夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術
- 作者: 花輪陽子
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2010/06/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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上記の本を読んでみて、ああ、「おひとりさま」の時代はもう終わるんだなと改めて感じた。少なくともトレンドではあり得ないんだろうな、と。
そもそも、人生を独りでやっていこうというスタイルが無理すぎる。たぶん、ファイナルファンタジー11のようなネットゲームをソロプレイでやるより厳しかろう。「おひとりさま」で生きていくということ=“家事も金銭も情緒もスタンドアロンにやっていく”って事なのだから。色々しんどかったり非効率的になったりするのは避けられない。
ごく最近まで、ホモ・サピエンスは独りで生きるのが著しく困難だった。狩猟採集社会にせよ農耕社会にせよ、血縁集団や地域集団などを中心に助け合って生活し、その互恵集団に適したメンタリティや認知機能を標準装備してきた。例えば、承認欲求や所属欲求やナルシシズムといったソーシャルな執着がほとんどの人間に認められるのも、裏を返せば、社会的なつながりを維持しながら暮らしていくことがクリティカルな要請だったということなのだろう。もし、太古の昔から「おひとりさま」でも容易く生存できていたら、ソーシャルな執着は人間に標準装備されていなかったに違いない。
ところが近年、テクノロジーの進歩・電化製品の普及・価値観の変化によって、「おひとりさま」でも生きやすそうな時代がやってきた。「インカムさえあれば、おひとりさまでも生きていける」という気付きから「インカムのあるおひとりさまなら、しがらみを最小化して好き勝手に暮らせる」という発想までの距離はごく僅かだったのだろう……いつしか「おひとりさま」志向をスマートで“自分らしい”生き方とみなす風潮が広がり、その「おひとりさま」をターゲットにした商品が市場に氾濫するようになった*1。そのなかには、「おひとりさま」の情緒的なしんどさを紛らわせるためのガジェットが早くも含まれていたけれど、そうした悲劇的なガジェットすら、「おひとりさま」のアイデンティティを彩る豊かさの一部とみなされていた。
早い話、「おひとりさま」は“格好良かった”のである。
「おひとりさま」がしんどくなってきた
ところが最近、「おひとりさま」がしんどくなってきた。
バブル崩壊〜リーマンショックまでの流れのなかで、「おひとりさま」には必要不可欠な、金銭的インカムが目減りしてしまった。お金が減ってくれば、住居を維持するのも大変になってくるし、ガジェットで寂しさを紛らわせるのも難しくなる。そしてコンビニエンスストアをはじめとする「おひとりさま」向けのサービス業は、便利ではあっても大抵は高くつく。
しんどくなってきたのは、金銭だけではない。
情緒的にも、「おひとりさま」を続けるしんどさがクローズアップされはじめた。2010年、孤独死だの婚活だのというボキャブラリーが耳目を集めたのは記憶に新しい。子育てに関しても、シングルマザーやシングルファーザーの大変さが認識され、イクメンという言葉がメディア上に台頭してきた。“いつまでも独りじゃしんどいよ”、ということだろう。
80年代〜90年代にかけて「おひとりさま」を謳歌し、そのまま歳を取り続けてきた人達は、今や「おひとりさま」の持つもうひとつの側面に直面している; すなわち“独りで中年や老年を過ごすという可能性”である。もし人生が、リピートする学園祭のようなものなら、ずっと「おひとりさま」でもそう悪くないかもしれない。だが思春期の出口にさしかかり、心身もゆっくりと衰えていくなかで「おひとりさま」と独り向き合うのはそんなに楽なことではない。
もちろん、なかには「おひとりさま」を貫き通せる人だっている。
ただ、そういう人というのは、なにがしかの金銭的バックボーンを持ち、しかも情緒的にも「おひとりさまのままでも歳をとっていける」ような、どこかしらマッチョな人達である。そういうマッチョな人間はこれからも一定割合で存在し続けるだろうけど、なろうと思って誰もがなれるものではない。よっぽど頭が強いか、心が強いか、財布が強い人でなければ、そういう「おひとりさまマッチョイズム」を貫くのは難しかろう。
「おひとりさま」に慣れすぎると他人と暮らせなくなる
では、「おひとりさま」の時代が終焉し、人と人との結びつきが全面的に見直される時代が到来するだろうか?
確かに、「おひとりさま」をいつまでも続けるリスクは可視化されつつある。だから若い世代を中心に、「おひとりさま」を回避するような動きや「おひとりさま」を格好良いとみなさないような動きが起こってくる可能性は高いと推定される。
ところが「おひとりさま」に特化してしまった人は、なかなか「おひとりさま」をやめられない。なぜなら「おひとりさま」は人と人とのコミュニケーションの齟齬や摩擦を最小化する生活形態なのであって、それに慣れきってしまった人間が、コミュニケーションの齟齬や摩擦を含んだ生活形態に一から馴染むことはきわめて困難だからである。地縁、血縁、人間関係といったものをしがらみとして嫌悪し遠ざけてきた人間に、どうして円満な家族生活や地域生活ができようか。
この国では「おひとりさま」の時代が長く続き、「おひとりさま」のためのインフラがどこまでも普及し続けてきた。だから思春期以降ずっと「おひとりさま」に慣れ続け、人と人との齟齬や摩擦を避けるための処世術に特化しまくった人間が既にごまんといるわけで、そんな彼ら/彼女らにとって、パーソナルスペースを他人と共有するのは至極むずかしい課題となるだろう。
なので、「おひとりさま」は若者のトレンドではなくなるものの、既に「おひとりさま」に慣れすぎている人達はズルズルと「おひとりさま」を続けていく可能性が高い、と推測される。まだ融通の利く世代と、もう融通の利かない世代では、「おひとりさま」を巡る問題は異なった様相を呈する筈で、さらに言えば、対応策も異なる筈である。
「おひとりさま」というトレンドの後始末
「おひとりさま」の時代は長く続きすぎた。
そのツケを私達は今払っているし、これからも当分は払い続けるだろう。
いずれにせよ、「おひとりさま」の次を考えなければならない。
いや、既に考えはじめている人もいる。
例えば『他人と暮らす若者達』を著した久保田裕之さんなどは、まさにそれだろう。
- 作者: 久保田裕之
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/11
- メディア: 新書
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この『他人と暮らす若者達』で紹介されている共同生活は、パーソナルスペースを共有できる能力や協調性を一定以上持った人間でなければ難しいように読め、まさにそこがボトルネックになりそうではある。けれどもこういった視点は、ますます重要になってくるだろうと思う……独りで生きるのがいよいよ難しくなっていく2010年代においては。
「おひとりさま」ではない生き方を(21世紀風に)見直していくこと・人と人との齟齬や摩擦を引き受けながら他人と生きる術を取り戻すこと;これは、現世代に課せられた重要課題(のひとつ)だと私は思う。「おひとりさま」がトレンドだった時代の、後始末をしなければならない。
*1:そういえば、思春期モラトリアムの延長という心理学上の一大変化も、こうした「おひとりさま」に対して肯定的に働いたようにみえる。“いつまでもモラトリアムの波間にたゆたいながら独身貴族を謳歌する”という生活観は、いかにも「おひとりさま」と相性がいい。