2024年、開業130周年を迎えたJR青梅線。
多摩川の砂利を運ぶ、何本もの引込線がありました。
福生、小作、河辺などの廃線跡を、古地図を片手に散策します。
目次
多摩川・砂利運搬線の廃線跡巡り
石灰輸送にともに、砂利を運んだ青梅線
2024年に開業130周年を迎える、JR青梅線。
1894年(明治27年)に前身の「青梅鉄道」が開業しました。
元々は石灰輸送を主とした鉄道ですが…軍需基地への引込線も敷設されます。
基地への引込線の詳細は上記をどうぞ。
コンクリートの原料となる砂利。大正から昭和にかけて、大消費地・東京に近い多摩川での採掘が盛んとなります。
多摩川と並行した青梅線でも、砂利を運搬する引込線が敷設されました。
昭和30年代まで盛んだった、多摩川の砂利採掘ですが…
砂利採取の激しく川底が沈下、堤防の根固めが露出し始めます。
1965年に多摩川での砂利採掘が禁止となり、砂利運搬線もその使命を終えました。
今回は砂利を輸送した引込線跡のうち、福生、羽村、青梅市の3線を紹介します。
福生河原支線
福生駅から、玉川上水・加美上水橋へ
福生河原支線は、1921年(大正10年)に敷設した砂利輸送線が前身。
1927年(昭和2年)に、大正天皇・陵墓造営のため、青梅線の支線として再整備されました。
支線の長さは1.8km。電化した後、戦後も砂利採掘しましたが、1959年に廃線となります。
起点はJR青梅線・福生駅西口。駅前再開発事業も間近で、この光景もあと少しでしょうか。
駅と並行する道を北へ。右手に「本町踏切」があります。この付近から、引き込み線が分かれていました。
再び、線路際の道を北へ進むと、三叉路が現れます。左手のカーブした道が廃線跡です。
廃線跡は新奥多摩街道付近で途絶えますが… 西へ進むと、長い直線道路の廃線跡となります。右手には、福生市立第四小学校もあります。
宅地開発も進み、廃線を思わせるモノは皆無です。
奥多摩街道(都道29号)に出ます。上福生駐在所の左を直進すると…
玉川上水に架かる、加美上水橋が現れます。
今も水をたたえる玉川上水。
橋の横には「福生砂利軌道跡地」の案内版。1927年に橋を整備、現在は市の文化財に指定されています。
加美上水橋から、多摩川の河原へ
加美上水橋を渡ると、道は右にカーブします。
視界が開け、多摩川の土手へと道は通じます。
1952年・国土地理院の地図。カーブしたのち、河原と並行して線路が延びています。
廃線跡は直線に。この付近が福生河原駅跡です。
福生河原駅跡を彷彿させる遺構はありませんが… 廃線跡の雰囲気を堪能できます。
鉄道施設の残骸?
多摩川の河原。
北に見えるのは廃線後の完成した羽村大橋です。引込線は、現在の橋の手前くらいまでした。
1947年の空中写真では線路の東側に、貨物駅・関連施設らしき建物が確認できますが…
現在は、マンションやテニスコートとして活用されています。
福生にはフードメニューも美味しいカフェが目白押し。寄り道するのも良いでしょう。
東京都 小作砂利採集線
小作駅から、小作浄水場へ
「東京都 小作砂利採集線」は、村山貯水池建設のため、東京都が建設した砂利運搬線です。
1921年に敷設、戦後も東京都の砂利採石場とともに稼働し、1965年に廃線となりました。
起点は、JR青梅線・小作駅西口。
駅西側で本線と分岐します。
廃線跡は区画整理された住宅地。廃線跡は見当たりません。
線路は「くすのき児童公園」北東を通っていました。
新奥多摩街道を越え…
東京都水道局・小作浄水場に到着。
この付近に東京都財務局採石場の集荷場(貨物駅)がありました。
当時、東京は慢性的な水不足。
東京府が村山貯水池を建設し、それに必要な砂利を供給するために、採石場を稼働させました。
自治体の採石場とは、ちょっと驚きですが… 原料の調達からダムを造る、大プロジェクトだったのでしょう。
インクライン跡を辿る
集荷場から多摩川へはインクラインを敷設。この付近は河岸段丘の急斜面、福生のように河原まで鉄道を引けなかったのでしょう。
インクライン跡を辿ってみましょう。
小作浄水場の南側から、奥多摩街道の下をくぐる歩道を行きます。
つづら折りの道を下ります。
この付近一帯は「宮前自然公園」。
看板の先を進むと…
崖上のファンスとなり、「砂利採取跡」の説明板が現れます。
1961年の空中写真です。
多摩川の中州までインクラインを敷設し、砂利の採掘をした様子がうかがえます。
現在は、圏央道も通り、当時の面影はほとんどありません。
散策し終えたなら、近くのレストランで休憩するのも良いでしょう。
圏央道・多摩川橋付近のイチローさんのキマグレカフェ。特製和牛カレーも美味いカフェです。
2024年にオープンした農園レストラン 旬。農家が経営するイタリアンです。
河辺砂利運搬線
河辺駅から、青梅総合体育館へ
JR青梅線・河辺駅からも、砂利運搬用の引込線がありました。
1927年に河辺駅が開業とほぼ同時期に、引込線を敷設。
現在も青梅市内に事業所のある、昭和石材の採石場への輸送を担いました。
1965年、多摩川での砂利採掘が禁止となり、廃線となります。
起点は、JR青梅線・河辺駅南口。
廃線跡は皆無ですが、散策しましょう。
線路際の道を東へ。この付近で本線と分かれ、引込線は南へ進みます。
線路は、青梅市立河辺小学校の敷地をかすめ、南西方向へカーブします。
新奥多摩道路を渡り、いかにも廃線跡らしき道となりますが… 古地図と照合すると、どうやら違うようで、残念!
線路は、昭和石材工場まで続きます。跡地は青梅総合体育館(住友金属鉱山アリーナ青梅)。
ちなみに総合体育館は、現在の青梅マラソン・ゴール地点です。
青梅総合体育館から、インクライン跡を辿る
1960年代前半の地図をみると、工場から河原にかけ、インクライン(トロッコ)が確認できます。インクライン上部はトンネルで、急斜面で無理をしない構造のようです。
体育館南の駐車場・南面は河岸段丘の崖。インクラインの遺構らしきモノも確認できます。
体育館・南東の、八雲神社の横から西へ下ります。
この断崖に、よくぞ建てたと感心する八雲神社。
この付近、晴れると大岳山も望まれます。
坂を下り、三叉路を左折すると「河辺南自治会館」に到着します。
会館の右付近にインクラインを敷設。会館北側の崖にはトンネルがあり、工場へと通じていました。
自治会館前から南へ延びる一直線の道は、インクライン跡です。
1961年の空中写真でも、河原へ一直線に下る軌道が確認できます。
現在、砂利を採掘した河原は草地に。
つわものどもが夢の跡。遺跡はあるともいわれますが、草の影に隠れているのでしょうか?
遺構跡が少なく物足りない、という方は… 青梅総合体育館近くは、美味しいレストランが選り取り見取りです!
ナポリ系のピッツァの名店ピッツァ&カフェ トコ。
絶品炭焼きハンバーグのチャコグリル。
和食系ならひのき茶屋。安くて美味い良店です!
ラーメンなら紀の屋。八王子ラーメンが人気です。
中華系なら瑞季餃子房。穴場的な小さな店ですが、オススメです。
インフォメーション
参考文献
- 多摩市デジタルアーカイブ
https://adeac.jp/lib-city-tama/text-list/d100020/ht020650 - 歴史でめぐる鉄道全路線 青梅線 鶴見線 南武線 五日市線
朝日新聞出版 - 鉄道ピクトリアル 1992年12月号
株式会社電気車研究会 - 東京都水道歴史館デジタルアーカイブシステム
https://www.ro-da.jp/suidorekishida