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120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

沖縄に行って来た〜1日目レンタルスクーターを借りる

トタン屋根の、バラック(失礼)のような店舗。

広い敷地に、ジャンクのような、モーターサイクルや、スクーターが数十台。

値札が付いているものが有るので中古車販売も、やっている様子。

ちょっと立ち入るのに勇気が要りそうな店構えだが店の人たちは親切だった。

出て来たのは走行、32000km程の、スズキ・アドレスV125。

何年使っているか分からないけど、かなり草臥れた外観。

バックミラーは錆がボロボロ落ちてくるし、ボディのプラスチック部分が白化しているのは、潮風と日差しの強い沖縄ならではの、味?

いわゆる通勤快速バイク、小柄なボディに、125ccのエンジンで速い。

狸は速さは求めていないけどね。

リアにパニアケースを付けていたのか、ベースだけ残っていて荷物を積めるのと、メットインなので積載能力は必要十分。

少し狭いけど、すずめとなら二人乗っても大丈夫だろう。

と言うわけで国道58号を走り出した。

まずは古着と雑貨の、『アメリカンスペース(北谷町北谷2-1-1)』へ。

この店は買いたいものは、あまりないが見て回ると面白い。

https://www.facebook.com/americanspace.hamby/

次は定番のアイスクリーム、ブルーシール

ここから、1kmのところに『ブルーシールカフェ 北谷』が有る。

沖縄に来ると、アイスクリームが食べたくなるんだよなぁ。

じゃあ、海を見に行こう。

©️Tanu記

沖縄に行って来た〜1日目2

A&W

お昼前なので、空いているかな〜。

並んでいる人は居ないけど店内の、テーブル席は8割方、埋まっている感じ。

送り迎えのついでに寄る人、帰りの飛行機の時間調整の人。

沖縄に到着して、のんびりしているのは、すずめと狸くらいなものかも。

メニューは二人ともコンボにすると量が多いので、単品バーガーひとつ、コンボ付きバーガーひとつ。

店内で飲む限り、ルートビアが、お代わり自由なのは良い。

人数分頼まなくて良いのかな?他にも、テーブルで1杯しか頼んでない人も沢山いるから、まぁ良いかな〜。

ランチの後は、レンタルバイク屋さんに行く予定だったが、今夜のホテル『Y's CABIN&HOTEL 那覇国際通り』に聞いてみたら、チェックインまで荷物を預かってくれると言うので、まずホテルに向かう。

モノレール県庁前駅から、4分くらいなので便利だ。

荷物を預けて最小限の装備だけ持って、レンタルバイク屋さんへ。

今回は、3泊4日で狸が、125ccのスクーターを通しで借りる。

中間の1泊2日は、すずめも追加で、スーパーカブ110を借りて、ツーリングの予定。

さて、激安レンタルバイクの『プレジャー沖縄』に着いた。

なにしろ、3泊4日の125ccスクーターの方が、1泊2日のスーパーカブ110より安いのだから。

どんなスクーターが借りられるのだろう?

©️Tanu記

沖縄に行って来た〜1日目

沖縄に行って来た。

何を、と言うわけではないが友人に会うのと、すずめが沖縄で、ショートツーリングができるかな?が主な行事。

もともと、すずめの持ちマイレージが失効になってしまう分があり、勿体ないので旅行しよう、そんな軽い気持ちで企画した今回。

まず、格安マイレージで行ける便が限られていた。

行きは水曜日の、セントレアを朝7時30分に出発する便に2席、空きがあった。

朝7時半だから間に合うだろうと高をくくっていたが乗換案内で調べると狸の住んでいるマンションからは始発の地下鉄で行かないと余裕がない。

と言うわけで朝、4時半起床で、5時過ぎに出発だ。

予約が取れた席は非常口座席の通路側だった。

メリットとしては優先搭乗できる(説明があるので)。

足元が広い。

の2点が、ある。

デメリットは身に付けている身の回り品以外は上に収納しなければいけない。

電源がない。

の2点だ。

今回は二人で乗れるのが最優先だから他に選択肢はなかった。

特にトラブルもなく、チェックインできた。

フライトは順調で予定通り、10時には那覇空港に到着した。

すずめと相談して少々早いものの空港内で先に、ランチを食べることにした。

場所は、いつものA&Wである。

沖縄に着いた、という感じがする。

©️Tanu記

ヤンリク(ABC朝日放送)

ヤンリク

先日の自己紹介のプレゼンを作った時に思い出した。

大阪の、AMラジオ局、朝日放送(ABC )で放送されていた深夜放送。

『星があなたにささやく夜も小窓に雨が降る夜も…』の歌詞で始まる、テーマソングが有名だった。

www.youtube.com

1966年4月から1986年10月までの、20年間続いていたそうで狸が聞いていたのは小学校6年生の夏から就職した初夏までの、13年間。

インターネットの無い時代、深夜放送を聴くのが当時の若者の間で流行っていて、狸もずっと聞いていた訳では無いが良く聞いていた。

ハガキで聴きたい曲をリクエストする、というスタイル。

何通もハガキを出して、アナウンサーに読んでもらったり、ノベルティーが当たったりすると大喜びだった。

狸は何度かハガキを読んでもらって、リクエスト曲も、かけてもらった。

白いノート、という特別ノベルティを頂いた時は友人にも自慢したものだった。

今は深夜ラジオの時代でないどころか、AM放送局全廃の動きすらある。

夜になると遠方の局が聞ける、AMラジオは聴きながら、その地の様子を垣間見ることができる気がして好きだった。

いわゆる”ラジオ小僧”だったが勉強する時くらい、ラジオを消して頑張れば良かったかなぁ。

©️Tanu記

パルナス製菓

皆さんは『パルナス製菓』を、ご存知だろうか。

先日、自己紹介の、Keynote を作っていて出て来た今は無き御菓子メーカー。

かつては近畿地方に実店舗が沢山有った。

『モスクワの味』で名を馳せていて、すずめも狸も、こどもの頃は御世話になった。

大阪万博(1970年)のモスクワ料理レストランの運営をしていたとか、『モスクワの味』のテレビコマーシャルソングが耳に残っているとか、いろいろ懐かしい。

そう言えば、いつの頃からか聞かなくなったなぁ、と思っていたら競合他社も増えたことから事業を縮小して、2002年に解散したそうだ。

残念だなぁ、と思っていたら創業者の弟が創業し、その息子さんが継いでいる製パン会社があった。

コロナ禍で危機に陥たものの何とか規模を縮小して持ち堪え、今では阪急電車庄内駅近くに、1店舗で営業しているそうだ。

ロシアの調理指導者直伝の、ピロシキや、パルナスゆかりのグッズや御菓子類も売っているらしい。

大阪に行った時には一度、立ち寄ってみたいと思う。

小学生の頃の気分に浸れるかも知れないね。

©️Tanu記

兼高かおる世界の旅

昨日、記事にした自己紹介を、まとめていて、こどもの頃に、すずめも狸も見ていた番組が幾つか有った。

その中で印象的だったのが『兼高かおる〜世界の旅』。

日曜日の午前中に家族で見るのが習慣だったなぁ、と思い出し、どんな番組だったか調べてみた。

狸が生まれる少し前の、1959年から、1990年までの、31年間も日本テレビ系列で放映されていた長寿な旅行紀行番組だった。

狸が見始めたのは大阪万博(1970年)のころだったように思う。

まだ見たことがない海外諸国の様子を届けてくれる、この番組が好きだった。

この番組は対談形式だったように思う。

兼高さんの上品な言葉遣いを聞き手が上手い具合に聞き出していく展開。

兼高さんは、ジャーナリストで、ディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、全世界・約160カ月を取材した映像を放送していたというから、驚きだ。

1928年神戸市生まれで父親がインド人、1954年にはロサンゼルス市立大学に留学し、ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍したと言うから英語が堪能だったのだろう。

80歳を過ぎても海外に出かけていたと言うから我々も見習いたいと思う。

©️Tanu記

狸、プレゼンをする

すずめと参加している、サークル活動の人たちに要請されて。

その、サークル活動で新しく入った人の自己紹介を、1時間ほどでプレゼンする行事が毎月あった。

すずめに御鉢が回って来た時に『すずめちゃんと狸さん』で、やれば?と言うことになったのだ。

しかし、二人なので持ち時間は、90分。

30分が質疑応答時間としても、60分は話すネタを探さないといけない。

もともと人前で話をするのは嫌いだし、アカペラで、60分も話せないので台本を作ることにした。

プライベートでは、MacBook を使っているので仕事で使い慣れた、PowerPoint は使えない。

じゃぁ、と使ったことはないが似ているから何とかなるだろう、と、Keynote を使ってみることにした。

すずめと二人で、生まれてから今までの、エピソードを面白おかしくまとめたりして何とか、1時間分の台本(Keynote)ができた。

発表は、ネット経由だったので聴衆の顔が見えない分、緊張も少なかった。

台本の、お陰で順調に進み、すずめと交代しながら、60分の発表と、30分の質疑応答を乗り切った。

資料を作るのには随分、時間がかかったけど忘れてしまっていた、エピソードや懐かしい写真を再び見ることができたのは良かった。

昔の写真もまとめると良いんだろうなぁ。

©️Tanu記