佐久間正英と共にレコーディングし、学び、創造したものとは?ーーアンドロメルト、渾身のデビュー作を先行ハイレゾ配信
Myspaceを通じて送った音源が、音楽プロデューサーの佐久間正英の耳にとまり、共にレコーディングをするなどじっくり楽曲制作に励んできた才能たちが、バンド名をアンドロメルトにし世の中に放たれる。ソリッドなギター・カッティングとともに疾走感あふれる楽曲で幕をあける『子供と動物』は、電子サウンドが組み合わさることで、その野性味溢れる生々しさが際立っていく。それでいて、青木凛のヴォーカルとメロディが相まって、キャッチーさも持ち合わせた好作となっている。そんな本作をハイレゾで先行配信。さらに、そのなかから1曲フリー・ダウンロード、そしてメンバーへのインタヴューで彼らの魅力をお伝えしていく。御託は置いておいて、聴いて判断してみてほしい。
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佐久間正英レコーディングの7曲を中心に完成させた1stアルバム
アンドロメルト / 子供と動物(24bit/48kHz)
販売形式 : ALAC / FLAC / WAV
販売価格 : 単曲 194円 まとめ購入 1,296円
1. レスキューインフェルノ / 2. イナズママテリアル / 3. ペリドット / 4. マジカルパウダー / 5. カラカラ / 6. 空中ゼラニウム / 7. さよならスパイダー / 8. 永遠の人
INTERVIEW : 青木凛、林田憲和、中村康伸(アンドロメルト)
1980年代以降、BOOWY 、THE BLUE HEARTS、くるり、 GLAYといったバンドの作品を手がけては数々のヒット作を世に送り出した音楽プロデューサー、佐久間正英。その佐久間が生前に気に入り、実際にプロデュース役を担当したインディー・バンドの作品がこの度リリースされることになった。フロントマンでメイン・ソングライターの青木凛を中心に活動していたこのバンドの名前は否[i-na]。SNSを通じて佐久間にコンタクトをとったという彼らは、自ら佐久間に協力を頼み、2011年11月から2013年4月にかけてレコーディングを敢行。しかし、そこで録音されたものはバンド内の事情でしばらくお蔵入りとなっていたようで、しばらくして否[i-na]はバンド名をアンドロメルトと改め、中村康伸をドラマーに迎えた新しい布陣で、ようやくその音源はリリースされる運びとなった。
一方で、どうやらこの『子供と動物』と名付けられた作品は、彼らが佐久間と共に録った楽曲だけをまとめたものでもないようだ。佐久間が録音した7曲に、現体制で新たに録った1曲を加えて構成されたこのアルバムは、いわば否[i-na]がアンドロメルトに生まれ変わるまでの変遷を捉えた作品とでも言えばいいだろうか。そこで今回はこの『子供と動物』という作品の内容を紐解くべく、青木らが佐久間と共にレコーディングを行った当時のことから、このバンドをリスタートさせるに至った現在までの経緯を本人たちに訊いてみたいと思う。
インタヴュー&文 : 渡辺裕也
佐久間正英との出会い
ーー今回のアルバムは、レコーディングされてからけっこう時間が経っているそうですね。
青木凛(以下、青木) : そうなんです。とはいえ、ちゃんと完成したのはホント最近のことなんですけどね。これまで私たちは否[i-na]として活動してきたんですけど、バンドの音楽性が少しずつ変わって、メンバーも入れ替わっていくなかで、「今の自分たちはやりたいことを正しく表現できているのか」みたいな考えに行きついてしまって。そこで一度リセットしたくなって、だったらバンド名を変えるのが一番わかりやすいだろうと。なので、このアルバムの最後に入っている「永遠の人」という曲だけは、現在の編成になってから録ったものなんです。
ーーなるほど。あの曲だけは佐久間さんが亡くなられたあとに録ったものなんですね。
青木 : はい。だから、今回のアルバムには否[i-na]として佐久間さんと一緒に録音した楽曲と、このメンバーになってから録った楽曲の両方が入っているんです。そうすれば、私たちがアンドロメルトとして変化した部分をうまく伝えられるかなって。
ーーそこでまずお伺いしたいのが、みなさんと佐久間正英さんのつながりについてなんです。佐久間さんとはどのようにして出会ったんですか。
林田憲和(以下、林田) : 佐久間さんとはMyspaceを通じて出会ったんです。一時期、僕がMyspaceを通じていろんな方に「僕らの音楽を聴いて下さい」という連絡をひたすら送っていたことがあって。連絡していた人のなかには他にもけっこう有名な方がいらっしゃったんですけど、そこで唯一返事を返してくださったのが、佐久間さんだったんです。それも一言だけ「いい音楽ですね」って。
ーー佐久間さんの手がけた音楽は、元々よく聴かれていたんですか。
林田 : もう、めっちゃくちゃ大好きでした(笑)。それこそJUDY AND MARYとか、佐久間さんがプロデュースしていた作品もよく聴いていたので、その気持ちをまずは伝えたうえで、「もしよかったら、いつかプロデュースしてほしいです」と伝えて。で、そこから一年ほど経って、バンド内でもそろそろ録ろうという話が立ち上がった頃に、ダメ元でまたお願いしてみたんです。そしたら「僕でよければ喜んでやりますよ」とおっしゃってくれて。
ーー佐久間さんも覚えていたんですね。それですぐにレコーディングは始まったんですか。
青木 : その前にまず、私たち二人であいさつに言ったんだよね?
林田 : そうそう。それで作品をどういうふうにやっていこうか、まずは佐久間さんと簡単に話し合って。あと、佐久間さんは僕らに向けて「アマチュア・バンドの音ではないよね」とはよく言ってくださってました。佐久間さんは「インディー」ではなく「アマチュア」ということばをよく使っていて、ツイッターとかでもよく「アマチュアのレヴェルがメジャーに所属するバンドと変わらなくなってきている」みたいなことはよくおっしゃっていたんですけど。
ーーそのレヴェルというのは、つまり演奏面やソングライティング・スキルに関すること?
林田 : そうです。その差が90年代までは明らかにあったんだけど、今はそれがなくなっているって。そのうえで、佐久間さんは有名無名の隔たりなくいろんなバンドに興味を向けている方なんですよね。それこそボカロ音楽とかにもすごく詳しいし、流行っている音楽に対して自ら積極的に情報を得ようとしているのが、僕にもよくわかりました。
佐久間正英とのレコーディングから学んだこと
ーーでは、レコーディング自体はどんな工程で進められたんでしょう。
青木 : 大きく3回にわけて行われました。レコーディング中の佐久間さんは、いつもソファに座ってiPadなんかをいじりながら横で見ていてくれているんですけど、そこで私たちが漠然とした悩みをぶつけると、佐久間さんは自分たちが見ている視点とはまったく別の角度からその悩みを一刀両断してくれるんです。それがまさに鶴の一声というか。それってきっと、佐久間さんのなかで固まっている考え方があるからこそできるアドヴァイスですよね。だからこそ、佐久間さんは私たちの疑問にも柔軟に対応してもらえるんだなって。そのおかげで作業はものすごく順調に進んでいきました。
林田 : その一方で、佐久間さんから「ここはこうしなさい」みたいなことは一切なくて。自分たちが少しでも迷っているところはすかさずフォローしてくれるんですけど、それ以外はすごく自由奔放にやらせてもらえました。
ーーあくまでもバンドが目指す方向性を尊重してくれたんですね。その一方で、やっぱりこうして録音作業を共にすると、佐久間さんなりのポリシーを感じる場面もきっとあったんじゃないかと思うんですが、いかがでしたか。
青木 : 佐久間さんがおっしゃっていたなかですごく印象に残っているのが、「速度」という言葉でした。「強い音を出したいときは、強く弾くんじゃなくて、速く弾くんだよ。そのスピード感が音圧にもつながっていくんだ」って。それはヴォーカルについても言えることで、メロディーの一音と語感や言い回しがうまく合うと、不思議と曲に速度がでるんですよね。
林田 : もっとわかりやすく言うと、「ギターのストロークは手を振り下ろすスピードが速ければ速いほど音が前に出てくる」ということですね。あともうひとつ、佐久間さんが何度も強調していたのは「音は機材じゃなくて弾くニュアンスで変わる」ということでした。同じ機材でも弾く人によってまったく違う音になるって。実際、レコーディングで自分のイメージしているような音が出せなくて困っていると、佐久間さんは「憲くん、次はこういう感じで弾いてみて」と言ってくれて。で、その通りに弾くと、本当にイメージしていたような音が出たりするんですよ。あれは、今まで自分に足りなかったものがはっきりとしていくような体験でしたね。
ーー演奏や歌唱の面の具体的なアドヴァイスがあったんですね。お話を聞いているとレコーディングはかなり快調に進んだようですが、その音源のリリースにここまで時間を要したのはなぜだったんでしょう。
青木 : もちろん、私たちとしてもその時点で録ったものをすぐに出すつもりだったんですけど、バンドの事情や音楽性の変化もあって、しばらく見送らなきゃいけない状態が続いてしまって。でも、私たちはこのレコーディングを通じて佐久間さんから本当にいろんなことを教えていただいたから、この作品を通して学んだことは絶対に世に出したかった。ただ、その時に録ったものだけで作品を終わらせてしまうのも違うと思ったので、今のメンバーで新しく録ったものを1曲プラスしたんです。佐久間さんへの感謝の気持ちと、そこから自分たちが前に進んでいくという想いを、このひとつの作品にまとめたかったというか。
ーー変化といえば、「否[i-na]→アンドロメルト」という名前の変化も、バンドの印象を大きく変えていますよね。
青木 : そもそも否[i-na]という名前が、若干テキトーだったというか(笑)。当時、オーディションみたいなものに応募するにあたってバンド名を決めなきゃいけないというときに、当時のメンバーと「英語のバンド名が多いから、漢字がいいんじゃない? たとえば“否”とか」みたいなやり取りがあって、それでそのまま否[i-na]で決まっちゃったんです。だから、そのバンド名と音楽性にあまり関わりはなかったんですけど、少しずつ私たちの楽曲にピコピコした音が増えていくうちに、どうも否[i-na]という名前がしっくりこなくなってきて(笑)。そこで否[i-na]に〈アンドロメルト〉という曲があったので、それをバンド名にしたんです。
ーーなるほど。サウンドにエレクトロニックな要素を加えたのが大きな転機だったんですね。
中村康伸(以下、中村) : そうですね。僕は否[i-na]のホント初期に、1年くらいサポートでドラムをやらせてもらった時期があったんですけど、その頃の彼らはグランジみたいな感じでしたから。それが今からだいぶ前のことになるのかな。そのあとに否[i-na]は正式なドラマーが決まったので、その後の僕は別で活動をしていたんですけど。
ーー初期はグランジだったんですか。ちなみに中村さんはどのような経緯でこうして正式メンバーになったんですか。
中村 : 憲くんから「ちょっとライヴ観にきてくれない? いろいろ困ってて」みたいな連絡がきて。それで実際に観に行ったら、「バンドの方向性を少し変えていきたいと思ってる」と話されたうえで、ドラムに誘われたんです。それで音源をいくつか聴かせてもらったら、僕がサポートしていた時期とはかなり楽曲が変わってて、「これは今の自分がやりたいことに近いし、おもしろいかもしれない」と思って。
アンドロメルトとして引き継がれた佐久間正英の遺伝子
ーー初期のヘヴィなサウンドから、現在のポップなサウンドを志向するようになったのは、なにかきっかけがあったんですか。
林田 : 僕がけっこうエレクトロやダンス・ミュージックを好んで聴いてたんだよね?
青木 : あと、ザ・ミュージックが好きだったんだよ。それで自ずと4つ打ちをやろうと(笑)。
林田 : そう。で、そういうイメージで1曲つくってみたら、けっこういい手ごたえがあったんですよね。それでしばらく曲づくりを重ねていくうちに、自然と出来上がるものが変わっていったというか。
青木 : それに、このバンドは元々ピン・ヴォーカルでやってたんですけど、サウンドの広がりをより意識するようになった影響で、鍵盤を弾きながら歌うようになったんです。そうしたら鍵盤で出す電子音とダンサブルなビートの流れがうまく一致したというか。今では曲の作り方もけっこう変わりました。以前はオケ先で、詞は最後に書いてたんですけど、今は歌詞とメロディーを書いたら、それに伴った最適なアレンジが付随すればいいなと思ってて。だから、グランジとか電子音とか、そういうことじゃなくて、曲がアレンジを吸着していくようなものにしていきたいんです。
ーー佐久間さんとレコーディングした時期と現在を比べても、みなさんのなかには様々な変化があるようですね。そうなると、現在のみなさんは佐久間さんと共に録った7曲とはどう付き合っているんですか。
青木 : もちろんあの中の曲にも、今の自分たちと折り合いがついている曲はいくつかあって。だから、今後はそこに新しい曲をどんどん加えていけたらいいなと今は思ってます。だから、ホントこれからなんですよね。
林田 : 僕は、こうして佐久間さんと一緒に録ったものを、自分でもけっこうよく聴いていて。違和感もいまだにまったくないですね。すごく手ごたえのよい作品だし、佐久間さんがスネア一個のちょっとしたニュアンスまでこだわって録ってくれているので、そういう意味ではすごく完成された作品だと思う。
ーーでは、中村さんはこの作品をどう見ていますか。ご自身がバンドに参加する前の作品が、今こうして世にでるわけですが。
中村 : 自分はこれをどうやって人に紹介すればいいのか、正直すこし前までは戸惑ってました(笑)。でも、このアルバムをマスタリングするまでの過程で、佐久間さんの録った音の奥深さに少しずつ気付いていって。たとえば、60~70年代に録音された音楽って、聴けば聴くほどいろんな発見のあるものがたくさんありますよね? それとまったく同じようなものが、佐久間さんの録音からは感じられたんです。だから、こういう音楽が今もここにあるんだということを、少しでも多くの人に知ってほしいと今は思っていて。
ーー佐久間さんが残した録音のすごさを伝えたいと。
林田 : まさにそうですね。僕は最近の音楽もいろいろ聴く方なんですけど、今って音圧でガツンと聴かせる煌びやかなサウンドが多いんですよね。それと比べると『子供と動物』には、そういう今っぽいゴージャスさはないと思うんです。でも、この作品はひとつひとつの音がすごく生き生きとしているし、そこにすごく奥深さがある。そういうニュアンスの素晴らしさや、「こうやって弾き方を変えれば、ギター一本でこんなにいろんな音が出るんだよ」みたいなことを、佐久間さんは僕らにたくさん教えてくれたので、それを僕らも伝えていけたらいいなと思ってます。人が弾く力をもっと大切にしていきたいなと。
青木 : うん、私も音の人間味を大切にしていきたい。佐久間さんのつくるサウンドって、自分がステージ上で音につつみ込まれていくような感覚にさせてくれるんですよね。そういう体温みたいなものを感じられるようなサウンドを、これから自分たちでもつくっていけたらと思ってて。とはいえ、それってもちろん簡単には出来ないことなんですけど。
ーーバンド名を改めた今も、みなさんには佐久間さんから学んだものを引き継いでいこうという意志が強くあるんですね。
青木 : そうですね。それに、この3人になってからはまだライヴもやってないので、そのぶん今はイメージが無限大に広がっているような状況なんですよ。そのなかでアンドロメルトがどういうバンドになっていけるのか、自分たちでもすごく楽しみです。
中村 : 「僕も佐久間さんと一緒にやりたかったな」って、今は少し悔しいんですよ(笑)。でも、これから先にも今回のアルバムに負けないような、何度も聴きたくなる作品をつくっていきたいと思ってます。
林田 : でも、無理はしたくないよね(笑)。こうして長くバンドをやってると、「僕らの音楽はこうでなきゃいけない」みたいに思いがちだけど、僕らはずっと自然体でやっていきたくて。それに僕がすごいなと思う人って、仕事として音楽をやりつつも、その音楽に「この人、本当に音楽が好きなんだな」という気持ちが思いっきり表れている人なんですよね。佐久間さんはまさにそういう人だった。佐久間さんはことあるごとに何度も「良い音楽だけは絶対に裏切らないよ」と言ってたんですけど、それを僕はずっと信じているんです。
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LIVE SCHEDULE
2014年8月7(木)@タワーレコード新宿店7Fイベントスペース
ミニ・ライヴ&特典引換会
PROFILE
アンドロメルト
佐久間正英氏をプロデュースとして迎えた否[i-na]での活動を経て、Vo.青木凛とGt.林田憲和を中心に、Dr.中村康伸を迎え2014年4月始動。喪失からの再生をテーマに、駆け巡る電子音、時に儚いメロディ、そしてラウドなロック・サウンド。一つのジャンルに縛られない多角的なアプローチで独自の世界観を表現している。佐久間正英氏と否[i-na]が2011年11月~2013年4月にかけて共に創り上げた作品を含め、1stアルバム『子供と動物』を2014年夏全国リリース。