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「暴投ばっかりでした…エラーは20個以上」名手・松井稼頭央がいま明かす西武入団1年目の秘話…なぜ希代のショートストップになれたのか?
posted2025/01/24 17:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Yuki Suenaga
発売中のNumber1112・1113号に掲載の《[最強遊撃手は一日にして成らず]松井稼頭央「色気生み出す見る力」》より内容を一部抜粋してお届けします。
入団1年目は二軍でエラー20個以上
松井稼頭央の守備には、色気があった。軽やかな足さばきから、柔らかい捕球、流麗なランニングスロー。さらには三遊間の最深部から放たれる矢のような送球。ショートストップ松井稼頭央の守備は、そこに打球が飛んだだけで期待させた。
1997年に初のゴールデングラブ賞を受けると、合計4度の受賞。また、'97年から渡米直前の'03年まで、7年連続でベストナインに選出された。世紀の変わり目を代表する遊撃手である。
しかし、松井がショートストップとしてプレーし始めたのは、'93年のドラフト3位で西武ライオンズに指名され、翌年に入団してからのことだった。
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「高校まで投手でしたからね。甲子園でも投げてますけど、PL学園の時はケガばっかりで、ライオンズに入るにあたって投手への未練は1ミリもありませんでした。ただ、野手としてはゼロからのスタートですから、走攻守、ありとあらゆる野球の要素を吸収しなければいけないのが、大変で」
フィールディング、スローイングなどの基本動作からの出発。なかでもいちばん苦労したのが捕球してから一塁へ投げることだった。
「暴投ばっかりでした。ピッチャーの投げ方の癖が残っていて、ピュッと投げる野手の投げ方が出来ない。暴投の連発です。当時は、第2球場の向こうに狭山スキー場の金網があって、そこにボールを何度もぶつけてました(笑)。入団1年目の二軍の試合では、エラーが20個以上もありましたからね。2年目から東尾(修)監督に抜擢してもらい一軍でプレーすることも多くなったんですが、監督は僕が捕球するところまでは見て、その後は目を逸らしてたみたいです(笑)。今では笑い話ですけど、早いとこ直さないといけないと焦ってました」
衝撃を受けた奈良原浩の守備
そんな選手がなぜ歴史に残る遊撃手となったのか。ヒントは松井の観察眼にあった。
松井が話すように、2年目を迎えるにあたって東尾はマウイキャンプに帯同させ、一軍のレベルを体感させた。そこで一軍の手本とすべき選手、特に奈良原浩の守備を目の当たりにして衝撃を受けたという。