『悪い言語哲学入門』紹介・サポートページ
『悪い言語哲学入門』(2022 ちくま新書)のためのページです.
出版社書籍ページ Webちくま(ためし読み)
基本情報
目次
第1章 悪口とは何か—「悪い」言語哲学入門を始める
1 私たちは言語のエキスパートではない
日本語には「悪い」ことばがない?/言語について学ぶということ
2 悪口の謎
悪口の必要条件と十分条件を私たちはまだ知らない/悪口の必要条件/悪口の十分条件/謎1「なぜ悪口は悪いのか、そしてときどき悪くないのか」/謎2「どうしてあれがよくてこれがダメなのか」
3 言語哲学を学ぶということ
言語学と言語哲学/「正統派」言語哲学と「悪い」言語哲学
第2章 悪口の分類—ことばについて語り出す
1 内容にもとづいた分類
ディスクレイマー/筒井康隆のリスト/悪口の普遍性
2 形にもとづいた分類
このバカめが!/文法的用語/タイプとトークン
3 行為による分類
悪口の機能/言語行為論に触れる
第3章 てめえどういう意味なんだこの野郎?—「意味」の意味
1 意味を学問する
日常的な「意味」という語はバラバラのことがらを指す/「意味とは何か」という問いへの二種類の答え方
2 意味の外在主義と内在主義
ラッセル的命題/意味の公共性/可能世界の集合としての命題/概念(への指令)としての意味
3 意味が担う四つの機能
真理条件的内容と共有基盤/前提的内容/陰湿な共有基盤の動かし方/使用条件的内容/会話の含み
第4章 禿頭王と追手内洋一—指示表現の理論
1 武士を法師と呼ぶなかれ
御成敗式目/騎士の名誉/呼称とランキング
2 固有名
二種類のあだ名/クリプキ的理論/フレーゲ的理論/二つの理論の違い
3 確定記述
禿頭王と定冠詞/ラッセルの理論/日本語の問題
第5章 それはあんたがしたことなんや―言語行為論
1 語用論
統語論と意味論/意味論と語用論
2 言語行為論
行為としての言語/情報伝達の神話/「あんたバカぁ?」の発語(内/媒介)行為/罵りと悪口/バカにする・ランクづける/いつ罵りが軽口になるのか
第6章 ウソつけ!―嘘・誤誘導・ブルシット
1 嘘つきは泥棒のはじまり?
嘘の頻度/何気ない嘘・善意の嘘/嘘は必ずしも悪くない
2 嘘とは何か
欺瞞としての嘘/真っ赤な嘘
3 嘘でなければいいじゃない
誤誘導(ミスリード)/ブルシット(でたらめ)/犬笛、隠語、その他の行為
第7章 総称文はすごい
1 主語がデカイ
総称文とは何か/総称文の特徴1 あいまいさ/トランプ流総称文の使い方
2 「だって女/男の子だもん」
総称文の特徴2 本質主義/名詞 vs 形容詞/ステレオタイプや偏見の表現
第8章 ヘイトスピーチ
1 ヘイトスピーチとは何か
ヘイトスピーチの基本的特徴/ランクづけとしてのヘイトスピーチ
2 「ヘイト」と「スピーチ」の概念分析
憎悪の神話/アリストテレスによる「怒り」と「憎悪」の区別/「スピーチ」未満/「言論」なのか
3 「蒸気船」としての言語
よく分からない「ことば狩り」/“Jap” と “Japanese” の違い/意味の公共性再び
おわりにー悪口の謎を解く
もっと勉強したい人のためのブックガイド
あとがき
紹介ポイント
「悪い言語」の哲学として
本書は、私たちが使うことばの悪い側面について、哲学・言語学の観点から検討しています。ことばは身近なものですが、よく考えてみると分からないことがたくさんあります。たとえば悪口とは一体何でしょうか? それは単に人を傷つけることばというだけなのでしょうか? では傷つけなければ悪口ではないのでしょうか? あるいは、嘘とは一体何でしょうか? 嘘でなければそれを言ってもいいんでしょうか? 「嘘」にはギリギリならないように、のらりくらりとかわすあれは一体何でしょうか? 「おいタコ!」と人を罵ることができますが、同じように「おい本棚!」と罵れないのはどうしてでしょうか? 人はタコでも本棚でもどちらでもないのに。こうした問い(や他のたくさんの問い)について、考えています。
言語哲学や言語学といった学術分野では、人間の言語の本質、ことばの意味、言語使用の仕組みや社会的機能などについての理論的な研究が、長年にわたって積み上げられてきました。その研究の蓄積はものすごく分厚く、さまざまな驚くべき知見に満ちあふれています。この蓄積を専門家同士の間だけにとどめておいたらもったいない、知見のごく一部でも紹介せずにはいられない、という思いで書いたのが本書です。
「悪い入門」として
「悪い」というか、「オルタナティブ」言語哲学教科書として、今簡単に手に入るスタンダードな言語哲学教科書の補完を目指しています。
たとえばライカン『言語哲学 入門から中級まで』はかなり幅広いトピックをカバーしますが、それでも「嘘」、「ブルシット」、「総称文」、「差別的語彙や卑語の意味論・語用論」、「ヘイト・スピーチ」などにまつわる議論はありません(未邦訳の第3版には少しある)。本書はそうしたトピックを紹介するため、既存の教科書のアップデートという側面があります。
スタンダードな言語哲学教科書がカバーする範囲もそれなりに押さえています。
たとえば、ラッセルの記述の理論、固有名の記述説と因果説、意味論と語用論の区別、真理条件的意味論、可能世界意味論、前提的内容、会話の推意、規約的推意(使用条件的意味)、言語行為論(発語行為・発語内行為・発語媒介行為)などです。
そして、これらを(どこまでうまくいっているかを読者におききしたいところなのですが)、なんだかふざけた事例を考えているうちに理解してもらおう、というのが本書の目標です。
本気で「入門」レベルにしたかった。
世の中には「入門」書がたくさんありますが、ほんとその難しさはまちまちです。「え、これで入門なの??」と思ったことが正直いくらでもあります。「入門詐欺」って言うよりは、たぶん「入門」が不確定過ぎるんでしょうね。ちょっと格闘技エクササイズやってみようかな〜って極真空手の道場に週三で通う(フルコンタクトってやつですかね? よく知らない)みたいになっているのかもしれません。それも「入門」でしょう。しかし本書の「入門」はほんとに「とりあえず」の「入門」、「第一歩」の気楽さを目指しています。
本書は各トピックをそれほど長くせず、できるだけとんとんと動かしています。ちょっと物足りないくらいでも展開優先ですので、まあ、読める・読みやすいだろうと信じています。(第3章はちょっっとだけ長い。途中飽きたら飛ばしていいです。)
ローカライズ、ローカライズ、ローカライズ。
(ドイツ語圏そして)英語圏で主に展開されてきた言語哲学(そしていわゆる「分析哲学」)を学ぶとき、ほとんど英語の勉強(歴史・文化的背景の吸収を含む)をやっているんじゃないかと思わされるところがあります。「ブリッジをしていて "I double" と言ったとしましょう」(ライカン)、「ナイト爵を授けられるときにズボンがずり落ちる」(ネーゲル)とかそんな例がいっぱいありますし、英語定冠詞や不定冠詞の用法、"every"、"some" や "hereby" の用法、どこで "know how" と言えるか言えないか、などもまず把握しなければなりません。もちろん、それこそ学問であり学びであり(まったく未知の思考パターンを経由し新しい自分に生まれ変わるのだ!)というところもあるのですが、みんながみんなそれを経てこないとついていけない、というのでは言語哲学のハードルが爆上がりしてしまいます。
関連する点として、英語表現を対象にして展開された既存の分析を日本語に当てはめるのは、実はかなり難しい、というところもあります(あるいは全然うまくいかない)。古典におけるそもそもの議論にこだわって、それを紹介しようとすると、上で触れたような英語の特徴を紹介した上で、英語対象の分析を一回導入・把握して、それにどんな証拠があるのか、英語における妥当性・もっともらしさなどを精一杯を議論して検証してーというような流れになり、日が暮れます。
それなら、そもそもまず日本語表現と日本語話者になじみのある現象からスタートして(単に固有名の例を日本史の人物にするとかそういうことではなく)、日本語をベースにしてもある程度無理なく言える範囲の概念のみを提示して、解説する、とするのが第一歩でよいと思うので、本書のような内容になっています。(飯田隆著『日本語と論理』は、言語哲学・意味論の観点から日本語の諸特徴を考察する素晴らしい本ですが、言語哲学の入門書ではなく、また取り扱う内容と議論にかなり高度な点が含まれます。峯島宏次さんによる書評があります。)
今あげた峯島宏次さんによる書評は、次のように閉じられています。
日本語から見ると、英語を中心に展開されてきた言語哲学の議論や常識はいったいどうなるのか。本書[『日本語と論理』]が扱っているような日本語の基本的な現象から入って言語哲学や形式意味論を解説するとどうなるだろう。「現在のフランス国王 (the present King of France)」のように英語を挿入するぎこちなさに悩まされることなく、「いる/ある」、the と同じくらい考える価値があるかもしれないと言われる「の」、あるいは不定詞と「か」や「も」といった日本語の表現を題材として、述語論理や言語哲学の基本概念を導入するとどうなるだろうか。本書はそういう可能性について考えをめぐらすきっかけを与えてくれる。
正直、峯島さんが想定されている水準からは程遠いと思うのですが、『悪い言語哲学入門』はこのような問題意識からローカライズをひとつのテーマに執筆されました。日本語からはじめるとどうなるのだろうか。とりあえずやってみよう、というわけです。また、私はそもそも「英語を中心に展開されてきた言語哲学の議論や常識」に疑問を抱きながらこれまで研究を続けてきた、というところもあります。それをなんとかぶっちぎりたかったのかもしれません。
正誤表・付記・解説
正誤表
初版の誤りですでに修正されているもの
p. 58
核分裂(誤)
核融合(正)
p. 210
ことばを一種と道具とみなす(誤)
ことばを一種の道具とみなす(正)(菊地建至さんよりのご指摘)
これからテキストあるいは動画で補足しようと考えていること
他の言語哲学の教科書との比較:面白いトピックでも、他の教科書に書いてあるものをあえて避けたところがあります。どのようなトピックが議論されているかを紹介したいです。たとえば、服部裕幸先生の『言語哲学入門』の目次(出版社ウェブサイト)を見てもらうとわかります。意味の検証主義や翻訳の不確定性、そしてウィトゲンシュタインの影響、これらは「悪くない」まっとうな言語哲学の教科書ならカバーしてしかるべきものです。服部先生はさらに、サピア=ウォーフの仮説、そしてチョムスキーの影響を踏まえた言語知識に関する議論をとりあげています。これらはかなり興味が惹かれるトピックかと思います。
論理形式と記述の理論:さすがに簡易過ぎるかな、いやでもこれ以上増やしたら長くなるーなどと葛藤しましたので、補足したいです。
[to be added ...]