先回記事「
【複製No.1】「まるバツクイズ」--「祝福権委譲」と「祝復権移譲」について」末尾で以下を書いていました。
このように、万が一に三男さんに「祝福権委譲」があったとしても七男さんのそれと同様の結果であり、最終的には真の父母様の「祝祷」無しには成立しないということだ。
結論は、お父様の2000年9月の「祝福権委譲」のみ言があったとしても、実際の史実と異なっていたことが一つの「落とし穴」であり、「委譲」と「移譲」の文字の違いもまた、別の「落とし穴」となっている。
このように三男派のみ言葉のデマ(落とし穴)にハマらないようにしよう。
文顯進氏支持者からは、2000年9月の「祝福権委譲式」での文総裁のみ言(黒・天聖教P.1394)をもって文顯進氏にも「祝福権委譲」があったかのような宣伝もしていました(以下)。
父親が霊界に行けば、兄になります。また、息子は、弟になるのです。ですから、父親の呼ぶ天の父も、息子の呼ぶ天の父も同じなのです。神様の前では、みな息子になるのです。ですから、同じ息子といっても、父親が先なので、横的な面においては兄の立場を代表するのです。
ですから、父母様が父母様の立場を完成したということは、息子の立場の完成を、霊界でも地上でも同じ価値的内容を伝授し、一体化させるというようなことをするのです。父母様が、霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福された家庭を立て、一緒に統一的宣言をすることによって、先生が祝福をしてあげるのではなく、今後は興進君が祝福をするのですが、興進君がいなければ、顕進君がお父様の代わりに祝福することのできる時代になるのです。
ところが、このみ言に疑問を投げかけたのが先回に続く過去記事でした。
祝福家庭19号(2000 冬号)に掲載されていました。
……(略)……
『その時がいつかについては、決定的な御言は語られませんでした。』、というのが郭氏の説明です。
また、祝福権の「委譲」(または、「移譲」であっても)は、御言ではなく真のご父母様の「祝祷」を通してなされるものです。前回にも記載したように、その祝祷には顕進様の名は一つも入っていませんでした。
では、その時の三時代大転換四位基台入籍統一祝福式の主礼はどなたがされたのでしょうか。
霊界では興進様が、そして、地上では郭夫妻が主礼をされました。顕進様ではありませんでした。その時点で移譲があったとするなら顕進様がされていたはずです。
郭氏は、この意義の中で興進様と顕進様が協力してとか、清平の貴い価値についても説明されていました。是非、ご確認ください。
現在のPカフェからは、それとは裏腹(※文顯進氏一派の清平批判)のことが書き連ねられています。
……(略)…
結論は誰の目にも明らかです。
文顕進様は
現在、二世祝福(?)の権限を
まったく持たれていないということです。
また、私の別ブログから「祝福権」を持たれない文顯進氏の活動について書いたものも紹介しておきます。
◆「
GPFは世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つに過ぎない(文化共産主義の餌食?)」(2014-01-11)
GPFFは世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つ
つまるところ、郭グループの目指すものとは、耳あたりのいい「平和運動」を展開することにあるといえそうです。
郭グループの活動の核となっている組織GPFF(Global Peace Festival Foundation)は、たとえ提唱者が文顯進様だとしても、2008年に統一教会の指導とUPF(天宙平和連合)の支援を受け、世界各地で大きな大会を行ったGPF(Global Peace Festival)が母体となったものです。
統一教会の指導とUPFの支援がなくなった今、GPFが行っていることは、統一教会の基盤と資産と人材、及び教えの一部を奪い、耳あたりのいい「平和運動」、つまり世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つを展開しているにすぎません。
こうした運動が今後、世界を導いていくことはあり得ません。郭グループに関わった方々におかれましては、早くその間違いと限界に気づき、真の父母様を中心に一つになることを願っています。
(引用終わり)
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。