米国は何故属国なのか?2025年は2回目の独立戦争になると思います。どこの支配から独立するのか?それは、世界の実業史を紐解かずには理解しえないのです。
キリスト教徒の科学者技術者職人たちが大航海時代の落し子として、近代化学の発想を持って天文学、物理学、化学、機械工学ベースにして、18世紀までに近代的な数々の発明発見を今日のために続くその時代を生み出した。
最後に、1765年イギリスで ェームズ=ワットが効率的な蒸気機関を生み出すとは産業革命による工業化の激動つまり人間の手で作らない機械でものを作る時代に入り、その中で1825年には蒸気機関を利用してスティーヴンソンの親子は実用的な蒸気機関車を生み出したということろまで話ししました。
では、今の主題であるドイツにいたロスチャイルド家はどうしたのかというと、初代のマイヤーアムシェルは、自分の後ろ盾だったドイツのヴィルヘルム9世が傭兵を主に産業革命が起こっているイギリスに投資をして売りつけていた。
その莫大な投資をした大きな資産を知っていた。自分の5人子供息子の中で最も商才が長けてる息子をイギリスに派遣しようと決断した。1798年にその三男のネイサン=ロスチャイルドにお前はロンドンに行って、ヴィルヘルムの資産を運用しろと命じた。
その時21歳だったネイサン=ロスチャイルドはドイツ生まれドイツ育ちで、英語が全くできないのにイギリスに向けてフランクフルトを飛び出して、父親の言うとおり金融街ロンドンに行った。
この男はロンドンですぐ気がつきました。この男は非常に判断力が早い。何かを見るとすぐに果断に富んだ行動を起こす性格を持っていました。そこがこのネイサン=ロスチャイルドの鋭かったところでだった。
イギリス人が蒸気機関を使って物を生産している。ドイツと違う今自分がいるロンドンの金融街はこれがイギリスの中心ではない。工業化が進む激動時代にそう気がついたので直ちに産業革命の真っ只中にある工業都市マンチェスターに移動していった。
マンチェスターは機械化が非常に進んでいるところで、スティーヴンソンの最初の鉄道を発した。貿易港がリバプールで当時はアイルランドは分かれてますが、アイルランドも一緒でした北部はお酒で有名なスコッチで有名なスコットランド、ウェールズもこちらも石炭の産業都市そういう構造でした。
切り回しが非常に敏捷で要するに勘が鋭く頭のひらめきが父親以上でした。マンチェスターでは1785年に豪雪も蒸気機関での動力で動かすようになっていた。つまり機械化された繊維産業が大量生産を可能にしてマンチェスターの人口は爆発的に増加して経済が急成長を遂げヨーロッパ大陸にマンチェスターから布地要するに織物を輸出していた。
ネイサン=ロチャイルドも負けじと貿易に参加した。その時大陸でそれを受け取る人間として自分の姉ジャネットの夫ベネディクトウォールズという人間に連絡を取ってこれを売ってくれとマンチェスターつまりリバプールから大陸向けに輸送し始め、同業者と競って大陸で販売させてついにネイサン=ロスチャイルドはマンチェスター切っての取引業者にのし上がった。
しかし、6年間貿易を続けた結果、ネイサン=ロスチャイルドは他の業者とただこうやって争っていても仕方ない。全体の金融を支配したいという欲が湧いてきた。1804年 に今度はロンドンに移ってロスチャイルド商会を開いた。
ネイサン=ロスチャイルドさんが持参した持参金は2万ポンドで、そのうち8割つまり 1万6千ポンドはオランダのアムステルダム商人のユダヤ人仲間、これは父親の仲間のコーエン家を通じて、父親が送ってくれた。
ここでもユダヤ人仲間グループがネイサン=ロスチャイルドの貿易を切り回すシステムも 組織してくれました。このようにネイサン=ロスチャイルドが利用した近親者一族 、ユダヤ人一族による支配の方法はあらゆる産業をそっくり飲み込む力量を発揮し始めた。
その時、ただそれだけを利用するのではなく、まず金融力のあるネイサン=ロスチャイルドはシェア全体を自分のものにしようと、薄利多売で値段を他の業者より安くしてシェアをどんどん増やすことよってライバル業者を潰すという業界支配に心がける。
それで成功を収めていく。なぜなら、当時国家としてのイギリスは東南アジアの香辛料つまり胡椒などの貿易の覇者が当時はオランダがヨーロッパ一でしたポルトガルやスペインよりもオランダの方が造船能力が非常に大きかった。
桁違いに大きかった。ついにオランダがトップに争って日本にもやってきいます。例えば日本の長崎の出島というところに、オランダの商人が商館を開いたのは1640年頃つまりイギリスと争ってオランダだけが最後に日本に貿易を進めることはできるようになった。
そういう時代で、貿易をみんな最後にオランダに占有されてしまって、東南アジアから追い出されたのがイギリスであった。イギリスは1757年にアジア貿易を別の方法で支配しようとしてイギリス東インド会社を設立した。
東インド会社はできて直後に幸いにも産業革命がスタートしたわけですから、イギリスとしてはこのインド拠点に全世界に進出しようと1773年にインドに総督を派遣しました。