柳井正氏が語る「信じることでしか学ぶこと」はできない。
古来より稽古事、芸事というのは『型から入る』のが良いとされています。あれこれ理屈を考えることよりもまず模倣することで技の習得を早めるというものです。物事の上達には、「目習い、手習い、指習い」という三原則があります。目習いは『よいものを観ること』、手習いは『手を動かして書いてみること』、指習い『手本を指でなぞってみること』です。
- 作者: 柳井正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/11/15
- メディア: 単行本
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1 理解に至る過程は異なる
教育界では、物事を習得するには、まずは知識を整理・体系化したうえで、演繹的に理解するのがよいと思われてます。たしかに説明してもらって知識を身に付けることで理解することはできます。しかし、それは頭で理解しただけでしかありません。実際にやってみると思わぬところで行き詰ったりするのは、ままあることです。それは、各人が異なる資質を持ち、理解にいたる過程は個々人によって変わるからであり、理解に至るポイントは大抵。他の人に適用することはできないからです。
2 型の繰り返しにより学ぶ
似たような行き詰まりもあるので、理解に至るポイントがある程度の集合に集まるときもあります。しかしながらノウハウやハウツーなどのマニュアルはあくまでも汎用的なものにしか適用できません。真に疑問を解消し、自分の血肉に落とし込むには、他人から細部まで都度、丁寧に「教えてもらいきる」ことはできないのです。だとするなら、理解に至る偶然の開眼まで、ひたすら確率を上げるべく「数こなすこと」ことが唯一の道であると思います。
3 信じることが良い学びには必要
理解に至る過程では、不安に駆られることが多いものです。良く分からないまま、ひたすら数をこなすことなど、何かを「信じて」進むしかありません。運動も勉強も習い事も、上達の王道は自分を『信じて続けること』です。続けるために大切なのは、お手本となる『型を知ること』であり、それを実践する『基礎体力をつけること』です。ちょっとしたことに一喜一憂せず、悠然と構えて黙々と精進することが成長への一番の近道なのです。言ったり来たりの堂々巡りを繰り返さないために、ベースとなる型さえ身につけておけば、たとえ道に迷ったとしても、少しずつゴールにたどり着くことができるのです。
何か信じるものがあるのにそれに従って生きない人間は信用できない。
マハトマ・ガンジー
参考
「柳井正は人として終わってる」 鬱→休職→退職の新卒社員が語るユニクロの人材使い捨てぶり:MyNewsJapan
「柳井正は人として終わってる」を読んで