東京大学を離れるにあたって
はじめに
はじめに of はじめに
2024年3月末をもって,現職(東京大学 大学院情報理工学系研究科)を退職します.この記事は
これから博士号を取ろうと考えている人
現在,博士課程に在籍している人
進路としてアカデミックを考えている人
に向けて,筆者がこれまでの経験をまとめたものです.
この記事で書くこと・書かないこと
書くこと
博士号をとってアカデミック職に就くまで
研究グループを運営するにあたって
転職活動
書かないこと
acadexitの話.次もアカデミック職なので acadexit はしません.
異動先の話.4月になったらどこかに書きます.
アカデミック職一般に関する所感.アカデミック職一般について不満が無いわけではないですが,そういう話は,知り合い同士での酒の肴に留めるか,ネットに放り投げる前に行動すべきだと思いますので.
何故この記事を書くのか
研究者的にも人間的にも次のステージに向かおうとしております.若手研究者としての終活のため,いま持っているものを次の世代に託していこう,ということでこの記事を書きました.
余談ですが,らーめん再遊記3巻で「ラーメン職人としての終活」がテーマとして挙げられています.かつてラーメン職人として活躍していた宇崎というキャラクターが登場します.かつて自分のための作品(=ラーメン)を作っていた宇崎は,いまではすっかり落ちぶれてしまっています.しかし,その中でも自分のラーメンの知識や経験を次の世代に渡して,次の人生のステージに向かう,という話です.それの若手研究者版だと思って頂ければ結構です.
博士号をとってアカデミック職に就くまで
経歴
1988年 熊本県 天草という離島で生まれる
2009年 熊本電波工業高等専門学校 卒業
2011年 長岡技術科学大学 卒業
2016年 奈良先端科学技術大学院大学 博士後期課程 修了
2016年 東京大学 特任助教
2018年 同 助教
2023年 同 講師
それ以外(現職のみ): 理研 客員研究員,国語研 共同研究員 他.
プロフィール
研究分野:音声処理(いま流行りの生成AI)
割とノリで生きている.
博士号をとってアカデミック職に就くまで
博士課程当時,研究職に就くつもりはありませんでした.理由は2つ.
1つは,研究より教育が好きなこと.保育士や塾講師をやっていたこともあり,子どもたちが喜んでくれる職に就きたかったのです.今も,教育のコンテンツとして研究をやっています.
もう1つは,単純に研究の才能を持たなかったこと.悲しい.研究をやっていく上では,様々な能力が必要とされます.いわゆる研究活動,広報活動,資金繰り活動あたりですかね.どれをとっても,まあ人並みの域を越えてない自覚がありました.
D3当時,博士論文研究を辞めて自由に研究している時期でした.補足すると,D2終了時点で学位取得の見通しができたので,最後の1年は博士論文の研究をせず,自由研究で遊んでいました.で,ゆったり就職活動をやっていました.以下,その履歴です.
学振PD: (書類が面倒で) 出さなかった.結果論で就職できましたが,やっておくべきだった
企業・研究所: 国内外で色々お話をいただきましたが,全てお断りしました.研究で働くことにモチベーションを保つ自信が無かったから.
ポスドク: 2~3大学くらい? 現職につかなかったらここに行こうと思っていました.
高専: これが本命だったが,まあ公募が出ない.
で,現職の教授に「うちで特任助教をやりませんか」と誘っていただき,いまに至ります.現職に決めた理由は以下の通り.
今までと違う環境で働きたかったから: 新しい環境で動いたほうが面白いことが起きそうなので.
「自分の研究チームを作って欲しい」と言われたから: 研究の考え方はいくつかありますが,私は「なんかワクワクすることを考えて,それを誰よりも早く実装する」のを大事にしています.で,それをやるには自分の研究チームが必要だと思っていました.研究職に就くつもりは無いと書きましたが,その考えを実現できそうだったのでお話を受けることにしました.この点も含め素晴らしい環境を与えてくださった教授には頭があがりません.
研究グループを運営するにあたって
3つのゴール
自分で研究グループを運営するにあたって,D3当時に3つの目標を掲げました.
少なくとも1人の博士号取得者をだすこと
研究能力,教育能力,運営能力は全く別物だと思っています.博士号はあくまで研究能力の証明であり,それ以外の能力を保証するものではありません.で,そんな自分に次の世代の研究者を育てる能力があるのか,あるならそれを実証できるのかを問うため,この目標を掲げました.
教員・博士課程・修士課程それぞれが2名以上いるグループにすること
文字通りです.弊学の場合,修士課程が2名以上いることはそこまで難しくないと思います.
博士課程学生が2名以上いるべきなのは,博士課程は基本的に孤独であると私は思っているからです.例え博士課程が2名以上いようと孤独が解消されることは無いと思っていますが,それでも孤独と向き合い戦う仲間が隣りにいることは大事だと思っています.カイジの鉄骨渡りの「天空を行く一人一人の57億の孤独 そして、一人ひとりは互いに手は届かない、触れられない、遠く離れている 出来ることは通信だけ」というやつです.
教員が2名以上いるべき理由は,歳を重ねる毎に批判してくれる人が減るからです.役職が上がるにつれ,仕事において自分を批判してくれる人が減ってきます.研究のような専門性の高い仕事内容では,それがさらに加速します.ただ,研究は「客観的に正しいことが正しい」ため,そういう意味では目下が目上を批判しやすい行為ではあります.これを活かすために,私を批判してくれる人をグループにおきたかったのです.平たく言えば「誰か俺を叱ってくれ」です.
私がいなくても動けるグループにすること
いずれ現職を離れることは,着任した時点で分かっていました.ですので,それを前提にしたグループ運営をやりました.考えたのは着任した時点ですが,行動に移したのは6年目(今からカウントして3年前)です.具体的には以下のことをやりました.
まず,教員を中心メンバーに入れないプロジェクト型研究を進めました.これは,1教員--1学生という縦に繋がった研究体制ではなく,複数学生(サブで教員)というスタイルです.具体的な論文でいえば,UTMOS,JVNVコーパスなどが該当します.縦に繋がった研究体制で学術成果を担保しつつ,プロジェクト型研究で学生同士で解決する習慣を付けてもらうためです.(ただし,研究遂行にかかるお金は当然ながら教員が負担するので,教員はそれを見越した外部資金を獲得せねばなりません)
次に,学生による外部予算獲得です.最近,博士後期課程で取れるスカラーシップが増えてきました.例えば,学振,JST次世代などですね.他人を納得させて金銭などの支援を獲得する能力は,他の研究遂行能力と異なります.この能力は研究者として生きていくなら必要な能力ですし,また,資金への挑戦経験により,お金の使い方を学生に学んでほしいという意図があります.幸い,修了生を含む課程博士 8 名は全員何らかのスカラーシップを受けているので,色々学んでくれると嬉しいです.
グループ運営の変遷
これまで 8 年間,研究グループを運営してきました.その各年における運営目標を立ててきました.
1~3年目: 社会に認知させるための活動期
前提として,良い仕事をすれば社会に認められるという考えは明確に誤りだと思っています.ここでいう社会とは,一般社会であり,研究コミュニティです.また,ぽっかり口を開けて受け身でいれば餌がもらえるという考えも,同様に誤りだと思っています.ということで最初の 3 年は,研究グループを社会に認知させるための活動をやりました.コーパスを出す,宣伝を欠かさない,方方に講演に行く,学術賞を取る,プレスリリースを出す,などなどやりました.資産を生むためには資産が必要です.
4~5年目: 活動を拡げるための活動
上に「(博士課程の)最後の1年は博士論文の研究をせず,自由研究で遊んでいました」と書きましたが,この活動は,私が教員になって学生に渡すテーマ作りでした.D3(2015年)の間に研究のプロトタイプをつくり,それを学生にテーマとして渡していました.論文で言うと,敵対的音声合成(2016年),系列変換音声変換(2017年),ニューラルダブルトラッキング(2018年),教師なし音声サブワード獲得(2019年),リアルタイム広帯域音声変換(2020年)がそうです.で,3~4年やって D3 のころに貯めたテーマが尽きそうだったので,色々方向転換して研究テーマを考えました.
6~8年目: 研究グループを離れても研究グループが続くための活動
私が研究グループを離れても,研究グループが輝いて活動できるための活動です.詳細は前述の内容を参照ください.1~2年やって「これなら私が離れても大丈夫」と思えるくらい,同僚の先生と学生のみなさんが動いてくださったので,私は転職活動をやることにしました.
転職活動
活動時のスペック
ということで就活を始めました.始めた当時の業績はこんな感じ.
年齢:35歳 (学位取得後 8年目)
国際学術論文: 30くらい
国際会議論文: 100くらい
招待講演:40くらい
受賞:20くらい(指導学生の受賞は50くらい)
研究費獲得:
代表: JST創発,総務省SCOPE,科研費 萌芽,基盤B など
分担: ムーンショット,科研費 基盤S, A, B など
アカデミックのみで職探しをやりました.企業・研究所を受けなかったのは,前述の通り,研究で働くことにモチベーションを保つ自信が無かったからです.
研究をやめるか続けるか
この 8 年,私なりに研究に貢献してきたつもりです.で,このまま研究をコンテンツとした教育を進めるか,それとも,研究でないコンテンツで教育を進めるか,非常に悩みました.最終的に,公募結果に委ねることにしました.教育重視の大学と研究重視の大学の両方に出して,受かった道を進むことにしました.
公募戦歴
関東の国立大学(2023): 書類落ち
関西の国立大学(2023): 内定辞退
関東の私立大学(2024): 書類落ち
こんど行くところ(2024): 内定
ということで戦歴は 2/4 でした.2023年に受けた国立大学(教育重視系)の内定を辞退したのは,内定を受けようと返事をする直前に,現職(講師)の枠が突如降ってきたからです.その節は,関係者の皆様に大変申し訳無いことをしました.この場を借りてお詫びします.
公募においてやってよかったこと,ラッキーだったこと
on the job market であることを積極的にアピールしたこと
2022年ごろから,SNS,学会などで就活中であることを宣言してきました.おかげで,色々な皆様にお声がけ頂きました.知ってもらうって大事.
わかりやすい業績を積むこと
業績は正義だと思っています.私の指導教員も現職の教授もそういう考えでした.ここでいう業績とは,論文数に限らず「どの程度社会に貢献したか」の指標だと思っています.(というか,そもそも大学において研究活動の原資の多くは国民の税金です.我々研究者は,研究テーマの決定権こそ委ねられていますが,どの研究テーマにせよ税金原資で活動している以上,研究成果は社会に還元されるべき,と私は考えます.)
自分の研究分野が社会ブームと重なったこと
私の研究分野は,いま話題の生成AIに大きく絡んでいます.採る側としても,そういう研究者をこのタイミングでとることに,強いメリットがあると思っています.採用側にメリットのある研究をやっておくのは,企業でも大学でも変わらないのかなと思っています.
まとめ
博士課程を修了してから 8 年間の変遷でした.知り合いから見れば「いや違うよ」と言いたい内容があるかもしれませんが,そこはご容赦いただけると幸いです.これから研究者になる人たちにとって,少しでも参考になれば幸いです.