このコーナーは、『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介する。
今回インタビューしたのは、元あふりらんぽで現在はムーン♀ママとして活動しているPIKA☆。東日本大震災から1ヶ月後の2011年4月に「ぴかりあ超女ポジティブみーてぃんぐ」のお誘いメールをもらっていたのだけど、伺う事が出来なかった。彼女は、何度かそのようなミーティングを繰り返し、いつのまにか「TAIYO 33 OSAKA」というでっかいプロジェクトを立ち上げてしまった。このプロジェクトには、音楽、トーク、フード、絵、占い、マッサージ… たくさんのカルチャーが、所狭しと並ぶ。何故、このようなプロジェクトを始めたの? このプロジェクトで、何を考えたいの? このプロジェクトのゴールってあるのかな? まだ20代の彼女が50人以上のスタッフと共に行う「TAIYO 33 OSAKA」について、そんな単純な質問をぶつけてみた。ちなみにPIKA☆と共にインタビューを受けてくれた池田社長は、元OTOTOYの編集部で、彼女の動きに感銘を受け、このプロジェクトのために大阪に移住した男だ。
(インタビュー : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) 文 : 水嶋美和)
第七回 : PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ) インタビュー
――まず、震災が起こった時のピカチュウの感情の動きを聞かせてくれる?
PIKA☆ : Twitter触ってる時に地震が起こって、「眩暈かな? 」って思ってたらタイムラインに「揺れた? 」「揺れた揺れた! 」って流れてきて、すぐに画面がカオスになった。異常事態やと思ってテレビを付けたら、どえらいことになってるし。2002年ぐらいから異変は感じてたんですよね。桜の咲き方も変やったし、小さい所で自然がおかしくなってきてるなって。他の国でも大きい地震が立て続けに起こってて、その流れが日本に来た時に、こうなることを知ってた気がした。なのに、そのままにしてしまっていた。そういう自分に対してもガツンと来るものがあったなあ。
――じゃあ、意識はしてたってこと?
PIKA☆ : ちょうど1年前に「ミツバチの羽音と地球の回転(監督/鎌仲ひとみ)」って映画を見てから原発に関心があった。それで2011年11月あたりでも「原発って何だ? 」をテーマにしたフェスをやろうと思ってたんやけど、その矢先に震災と原発の爆発がきちゃった。以前からも「ヒロシマナガサキ(監督/スティーヴン・オカザキ)」ってドキュメンタリー映画にあふりらんぽで出演させてもらう機会はあった。
――なるほど。原発に対する意識は高かったんやね。じゃあ震災が起きてからの1、2カ月間、ピカチュウの気持ちはどういう風に動いた?
PIKA☆ : すごい波がありましたね。とにかくみんなでコミュニケーションをとりたかったから、4月にTwitterで呼びかけてそういう機会「ぴかりあ超女ポジティブみーてぃんぐ」を作ったんです。
――3月11日以降、活動してる人たちの動きも、大きく2種類あると思っていて、一つは原発に対して考えていく人。もう一つは被災地の復興を目指していく人。僕も自分で被災地を見に行って思ったのは、まずは被災地を復興させることに力を注ごうと思ったんです。ピカチュウはどっちに?
PIKA☆ : 地球が汚れていく。汚れていくって言葉も違うよな… ただ人間が住めなくなるだけの話やから。でもあの放射能を海にだだ流しにしているシーンは強烈やった。うちはツアーで海外にいっぱい行ってて世界中に友達がおって、その人たちに迷惑をかけていることが申し訳なかった。あふりらんぽでは世界中を楽しませたいと思って演奏してたのに、ステージで使っていた電気も元は原発から来てて、そこに気付かなかった自分が悔し過ぎた。今でも怒ってます。
――じゃあ、4月にピカチュウが企画したイベント「ぴかりあ超女ポジティブみーてぃんぐ」も、未来のエネルギーを考えていくためだったの?
PIKA☆ : というより、「東電のうそつきー! 」っていう世間のムードがすごかったやん。確かに責任をとらなあかん立場ではあったけど、問題の責任全部を誰かのせいにしてる世の中をどうにかしたかった。あと、責任問題抜きで、今の日本の状況についてみんなで本音で話し合える場所も欲しかった。あの時の日本って、言い合ってる場合じゃなかったし。
――なるほど。池田くんの意識はどう? 関心が被災地の復興から原発問題に移ったように思えたけど。
池田社長 : 俺は実家が福島だからね。震災が起こってすぐに「ギブミーベジタブル(池田社長が主催するチケット代わりに野菜を支払い、アーティストへのギャラも野菜で支払うイベント)」で集まった野菜を飯田さん達と一緒に気仙沼に届けに行って、タダごとじゃなくなってるんだろうなって思ってたけど、想像以上だった。
――2人が企画、運営に携わっているイベント「TAIYO 33 OSAKA(以下、33)」について聞きたいんだけど、このタイトルを考えたのは誰?
PIKA☆ : DODDODOやオニとか色んな人に相談して、3月3日やし33かなって。みんなで決めました。
――なるほど。最初から3月3日に行うフェスを目指して動いてたってこと?
PIKA☆ : もともとはもっと早い、2012年の3月を目指していたんですが、実際に動きだしたらそうはいかなかった。テーマも大きいから、もっと長い目で続けないとあかんプロジェクトやなと思って、来年2013年まで引き延ばすことにしたんです。
――2013年にはどういうことをするの?
PIKA☆ : どでかい祭。もう、なんじゃこりゃーってやつ。
――そのどでかい祭について、今言えることはある?
PIKA☆ : みんなやっぱりアイディアは持ってるんですよ。実際にそれを行動に移す機会がないだけで。それをできる場所を作ったり、メディアに出てなくてもすごい活動をしてる人はいっぱいおるから、そういう人に表に出てもらってみんなで影響しあえるような場を作ったり。もちろん、専門家に話を聞かせてもらう場を作ったりね。例えば、西成(大阪最大の簡易宿泊街)のおっちゃんからオノ・ヨーコさん、宮崎駿さん、うちらみたいな人間、誰もが同じ立場で、みんなでコミュニケーションをとれるのが祭やと思う。みんなでバンドするみたいなね。
――このイベントで、何かを変えたいと思ってる?
PIKA☆ : 後のことはわかんないですよね。あと、そこに向かってる今の過程こそが大事やと思う。今、人との繋がりがどんどん広がっていってて、自分自身勉強できてるし、このイベントを動かすことでみんながポジティヴになっていってる。そういうポジティヴ・パワーを広げて行きたい。このイベントがどれぐらいの規模まで広がっていくかはわからんけど、原発どうのこうのを越えたその先に、みんなで行きたいな。
――みんなっていうのは?
PIKA☆ : みんな… それぞれの幸せは違うんですけどね。それでも、みんな気持ちいい状態になれる瞬間が私はあると思うんです。めっちゃ誠心誠意こめて人とぶつかればみんなが幸せになれることってあると思う。あふりらんぽのライヴや活動の中でその可能性を感じることは多々あったし。
――では、「TAIYO 33 OSAKA」に池田君はどう関わっていったんですか?
池田社長 : 4月の「ぴかりあ超女ポジティブみーてぃんぐ」に行ったんですけど、ピカチュウとは共通の知人が多かったんだよね。そこで初めて会って、その後に一緒に気仙沼や8月15日の「フェスティバルFUKUSHIMA!(大友良英、遠藤ミチロウ、和合亮一が中心となり、福島市で開催された世界同時多発フェスティバル)」に行って、9月に「TAIYO 33 OSAKA」をやりたいって話を聞いて、これはやった方がいい。俺が手伝おうと思ったんです。
――池田君がそう思った理由って何だろう?
池田社長 : 震災時、俺は東京にいて、その後宮城、福島、関西に行ったんですけど、それぞれ距離が離れていると関心の強さも違うし、知識量も違う。温度差がすごいあるんです。でも今起きてることって福島だけの問題じゃない。これは何とかしないとって思ったんです。「フェスティバルFUKUSHIMA!」みたいに被災地でそれをやるのも大事だと思うけど、まだこれから知っていく人たちと一緒に学んでいくのも、被災地を復興させることと同じぐらい大事なことなんじゃないかなって。
――なるほどね。でも「それってうまくいくの? 」と思ってしまう。僕も実家は関西やけど、帰省した時の関東と関西の温度差に「あら? 」って思ったもん。震災や原発のことを話しても「こっちは紀伊半島の台風のことばっかりだよね」って言われて、そりゃそうやなと思った。身近な事件に強く反応する方が自然だから。その点で、「TAIYO 33 OSAKA」の活動はどれぐらい賛同を得てるの?
PIKA☆ : 今はまだ分かりづらいって言われてる。でも、イベントに来たらみんな何かを思って帰ってくれるし、まず知らん人に知ってもらいたいっていうのがすごく強くあるから。
――このイベントには原発反対のムードが漂ってるけど、それを明確に打ち出してないよね?
PIKA☆ : いや、「脱原発のプロジェクトではないです」ってはっきり言ってる。 何でそうなったかっていうのは、やっぱり「33」は新しい祭やから。新しいものをつくるんやったら、片方側の人間だけが集まってるんじゃあかん。てか、片方とか、そんなんも無い。みんな一緒、同じって言いたいんです。わかりやすい形で実現するのは少し難しいけど、今模索しながらやっています。
――じゃあ、ピカチュウは原発についてどう思う?
PIKA☆ : うちの話で言えば、脱原発派。でもそれは原発を否定しているわけじゃないんです。実際、原発を守りながら働いてくれている人もおって、大阪万博博覧会の時にはみんなが原子力が生んだ電気に夢を見た訳やんか。そのおかげで戦後ここまで復興して、その危険性が見えたからって一気に敵に回したらあかんと思う。だから、原発の存在と、私達がその恩恵をうけてきたことをまず認めて、説得して、これからのことを一緒に考えていけたら最高やなって。地球人が太陽を自分のものにしたかったっていう発想から始まったことで、「でもやっぱり無理やったねえ」で終わらせたらいいのに、そこに向かって怒り散らして「反対! 」っていうのも可哀想やなあとうちは思ってしまう。だから、うちは脱原発も原発も責めないし否定もしない。そういう姿勢をとっていれば、自分と違う意見の人でも話を聞いてくれるようになると思う。みんなで間違ってしまっていたんじゃないのかな。
――震災後、東京では反原発運動がすごく盛んで異様な盛り上がりだったんです。でも僕はそこにすごい違和感を感じていて、「原発反対」なんてずっと昔から言われていることで、でも代替案が出て来ないから進まないんじゃないの? 次は何がいいの? それを伝えてよ! って思ってたところで、鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」を見た。自然エネルギーという明確なこの提案が嬉しかったんです。このRIVIVE JAPAN WITH MUSICを始めたのも、「脱原発! 」とか「反対! 」とか強い言葉だけじゃなくて、その先のことをどう考えているのか、みんなに聞きたかったんだよね。「33」では、これからのエネルギーについてどう考えてる?
PIKA☆ : 一応3月3日はソーラー発電でいく予定。あと人力発電で自転車もやろうかって話してて。アクションはどんどん起こしていきたいけど、その前にあまりにも知識がなさすぎるから、色んな人に話してもらって学んでいってる状態。もんじゅ(福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉)も見学に行って、そこで働いている人とも話をしてきた。
――じゃあ、姿勢としては「新しいエネルギーを作ろう」ってこと?
PIKA☆ : うーん… 「新しいエネルギーを作ろう」じゃなくて、「エネルギーはここにある」ってテーマです。
――そのエネルギーって?
PIKA☆ : 自分のエネルギー。自分が本気にさえなれば、難しかろうと今あるもので何でも作れるねん。なかったら探しにいけばいい。それをもっと言いたい。自分達が実感してきた言葉を使いたい。かつ、このプロジェクトでは受け手と作り手に分かれたくないんです。みんな作り手なんです。この世界も。だから分かりづらくなってるんかもしれへんけど、みんなで「33」って祭を作りたいねん。
――なるほど。ピカチュウ個人で「原発反対」「次は自然エネルギーだ」って言った方が、伝わりやすくはあるもんね。
PIKA☆ : うん。でも「33」にその考えは持ち込みたくない。私が脱原発なのと「33」とはまた別なんです。新しいものを作るための場所やから、フラットというか、ニュートラルに透明であり続けなくてはならない。反対派の人も推進派の人も、冷静に建設的に同じ場所で自由に声が出せる場所を作りたい。
――関西の人たちは、ピカチュウたちがやっている活動にどれくらいついて来れているの?
PIKA☆ : じわじわと広がってる、うねり始めてるなっていうのは感じます。でもやっぱり色んな人から「よう分からん」って言われるし、集客もそんなによくはないねんけど、何か新しいことを始める時ってこんな感じなんやろかと思ってる。
――今、スタッフは何人くらい?
PIKA☆ : 具体的に、協力してもらっているのは50人ちょっと。実際に一緒に動いてくれているのは10~20人かな。それを仕切るのはめっちゃ大変なんですけど、めっちゃ面白いんですよ。なんか会社みたいになってきて。飯田くんにOTOTOYの話も聞きたかってんな。OTOTOYって最初から会社やったん?
――もちろん。
PIKA☆ : 「33」ももしや会社になってったりすんかなぁ? って気もするんやけど、どう思う?
――ちゃんとするなら会社になった方がいい。ボロフェスタ(飯田が主宰の一人を務める京都のインディー・ロック・フェスティバル)は会社じゃないけど、10年続けた先にやっと見えて来たものもあって。「33」も2013年3月3日で燃え尽きて灰になってしまったら意味がないやろうし、続けるためにも会社にするのはアリかもなあ。
PIKA☆ : 「33」をどんどん大きく、それこそ世界規模にしたいねんな。もちろんそのためにはいろんなノウハウを勉強せなあかん訳やけど。ほんまに、世の中の概念を仕組みから変えたいねん。愛のあるお金を巡らせたい。今言った「33」を会社にするって考えは、みんなで本当にいいものを考えて、何か新しいものを興して、世の中に巡らせていくってこと。今は祭って呼んでるけど、それをビジネスに置き換えることはできないのかなって思ったりしてて。
――なるほど。でもボロフェスタは祭にしたかったから、ビジネスにすることは諦めてんなあ。
PIKA☆ : そうなんや。ビジネスって言葉に対してすごい汚いものってイメージがあってんけど、避けていくよりも飛びこんでいった方が理解できるんかなあって、今話しながら思ったけど。
――ビジネスが汚い、悪いものっていう概念は僕はもう全然ないなあ。音楽だけやってた20代の頃はあったけど。今OTOTOYのチーフ・プロデューサーとして必死で働いてる訳やけど、誰のためかっていうと、一緒に働いてくれるスタっフやOTOTOYの商品をいいねって言ってくれるお客さんやOTOTOYが好きで集まってくるアーティスト達のためやねん。
PIKA☆ : わかるわそれ!
――それがあるから頑張れる。そしてOTOTOYがビジネスとして成功したら、かなり多くの人間にお金を渡せることになる。だから、もちろん全てに当てはまる訳ではないけど、ビジネスってとても大事だと思っているよ。紳士的な経営者にもいっぱい出会ってきたしね。
PIKA☆ : そういうところをほぐして紐解いて、もっとビジネスじゃない人にも伝えていきたいねんな。もんじゅで働いてるおっちゃんもめっちゃいい人やったし、そういう人たちや中のことを知った上で、「さて、ほんまにいいものって何やろうな? 」というのをみんなで考えていく。「みんな」って言葉も怖いんやけどな。でも物事を動かす、人の意識を変えるのには、大勢の力が必要やと思う。
――「33」のお金周りのことを聞きたいんだけど、今、お金はイベントで集めてる?
PIKA☆ : うん。でもなかなか難しいなあ。マイナスやわ。でも「33」のメンバーってほんまにみんなめっちゃいい人で… 「33」のシステムってご存知ですか?
――33%で分配するんだよね?
PIKA☆ : そう。イベントで得た収益から、経費とお店に必要なお金を引き、純利益33%をイベンター、残りの67%をアーティストで分配するんです(TAIYO33OSAKAが得た33%の収益は、今後の祭り基金として活用)。だからイベントではなかなかお金は貯まらないんですよ。でもこの間の「PAOS!(「TAIYO 33 OSAKA」のプレ・イベント)」に出演してくれたざxこxば、クリトリックリス、山本精一さんはじめ、ほんとみんなみんなエネルギーのことを考えてて、そういう思いで演奏してくれたり、その日のために新曲を作ってくれてたり、新しい流れが生まれ始めてるなあと感じてます。そこに反原発でもそうでなくても、いろんな気持ちがあったらいいと思う。家に帰る時に何かしらの気持ちや考えを持ち帰る。そういう場所を作りたいんです。
――なるほど。何かの意思を示さなきゃいけない場所ではない。色んな意見の人が集まっていい。その考えが「33」の一番いい所であり、一番伝わりにくくしている所でもあるんだろうね。
PIKA☆ : そうやねん。どうしても対立しそうになるねんな。
池田社長 : それがわかりやすいからね、一番。
――でも戦いだしてからが本番ってところもあるでしょ?
PIKA☆ : そうやね~。
――じゃあ2012年、「33」としてはどう動く予定?
PIKA☆ : 色々とやるつもりではいるけど、「何が出てくんのやろ! 」ってワクワクしててほしい。実際、今うちも思いもよらん人に出会ってるし、思いもよらんところに行ってみたいって気持ちがすごいある。奇跡本願ではなくもちろん努力を土台にして、みんなのパワー集めたい、みんなの協力あってのすごい祭にしたいし、そうなると思う。すでにそうなんです。
――大きいムーヴメントになって、たくさん人が集まり出したらいいよね。これからどうなるかなあ。
池田社長 : いろんな人が繋がり始めて、中ではかなりいい感じに動き始めているんですけど、まだそれが外に出ていない感じがある。内輪ノリになっちゃわないようにしないとですよね。
――イベントってそこを気を付けないとね。一般層の人にどう伝えるか、その方法を考えるのがすごい重要。
PIKA☆ : そのためには主催者がもっとポリティカルなところに足を突っ込んだり、自分の分野以外の場所にも顔出したりしないとなと思ってて、今めっちゃ走り回ってる。市民投票も請求代表人になって、みんなと動いたりみんなを動かしたりしてて、それによってちゃんと広まってきたし。
――ピカチュウがそういう動きしてるなら、これから音楽層意外にも広がっていきそうだね。
PIKA☆ : でもやっぱりまだまだかな。うちがTwitter等で言い始めたことにみんな賛同して集まってくれて、信じて頼って有志のみで色々動いてくれている。私ももっと信じて頼って、もっと大きなネットワークを広げて、もっともっと多くの人と一緒に色々やりたいんです。ほんと感謝してます。
(2012年1月24日取材)
TAIYO 33 OSAKA!『太陽大感謝プレ祭り』
2012年3月2日(金) @大阪 福島 pinebrooklyn
【第1部】
開場 12:30 / 開演 13:00
前売り 800円 / 当日 1,000円 ※中学生以下は無料(要証明)
★シアター : 「ミツバチの羽音と地球の回転」
【第2部】
開場 17:20 / 開演 18:00
前売り 2,012円(ドリンク代別) ※中学生以下は無料(要証明)
★ライヴ : ハンバートハンバート、山本精一&原子力潜水艦
★トーク : 鎌仲ひとみ「守りたい! 未来のために」
★シアター : 「ミツバチの羽音と地球の回転」
★DJ : コーヒールンバ、威力
★33ワークショップ : お手軽酵素ジュース~酵素生活を始めよう~、日本古来の「麻」文化と人類への効用のお話(「日本麻協会」事務局)
★写真/スライドショー : 夜明け/山内悠
★絵の具舞踏 : 谷内一光
★インタラマンゴ文明 : 民芸人/あど、NEOTAO、ONEGAIGOTO、スイート☆ペニス☆ハテナちゃん、ヌケメ、F-hirunn、ぺーどろりーの
★33マッサ~ジ : 直傳靈氣 PIKA☆/里芋/アンジ、操体法 植田良太、楽健法 呉山夕子、宇宙マッサージ プリミ恥部
★デコレーション : コタケマン、OLEO
★展示 : 石田真也
★太陽33発電所 : <自転車発電>上町電力沖田電気株式会社、<太陽光発電>RA 田口ソーラー
★ショップ : エジプトレコーズ、りんご野、IN/SECTS+Pulp、THE BIGISSUE、ユワルレ
2012年3月3日(土) @大阪 福島 pinebrooklyn
【第1部】
開場 12:00 / 終了 17:00
前売り 2,012円(ドリンク代別) ※中学生以下は無料(要証明)
★ライヴ : 二階堂和美、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.、TAIYO 33 BIGBAND
★トーク : 田中優(未来バンク事業組合理事長)『持続可能な未来を作る! 今からできる新しいエネルギーの話』
★DJ : コーヒールンバ、威力
★33ワークショップ : 世界の自転車発電事情(上町自転車)、次郎さんのおいしいつけもの講座(東小橋有機ファーマーズマーケット)
【第2部】
開場 18:00 / 終了 22:00
前売り 2,012円(ドリンク代別) ※中学生以下は無料(要証明)
★ライヴ : 大友良英×七尾旅人、ムーン♀ママBAND(ピカ☆×坂本弘道×ナスノミツル)、TAIYO 33 BIGBAND
★トーク : 木村真三(放射能衛生学)『放射能になんか、まけないゾ!』、木村真三×大友良英対談『チェルノブイリで見て来たこと』
★DJ : コーヒールンバ、威力
★33ワークショップ : ソーラーたこ焼き、若者会議
2012年3月3日(土) @梅田シャングリラ&MAMBO CAFE
開場 22:00 / 開演 22:00
入場料 : 2drink(1,000円)
★ライヴ : EXPE AMAZON FUNK、EATER、AOKI takamasa、WATANABE、PARAPHONE
★DJ : BING a.k.a kajiwara toshio、KA4U、威力、コーヒールンバ、カナディアン、DISTEST、kihira naoki、kobayashi、mongoose、shingo、kunio asai、ONO
★VJ : Moairoq
★FOOD/SHOP : 振る舞いフルーツ甘茶蔓、ecompa、手、いかれ帽子屋、乙カレー、vearth(crftart&books) and more!!!
★DECO : mahoramatamago
▼チケット購入方法・諸注意等はこちらまで▼
>>TAIYO 33 OSAKA official website
PIKA☆ PROFILE
1983年12月7日、大阪阿倍野生まれ。2002年、高校卒業後、自身の写真個展のオープニングをきっかけに脳みそすぽんぽん野蛮娘2人組最強ロック・バンド「あふりらんぽ」を結成。ドラム、ヴォーカル担当。2003年、自力アメリカ・ツアーを決行。瞬く間に噂の日本人バンドとなり、ソニック・ユースのイギリス、オランダ公演前座を努める。アメリカ、イギリス、アイルランドなど、大阪を拠点に世界10ヶ国以上を飛び回る。2004年、「ジャングルで原住民族と電気もないなにもない生活がしてみたいっ! 」という思いから、バンド・メンバーであるオニとアフリカ、カメルーンで約2ヶ月、世界三大音楽で有名な「ピグミー/バカ族」と森の中で歌って踊る。2005年にキューンレコードからメジャー・デビュー。「FUJIROCKFESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」「タイコクラブ」等、多数のフェスティバルに出演。2006年にはUKのフェスティバル、「All Tomorrows Party」でオノ・ヨーコとの共演も果たす。2007年、あふりらんぽ活動休止をきっかけに、ソロ活動を始める。2008年、ギター弾き語りソロ「ムーン♀ママ」ミニ・アルバム『幸せの可視』を自主レーベルからリリース。2009年、平岡香純監督の映画「落書き色町」主演。調布映画祭フランプリ、ロッテルダム映画正式出品し、世界18カ国、40の映画祭で上映される。2010年、「あふりらんぽ」解散。本格的にソロ活動開始。ソロになってからも国内外の演奏活動に精を出す。音楽、写真、絵画、役者活動、パフォーマンス等、幅広い視野で唯一無二な人間力的表現活動を目指す。
池田社長 PROFILE
1981年生まれ。音楽家、ライター、ディレクター、プロモーター。主な活動は雑誌、web上でのライター業、編集、アート・イベントの主催。音楽家として全国の音楽イベントやライヴ・ハウスにて活動中。入場料、アーティストのギャラが野菜のイベント「ギブミーベジタブル」を主宰。東日本大震災を受け、食の提供、こどもの心身サポート、地元工芸品などの制作販売支援などの活動を目的に設立した「まんまる」のメンバーでもあります。
>>まんまる official website
>>ギブミーベジタブル official website
連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」
- 第一回 : 大友良英インタビュー
- 第二回 : 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)インタビュー
- 第三回 : 山口隆(サンボマスター)インタビュー
- 第四回 : Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT) インタビュー
- 第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー
- 第六回 : 小田島等(デザイナー/イラストレーター) インタビュー
OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム
『Play for Japan Vol.1-Vol.6』
『Play for Japan Vol.7-Vol.10』
>>>『Play for Japan』参加アーティスト・コメント一覧はこちらから
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2011.04.23 「Play for Japan in Sendaiへ 救援物資を届けに石巻へ」レポートはこちら
2011.05.02 箭内道彦(猪苗代湖ズ)×怒髪天の対談はこちら ※「ニッポン・ラブ・ファイターズ」ダウンロード期間は終了いたしました。
2011.06.11 「SHARE FUKUSHIMA@セブンイレブンいわき豊間店」レポートはこちら
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