ける楽曲ではない。
あとラップはもう少しなんとかしてください。英語の歌詞も本当に良くないです。英語のrhymeは、シェイクスピア以前の時代から連綿と続けられている言語文化そのもの。rhymeをしないというだけで、英語の言語文化への敬意がないようにも思われます。これだけはなんとかして、そう思いました。
4 よくある質問について
記事に関連して、よくある指摘・質問についてまとめました。(6/10 追加。随時更新)
参考記事
本記事を受けた追加的な記事を書いていただきました。ありがとうございます。