
August 2010 の記事一覧
長い一日をとりあえず終わりにしよう。
土日が仕事できなかった分、溜まっちゃったな。
土曜は私的な用事を済ます日。
日曜日は午前中、剣道。
でも、昨日暑い中での剣道にへばって、午後は何もできなかった。。。いかん。
昼間の職場の宿題やらで、なかなか計画的にIFEの仕事ができず、
ちょっとストレスたまり気味の中で剣道はよくないね。
心正しからずば、剣また正しからず
身にしみます。
それはそうと、これからのブログは少しずつIFEの活動の取り組みを紹介したいと思います。
日々挑戦する毎日。一つ課題をクリアしたと思えば、また次の課題。
でも、そういう一つ一つの積み重ねが大事。
さあ、一時間しっかり寝て、明日からまた挑戦の日々。
気合、一発!「おやすみなさい!」

僕が大学に入る際、恩師から手紙をもらいました。
その手紙の文面は、僕にとって今でも大切な言葉です。
アフリカの活動をする際、いつもこの言葉を言い聞かせています。
“謙虚さをいつまでも忘れずに、初心のまま、他と比較しなくても
自分の環境が最高だと思えるような毎日を送ってください。
批判をすることは簡単です。けれど自分は自分、他は他。
それはそれで意味がある。
それを認めたうえで「自分」を生きていってください。
たくさんの世界を持って、大きな人間になってください。”

昨日で、産業支援プロジェクトのボランティアスタッフの応募を締め切らせていただきました。
多数ご応募いただきありがとうございました。
いま、最終選考中です。
皆さまから履歴書とともに届いたお手紙をじっくり読ませていただいております。
病み上がりですが、そのお手紙でパワーをいただいております。
本当にありがとうございます!
なお、ご応募いただいた皆さまには改めてご連絡させていただきます。
このブログはPCからアップしているのですが、この10日間ほど、ブログも更新できませんでした。
体調、崩しました。
富山に帰省したのですが、2日目にして胃が痛くなり、薬漬けでした。
帰省しても、あまりご飯も食べられず・・・・
その後東京に戻ってからも、ずっと駄目でした。
この暑さ、そして睡眠不足等たたったのだと思います。
学生時代、体を鍛えていたので、スタミナだけが自分の長所だったのですが・・・・
皆さんも、どうか無理はなさらずに・・・・
お盆に富山に帰省しました。
やっぱり故郷はいいです。
大好きです、富山。
写真は富山県五箇山に行ってきた時の写真。
手前が愛車の三菱デリカです。
皆さん、富山にぜひ遊びに来てください。


平日、仕事から帰ってきてからアフリカの仕事をすると、あっという間に3時を過ぎてしまう・・・
お問合せに対する対応とかで・・・・
外から新聞配達のバイクの音が聞こえきた・・・
む~駄目だ。もう眠い。おやすみなさい。。。Zzzzz

8月6日は広島に、そして9日は長崎にそれぞれ原子爆弾が投下された日。
改めて、亡くなられた多くの方々にご冥福をお祈りします。
僕がベナンのたけし日本語学校に行っていた時、生徒たちに「日本のイメージ」をたずねると、
ヒロシマとナガサキという答えが返ってきたクラスがあった。
アフリカでも「ヒロシマ ナガサキ」は既知なんだ。
そう、あの悲劇はもう二度とあってはいけない。
そして、日本人はその事実を忘れてはいけない。
そう思う、2010年8月10日

たけし日本語学校は、これまで赴任された日本語教師お一人、お一人が
大切に育ててきた学校。
どんな時も、教壇に立ち続け、生徒と向かい合い・・・
決して、十分な環境ではないけど。
学びたいと思っている人と、それについて教えられる人がいれば、
教育は成り立つんだとおもう。


ベナンの活動をしようと思ったのは、本当にゾマホンさんに偶然会った時から。
しかも、羽田から新宿までに向かうリムジンバスの席が隣だったというだけ。
それまで、ほとんど海外には興味がなかった。
日本語学校を立ち上げるときも、何も気負うものもなかったと思う。
時々、ベナンの活動の事を人に話したら
「立派ですね。」
と言われたりすることがあるけど、すごく嬉しい一方で、すごく恥ずかしい。
だって、偶然はじめたことだし、なんか当たり前のことを、ただしているとしか
思っていないから。
でも、やるからには良くしていきたい。
この日本とベナンが少しでも近づくように。
国際協力の仕事をしたいなら「JICA」か「海外青年協力隊」・・・
別にそこで働くことがすべてじゃない。
やろうと思えば、一人からでもできるんだ。

とにかくゾマホンさんの事を信じてみようと思った。
ゾマホンさんが日本語学校を作るときは色々批判もあった。
でも、人を育てたいと思った。
肩書きも、身分も関係なく、本当にこの国のことを思っている人を
育てたいと思った。
当時、JICAにはベナン共和国に日本語教師を派遣するプログラムはなかった。
いや、いまも無かったかも。。。
せっかくベナンで仕事をするのだから、すべてにおいて妥協はしたくなかった。
僕のやりたいことは、大きな組織でやることではないと思った。
そして、一人一人にコツコツと、日本語学校の重要性を話した。
とても遠回りしたかも・・・と思ったけど、いま思えばこれでいい。
だって、自分たちでやってきたことだから、誰のせいにもできないから。
写真は独立記念日の際、日本語学校の事を説明しているところ。
