体系的にプログラミングを教えられると挫折するタイプの人はご注意!
「専門学校では、全くの素人に、体系的にプログラミングを教えることで、それなりにプログラムが書けるようにしている」という記事が賛同を多く集めていた。
しかし、私の場合、まったく逆だった。体系的にプログラミングを教えられたらすぐに挫折したけど、体系もカリキュラムも全部無視して、自分の興味の赴くままにプログラミングを学んだら、ごく短期間に、劇的にプログラミング能力が高まった。
元記事によると、専門学校では、素人は、まず、簡単なアルゴリズムの問題集をやらされるとのことだが、こんなことをやらされたら、僕のようなタイプの人間は、まず挫折する。
実際、大学でプログラミングの授業を履修したときは、すぐに挫折した。
なぜなら、退屈だからだ。
僕は、子供の頃からそうなのだが、退屈なことを続けることができない。だから、小学生の時に公文式をやったときも、すぐに挫折した。しかし、学校の算数のテストでは、満点以外の点数を取ることのほうが少なかった。
退屈なことを続けられるというのは、一つの才能だ。
ぼくには、その才能がまったくない。
これが才能であることを認識していない人が、世の中、多すぎる。
世の中、落ちこぼれだらけになってしまう原因の一つは、これではないだろうか。
元記事によれば、専門学校では座学の授業もあるそうだが、プログラミングで座学の授業なんて、ぼくにとっては、悪夢でしかない。
そんなことをされたら、すぐに挫折する。
ぼくは子供の頃から、学校の授業を聞いてられない。
だから、授業中は、授業なんて無視して、自分でニマニマしながら参考書を読んでいた。
そもそも、ぼくは、中学校に入ってから、ろくにテレビを見ることができなくなった。それは、ぼくが授業を聞けない理由と同じだ。なぜかというと、テレビも授業も、ぼくの興味を無視して進んでいくからだ。ぼくの思考よりも遅すぎたり速すぎたりするし、しかも、ぼくの興味のないことも一方的に話し続ける。最悪の最悪だ。
ぼくが参考書が大好きなのは、参考書は、自分のペースで読めるからだ。しかも、自分の興味のあるところを、興味の赴く順序で読めるからだ。
ぼくは、自分に興味のないことが頭に入らない。
自分に興味のないことを頭に入れることができるというのも、一つの才能だ。
ぼくには、その才能がないのだ。
そのかわり、自分に興味のあることは、爆発的なスピードで学習する。
ぼくのようなタイプの人間は、実は、世の中には、たくさんいるのではないか。
日本の教育システムは、こういうタイプの人間のことを無視して設計されている。
だから、ぼくのようなタイプの人間にとっては、日本の学校の授業は、ひたすら苦痛なのだ。
もちろん、ぼくも、体系的に書かれたコンピュータサイエンスの本を、隅から隅まで読み込むことはある。
それによって、僕のプログラミング能力は大きくアップした。
しかし、それはあくまで、何年もの間、興味の赴くままプログラミングし続けたことで、プログラミングが血肉になり、思考の速度でプログラミングができるようになった後の話だ。
ぼくにとって、「体系的な学習」とは、「血肉化」「思考の速度化」の後にやらなければうまくいかないものであり、この順序が逆転することは、決してない。
これからプログラミングを学ぼうとしている素人は、自分がどういう学習タイプの人間であるか、よく確かめてから、学習方法を選んだほうがいいと思う。
ぼくと同じタイプの人間が、体系的なプログラミングの授業などを受けて挫折し、才能を腐らせてしまうなんて、もったいなさすぎるからだ。
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