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2023/03/05

分散できないのはどう考えても僕たちが悪い

2016年にMastodonってのが出た。なんでも自由にサーバを建てられるから巨大資本に言論統制されないらしい。ちょうど真新しさに飢えていた人々はさっそくこれに群がった。かくいう僕もその一人だ。学生が建てたサーバがパンクして企業が支援を申し出たり、政治家がお忍びでアカウントを作ったりなんかして、しばらくお祭り騒ぎになった。

しかし分散型SNSが負の側面を露呈せしめるのは割と早かった。自由にサーバを建てられると言っても結局、ほとんどのユーザは人がたくさんいる場所、安定していそうな場所に行きたがる。やがてインフラコストに耐えられなくなった運営者は次々とサーバを手放し、安住の地から放逐されたユーザたちはそそくさと古巣に戻っていった。第一次Mastodonブームの終焉である。以降、Twitterがなにかやらかすたびに分散型SNSは潮の満ち引きを繰り返してきた。

現在、度重なる譲渡の末に国内二強サーバとして君臨しているmstdn.jpとpawoo.netは実のところ一強だ。運営元が同じだからだ。この二つのサーバだけで国内のMastodon人口の大半を占める。毎月1000万円もの札束を燃やして運用しているとは運営者本人の言だが、豪気であっても狂気でしかない。これといって黒字化の目処が立つ見込みもないと言う。なぜ平然と運営されているのかは謎に包まれている。

他にMisskeyという実装もある。ここ数年はこっちの方が国内では話題かもしれない。僕が最初に触れたのは2021年頃だった。Mastodonとも相互接続できる分散型SNSの一員だが、MisskeyはSlackやDiscordみたいな絵文字リアクションが使える。この特長はハートだか星だかが無味乾燥に感じられるくらいの鮮烈さを僕たちにもたらした。リアクションの表現力は随時追加され続ける膨大な絵文字によって日増しに高まっている。

今もまさにn度目のブームの真っ最中だ。2023年3月時点では「レターパックで現金送れ」とか与謝野晶子とかが流行っている。僕が居た頃にはたぶんなかった気がするからそのうちまた移り変わるんだろう。そんなMisskeyコミュニティの中で最大の人口を誇るmisskey.ioのユーザ登録数は約8万人。同時接続数は8000人近い。恐るべきことにこの人数はここ数週の間に倍々ペースで増えている。本エントリを書き終えるまでに桁が繰り上がっても僕は全然驚かない。

察しのいい人はMisskeyもMastodonも別の実装でありながら同様の懸念を抱えている点に気づいたかと思う。そう、どっちも「分散型SNS」を謳っている割にめちゃくちゃ一極集中している。さっき言ったレターパックが云々というのも、厳密にはmisskey.io内の話であって他のサーバもそうだとは限らない。いまTwitterでバズっている「Misskey」とは、実態としてはioのことなのだ。つまり、現状は分散型SNSが謳う理念とだいぶ乖離してしまっている。

とりわけMisskeyはサーバによって使える絵文字リアクションの種類がまちまちだから、根本的にユーザ体験自体が異なると言っても過言ではない。当然、誰も彼もレターパックが送れるioに行く。人が多くてレターパックを送りまくれるioに群がる。なにしろTwitterで話題のリアクションシューティングが目当てゆえ、わざわざ分散する理由の方がない。逆張り野郎が多い僕のTwitter人脈もほぼ全員がioにアカウントを作ったほどだ。ミームの力って偉大だ。

なんなら開発者本人も「分散化はおまけ」とか言っちゃったりして、これには僕もけっこうなショックを受けた。分散化がマストではなく軽視しても差し支えない理念なら、絵文字リアクション以外にはTwitterと差別化できる価値観がないじゃないか。もしこのままioがユーザを吸い取って内輪のコミュニティを形成していくとしたら、他のサーバにとっては分散型SNSを僭称しているぶんTwitterより邪悪かもしれない。

チャンネル機能とやらはさらに凶悪だ。他のサーバから参加不可能な閉じたコミュニティ作りを実装自ら促進していたら分散もへったくれもない。じきに改善されるとしてもユーザに与える誤解は相当に大きいだろう。ああ、分散とか言ってるけど要は競争なのか。io以外は負けたサーバなんだってね。実際にそういった認識のユーザはちらほら見つかる。そんなつもりで作った覚えは毛頭ないと言っても現状では説得力がなさすぎる。

こんなふうにMisskeyやioの開発・運用方針を非難するのは容易だ。絵文字リアクションだってその気になれば槍玉に挙げられる。一見あれはコミュニケーションの幅を広げているようでいて、リプライで送るべきところまでリアクションで済ませてしまうから逆に会話の機会を奪っているだとか、真面目な議論を茶化したり支持者が多いユーザがそうでないユーザをいじめたりもできるだとか、とにかく言い出せばキリはない。

でも、本当は僕たちが悪い。 普通にリプライすればいい時でも絵文字リアクションに頼るのは臆病で怠惰な僕たちが悪い。どれだけサーバが重くなろうとも分散できないのは社会性動物としての習性を超克できずに群れる僕たちが悪い。僕たちが自主的に散っていればきっと彼らも違う方針を打ち出しただろう。「おまけ」発言も札束を燃やすサーバ運用も、すべてはマクロの需要に応えた振る舞いに過ぎない。実装が邪悪なのだとしたら、邪悪たらしめているのは分散できない僕たちだ。繰り返すがMastodonも一極集中している。

極論をぶちまけることはできる。サーバごとに最大登録人数の設定を強制すれば一極集中は絶対に止まる。ローカルタイムラインや独自機能を全廃させて特色を消せば人気の偏りもなくなる。あたかも完成された社会主義国家のごとく白塗りの集合住宅が整然と建ち並ぶ――マンションならそれでも階数や部屋の位置で差がつくが電子空間は完璧に均質だ。

しかし、そんなユーザ需要を無視した仕様のSNSが波に乗れるわけがない。テーマ性を持ったサーバを潰さなきゃいけなくなるし、気に入った運営方針のサーバを選べるという分散型SNSの利点をも潰してしまっている。結局、人々の行動原理が自然に変わらない限り一極集中は止められない。巨大サーバの運営者が新規ユーザを受け入れなくなれば当面は坂を下るだけだ。ふーん、人気のサーバには入れないのか。じゃあいいや。 ……僕は一極集中を批判しているが運営者の気持ちもよく分かる。

結果、肥大化したサーバに小規模サーバがぶら下がる形と相成り、それはなんだか民主的な分散型というよりは単にオーバーヘッドが大きいヘゲモニー政党制に見える。ひとたび前者が障害で停止すれば後者のユーザも大量のFFと断絶するため実用性は従来のSNSと大差ないか、むしろ低い。たとえコストを支払って自分専用のサーバを建ててもこの問題は一切解決できない。昨今の盛況ぶりとは裏腹にこれらの脆弱性はますます明るみになってきている。

とはいえ、趨勢はまだ決まっていない。3年後か5年後かは判らないが、いずれ僕たちとて分散型SNSの理念に沿える契機が訪れるはずだ。近い将来、計算資源はもっと低廉になる。実装はより平易になっていく。いつかリモートユーザの情報が手元でも完全に閲覧できるようになって、ローカルとリモートを隔てているタイムラグや諸々の障壁が取り除かれる時がやってくる。今すでにサーバを建てている人たちはちょっと偉すぎるんだ。君らほどの決意を僕たちが手に入れるその日まで、どうか見限らずに待っていてほしい。

おまけ

Twitter創業者のジャック・ドーシーが新しく立ち上げた分散型SNS「Bluesky」に非公式クライアントから無理やり参加してみた。特に感想はない。