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日本人の意思決定パターンは変わったか?

政策ビジョン研究センター 客員研究員
田中 修

2011/10/17

筆者が東京大学に在学中、最も知的好奇心をかき立てられる講義の1つが京極純一教授の「政治過程論」であった。その内容は日本の政治の特色を解明するというものであったが、京極教授は講義の中で課題図書として柳田國男の民俗学の著書とあわせ、イザヤ・ベンダサン、山本七平の日本人論を指定されていた1

最近、ベンダサン・山本七平の著作を読み返す機会があったが、その独特な分析手法は今なお日本人の意思決定パターンを考えるうえで、重要な示唆を与えてくれるものである。ここではそのエッセンスを紹介するとともに、応用問題をも考えてみたい。

1.天秤の世界2

1) 実体語と空体語のバランス

ベンダサンは、日本という世界は、一種の天秤の世界であると考える。この支点となっているのが「人間」という概念で、天秤の皿の方にあるのが「実体語で組み立てられた」世界で、分銅になっている方が「空体語で組み立てられた」もう1つの世界である。

「実体語」は一応我々がいう「言葉」だとすれば、これに対立する「空体語」とは、まさに天秤が平衡を保つため必要な分銅の役割をしている言葉である。天秤を水平に保つにはどうしても分銅が必要であり、天秤皿の上の実体と同じだけの重さがなければ分銅にならない。

2) 2つの歴史的事例

「現実問題」という「実体語」の荷が天秤皿にのると、平衡を保つためには分銅の数を増やしていかなければならない。こういう状況は常に、日本全体の問題にも、一個人の問題にも起こる。

ケース1

幕末期、日本が鎖国をやめて開港せざるを得ない状態になったと、ほとんど全ての日本人(少なくとも知識人)が内心で感じたとき、激烈な攘夷論が起こった。したがって、「実体語=開港」は沈黙し、さらに、開港が必要になればなるほど「攘夷=空体語」の声は高くなってゆき、ついに天秤の分銅は最大限となり、その結果平衡が破れて一回転し、天秤皿の上の荷も分銅も落ちてしまう、すなわち御一新で、皿は空、分銅なしの平衡状態となったのである。

ベンダサンは、「したがって、攘夷論者が政権をとったのに開港したということは不思議ではありません、同じことをただ『空体語』で言っていたのですから。これは革命と呼ぶべきことではありません」と結論づけている。

ケース2

ベンダサンは、実によく似たことが、第2次大戦の末期に起こっていると指摘する。「すなわち敗戦は避けられないとほとんど全ての人が内心で感じたとき、分銅は極限まで上がって『一億総玉砕』になり、ついで天秤は1回転して重荷も分銅も落ちてしまうと、天秤皿は空で、分銅なしの虚脱状態、すなわち精神的空白の平衡が再現し、当然、言葉は失われます。そしていずれの場合も支点は微動もしていません」としている3

3)純粋な人間

日本人は「人間」を「純粋な人間」と「純粋でない人間」にわける。この「純粋」とは金属の精錬度表のようなもので、この純度表は支点の位置で決まっている。すなわち支点が「空体語の世界=分銅」に近づけば近づくだけその人は「純粋な人」である。従って、純粋の人とは非常にわずかの「実体語の世界」と平衡を保つために、実に大きな「空体語の世界=分銅」が必要となる。一方、「純粋でない人」は、支点の位置が「実体語の世界」に非常に接近しているので、ほんのわずかの「空体語の世界=分銅」で、膨大な「実体語の世界」と平衡がとれる。

2.二人称のみの対話の世界

ベンダサンは、日本人の対話方式は、「お前」と「お前のお前」(すなわち「私」)という「二人称のみの世界の対話方式」であると指摘し、対話の成功例・失敗例を紹介する。

1) 恩田木工4

1756年ごろ、信州真田藩は洪水・地震その他のため財政困難となり、幕府から1万両借金したが、それでももうどうにもならぬ、というところまで追いつめられた。百姓一揆は言うまでもなく、足軽のストライキまで発生したのである。この難局に直面した藩を13歳で相続した名君幸豊は、わずか16歳のとき、末席家老の恩田木工(もく)の人物を見抜き、これを登用して全てを改革した。当時39歳の恩田木工は、その任にあらずと辞退したが許されず、そこでまず全権委任を明確にしてもらい、そのかわり自分の任期を自ら5年と定め、もし失政あらばどんな処分でも受ける誓詞をしてこれを引き受けた。

彼が行った財政再建の方法は、「債務は一切帳消しにする」というものであった。ベンダサンは「皮肉な言い方をすれば、もしこういう方法が可能ならば、現在の世界のあらゆる破産者も即座に立ち直れると思います」と評している。しかし、領民たちは喜んでこれに従った。そのカギは彼の「対話」の方法にある。

対話を始める前に、彼はまず自分が「純粋人間」であることを立証しようとする。具体的には、今後は一汁一飯のみとし、衣服は新調せず、妻は離婚し、子供は勘当し、親類は義絶し、雇人は全部解雇すると申し渡したのである。人々が驚いてその理由を問うと、今後自分は一切「虚言5を申さない」。しかし女房始め子供、家来共、親類衆中が虚言を言うならば、「木工が虚言を申さないと言っても、近い親戚始め家内の者があの通りならば、木工だってあやしいものだ」と疑われてしまうことになり、これでは改革ができないからであると説明する。そこで一同は、自分らも一汁一飯、一切虚言しないから、今までのままにしてくれと懇願し、起請(きしょう)して、もとのままでいることを許されたのである。

木工は次に領民との「対話集会」を開く。すなわち総百姓に「よくものを言う者」を連れて城中に集まるように布令を出したのである。この場で、木工はまず「自分の立つも倒れるもお前たちの意向次第」と宣言する。これは多数決による支持を求めるということでなく、「お前のお前」という関係である間は「お前のお前」(すなわち「私」)は存在する、という意味である。

ついで木工は、貢税の徴収に関して、それまでに行われてきた違法を1つ1つ指摘し非難していくが、その最後に必ず「かく申すもそれは理屈なり」とし、この違法が行われたのも「ただただ主君を思うが故である」と付け加える。すなわち「ただ主君のため」「ただ領民のため」という二人称の関係(「お前」と「お前のお前」の関係)をそのたびごとに強調し、その関係が法に優先することを確認してゆく。この方式で木工は、自分の行おうとすることはすべて「純粋」に領民のためのみであることを一歩一歩立証し、最後には債務帳消し案を全員が喜んで承諾するように運んでいってしまったのである。

2) 三里塚

ベンダサンは、「たとえ実際には、自分の方針を一方的に強行した結果になることがはじめから明確であっても、この『話し合い』は必要なのです。なぜか?簡単にいえば、日本語には『二人称』しかないからです。すなわちこの『対話集会』で『お前』と『お前のお前』(お前がお前と呼ぶ者)という関係に入り、それが確認されてはじめて、無視されていない者、すなわち認められた状態になるのですから、そこで初めて『お前のお前(私)』が存在しうるわけです」と説明する。従って「話し合い」をしないと、恩田木工の場合は「農民を無視した」ということになり、一揆が発生することになるわけである。

こうなってしまった一例、すなわち失敗例として、ベンダサンは「三里塚闘争」を挙げている。当時、この地に空港を設置しようとする政府と、飛行場予定地から頑として撤去しない農民、及びこれに加勢した学生達との間の争いで、ついに3人の警察官が殺害されるに至り、西欧の新聞にまで事件が報道されていた。

ベンダサンは、「ところがこれを報道し、かつ論評を加えている新聞が一致して主張しているのは、『政府は最初から一度も農民と話し合いをしていない、それがよくない』ということです」と指摘する。では、ここでいう「話し合い」とは一体何を意味するのか。彼によれば「これは、飛行場設置に先だって『対話集会』を開かなかったのがよくない、という主張なのです。これは恩田木工が『債務はすべて一方的に帳消しにする』、その上で『今年分の租税は全額徴収する』と一方的に布告すれば、全領民が一斉に蜂起したであろう、と思われるのと同じ状態を現出してしまっているわけです。従って、これが政府の手落ちであることは、少なくとも『二人称しかない世界』では、事実でしょう」と結んでいる。

3.「空気」の支配6

山本七平は、日本人がしばしば「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では……」「議場のあのときの空気からいって……」「あのころの社会全般の空気を知らずに批判されても……」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々、至る所で、何かの最終決定者は「人でなく空気」である、と言っている、と指摘する。

つまり日本人は、何やらわからぬ「空気」に、自らの意思決定を支配されている。彼らを支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「空気」なるものであって、人が空気から逃れられないように、彼らはそれから自由になれない。従って、日本人が結論を採用する場合も、それは論理的結果ではなく、「空気」に適合しているからである。採否は「空気」が決める。このため、これが今の「空気」だと拒否された場合、しっかりとした議論をしようとしている側にはもう反論の方法はない。人は空気を相手に議論するわけにいかないからである。

1) 戦艦大和の特攻出撃

山本は、『文藝春秋』1975年8月号の「戦艦大和」特集(吉田満監修構成)においても、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言が出てくる、とする。彼は、戦艦大和の一件に登場する者がみな、海も船も空も知りつくした専門家だけであって、素人の意見は介入していないこと、いわば彼らはベテランのエリート集団であって、無知・不見識・情報不足による錯誤は考えられないことに注目する。

『文藝春秋』特集記事によれば、まずサイパン陥落時にこの大和出撃案が出されるが、「軍令部は到達までの困難と、到達しても機関、水圧、電力などが無傷でなくては主砲の射撃が行いえないこと等を理由にこれをしりぞけた」とされる。従って理屈から言えば、沖縄の場合、サイパンの場合とちがって「無傷で到達できる」という判断、その判断に基礎となりうる客観情勢の変化、それを裏づけるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない。

山本は「だがそういう変化があったとは思えない」とし、「もし、サイパン・沖縄の両データをコンピューターで処理してコンピューターに判断させたなら、サイパン時の否は当然に沖縄時の否であったろう。従ってこれは、(中略)サイパン時になかった『空気』が沖縄時には生じ、その『空気』が決定したと考える以外にない」と指摘する。

2) 日本人への説得

『「空気」の研究』の最後で、山本は中根千枝の「日本人は熱いものにさわって、ジュッといって反射的にとびのくまでは、それが熱いといくら説明しても受けつけない。しかし、ジュッといったときの対応は実に巧みで、大けがはしない」という言葉を紹介している。

例えば、毛沢東が「大躍進」を開始したとき、桶谷繁雄が専門の冶金学の立場から中国の土法製鉄で鉄ができるはずがないことを論証したところ、総攻撃にあったという。またオイルショックの洗剤騒動のとき、メーカーは、少しも売惜しみをしていないし、減産をしているわけでないことをいかに論証しても無駄であった。

山本は、「空気」に支配されているとき、日本人は論理的説得では心的態度を変えず、ことばによる科学的論証は無力になると指摘する。

4.応用問題

それでは、ベンダサン・山本が指摘するこのような日本人の意思決定のパターンは、その後のバブルの発生・崩壊過程を経て変化したのであろうか。

筆者がみるところ、このような特徴が大きく改まったようには思われない。

1) 金融システム危機

その1つの例が97年秋の金融システム危機である。バブル崩壊により金融機関の不良債権が増大し、日本の金融システムが大きく傷んでいることは、金融関係者なら皆うすうす気づいていた。しかし、95年12月に住専に合計6850億円の公的資金が投入されることになると、たちまち猛烈な批判が巻き起こり、金融機関に対する公的資金のこれ以上の投入を許さない「空気」が醸成された。また、世論では「日本の金融システムが破綻するはずがない」「いずれ地価が回復すれば問題は解決する」という「空体語」がとびかったのである。

そして政府は有効な対策を打てないまま、97年秋の大規模な金融破綻を迎えることになった。ところがそうなると、今度はこれまでの議論が嘘のように98年3月には都銀等15行に1.8兆円もの公的資本注入が行われ、さらに99年3月には7.5兆円の公的資本注入が行われたのである。

2) 社会保障・税一体改革

現政権は財政規律を重視し、国際的なソブリン危機に対し日本の責任ある立場を明らかにすべく、2015年度までの財政プライマリーバランス赤字半減、2020年度までの黒字実現を目指し、社会保障・税一体改革の実現に向けて準備を進めている。しかしこれに対する異論も存在する。もし、日本人が従来の意思決定パターンで対応するとすれば、次の2つのシナリオが考えられよう。

シナリオ1

財政状況が更に悪化し、世界から見て日本財政の持続可能性に疑念が高まれば高まるほど、日本国内では「日本財政はそれほど悪くはない」「埋蔵金を見つければいい」「成長が実現すれば税収が増えるので、改革を行わなくても財政は自然に改善する」「デフレ・大震災を克服するまでは、改革を行うべきではない」といった意見がますます強くなり、社会保障見直し反対・増税反対といった「空気」が醸成される。改革推進派は沈黙を余儀なくされ、最終的に社会保障制度・財政が全面破綻するまで、問題解決の先送りが続く。

シナリオ2

恩田木工のように、社会保障・税一体改革が「純粋に」「将来世代の国民のため」であることを、政府が国民との真摯な「対話」を通じて粘り強く説明することにより、最終的に国民の納得が得られる。改革支持の「空気」が次第に醸成され、スケジュール通りの改革・財政プライマリーバランスの改善が進んでいく。

このように、社会保障・税一体改革を早期に実現するには、政府の並々ならぬ決意・根気と努力が必要となろう。(なお、本文の意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)


脚注

  1. なお、現在ではイザヤ・ベンダサンが架空の人物であることは判明しているが、山本七平1人の仮の名ではなく、彼を中心とした複数の人間の合作であると考えられている。したがって、本稿でもイザヤ・ベンダサンとしての著作は、山本七平の著作と区別して紹介することとしたい。
  2. これは、『日本教について』文芸春秋刊(1972年)で解説されている。
  3. ベンダサンは更に「将来も同じことが起こるでしょう」とし、当時軍備撤廃を主張していた政党が将来もし政権をとったならば、あっさり自衛隊を容認してしまうだろうと予言している。
  4. 彼の業績は『日暮硯(ひぐらしすずり)』に詳しく紹介されている。ベンダサンによれば、この本は戦争中アメリカのある機関で、日本理解のために徹底的に研究されたという。なお、この部分はベンダサン『日本人とユダヤ人』(角川文庫、1971年)の記述も併せて参考にしている。
  5. ベンダサンは、これはいわゆる「うそ」ではなく、無責任な言葉の意であろう、としている。
  6. 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫、1983年)参照。

参考文献
イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』(角川文庫、1971年)
イザヤ・ベンダサン『日本教について』(文芸春秋、1972年)
山本七平『「空気」の研究』(文春文庫、1983年)