ブログ「青春ゾンビ」の管理人、ヒコ(@hiko1985)です。
土曜9時、なんて甘美な響きだろうか。「明日は休みだ仕事(学校)もない。早起きなんてしなくてもいい」という休日の予感と夜更かしへの誘惑が漂う濃密な時間。そして、土曜9時といえば、テレビドラマである。日本テレビが土曜日の午後9時から放送していたドラマ枠である通称“土9”だ。
2017年の3月をもって惜しくも廃止されてしまったのだが(現在は午後10時より放送)、テレビドラマファンであれば、この枠に並々ならぬ想いがあるに違いない。2000年以降だけでも
- 『伝説の教師』(2000)
- 『フードファイト』(2000)
- 『明日があるさ』(2001)
- 『ぼくの魔法使い』(2003)
- 『すいか』(2003)
- 『彼女が死んじゃった。』(2004)
- 『女王の教室』(2005)
- 『野ブタ。をプロデュース』(2005)
- 『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(2006)
- 『Q10』(2010)
- 『悪夢ちゃん』(2012)
- 『泣くな、はらちゃん』(2013)
などなど、テレビドラマ史にその名を刻む、名作・迷作がめじろ押し。
今回、そんな名作群を差し置き、あえて目を向けたいのは90年代後半の、まだ土9が「土曜グランド劇場」*1と名乗っていた時期である。
個人的な話になってしまい恐縮だが、1985年生まれの筆者としては、まさにこの時期が“テレビドラマとの出会い”。とりわけ1995年から1997年にかけての
- 『金田一少年の事件簿』(1995)
- 『銀狼怪奇ファイル』(1996)
- 『透明人間』(1996)
- 『サイコメトラーEIJI』(1997)
- 『D×D』(1997)
- 『ぼくらの勇気 未満都市』(1997)
といったジャニーズ事務所の俳優を主役に据えた通称“ミステリーシリーズ”、ここが私のテレビドラマ鑑賞の原点といっていい。同年代であれば、賛同頂ける方も多いのではないだろうか。
思い入れも強いこのジャニーズミステリーシリーズ、タイトルを眺めているだけで強烈なノスタルジアで涙が零れそうになる。
その一因として、『金田一少年の事件簿』を除いて、ほとんどの作品がDVD化されていなかった点が挙げられるかもしれない、と思いきや今年の7月に『ぼくらの勇気 未満都市』はBlu-ray&DVD化が決定。あまりのタイミングの良さに驚いている。
このジャニーズミステリーシリーズは、脚本や演出家はそれぞれ異なりながらも、地名や登場人物を共有し、同一の世界の出来事として語られている。
その一環として、『金田一少年の事件簿』のスペシャル「雪夜叉伝説殺人事件」に次クール『銀狼怪奇ファイル』の主人公である堂本光一が登場する。
劇中のシーンで堂本剛とバトンタッチ(金田一と不破耕助は親友という設定)、『銀狼怪奇ファイル』の最終回に同じく次クール『透明人間』の香取慎吾がカメオ出演、といった遊び心溢れる演出も。
であるから、作品に漂うフィーリングもどこか統一されている。そのトーンはどこか不穏、現在のテレビの放送コードであれば、間違いなく弾かれてしまう残虐さが特徴だ。
テレビドラマというのは時代を映す鏡のようなものであるから、そこにはやはり90年代後半の空気が反映されている。1995年の地下鉄サリン事件と阪神大震災、1997年の酒鬼薔薇聖斗事件など、この国の抱えた“軋(きし)み”がはっきりと世間に可視化され始めた時代。
しかし、ジャニーズミステリーシリーズはただイタズラに時代の不安をあおるのでなく、陰惨な作劇の上でも、確かな希望のようなものを視聴者に与え、我々を懸命に“生き延びる”方向へ導いてくれていたようにも想う。
そんなシリーズの中から3作品をピックアップし、私なりに振り返ってみたい。
※ 編集部注:以下には、作品内容に触れる情報が含まれています
金田一少年の事件簿
シリーズの看板作品といえば、こちら。キャストやスタッフを変えて、これまでに4人の金田一少年が登場しているのだが、やはりオリジナルの堂本剛版こそ至高。
「意地汚くスケベ、普段はバカなことばっかりやっているのだけども、いざ捜査となるとキリリと聡明になる」という、いわゆる“昼行灯*2”的な金田一のキャラクターが、堂本剛のパーソナルにビシっと合致している。そのカジュアルな格好良さは時代を牽引したといっていい。
とりわけ、当時の小学生の間でのKinki Kidsの人気ときたら! クラスでの『金田一少年の事件簿』の視聴率は誇張ではなく100%に限りなく近く、誰もが誰も「じっちゃんの名にかけて」、何かを解決しようとしていた。
しかし、改めて鑑賞してみると、堂本剛のその軽薄さの裏側に、“哀しみ”のようなものが滲(にじ)み出ているように感じる。
金田一の幼馴染である深瀬美雪役の、ともさかりえ、剣持警部役の古尾谷雅人も同様で、みな一様に道化を演じながらも、生きることの哀しさがそこはかとなく体現されてしまっている。『金田一少年の事件簿』の特徴である、犯人の心理へのクローズアップという手法が、そういったフィーリングに拍車をかける。
被害者は基本的に「殺されて当然」というようなぞんざいな扱いをされるのだけども、犯人は完全に物語の主役である。その残虐な犯行にどのような哀しい物語が隠されているかに金田一は執着する。とにもかくにもメランコリーなドラマなのである。
このドラマが新しかったのは、そういったメロドラマ的展開の一方で、その隙間をコミカルな演出で埋め尽くしていた点にあるだろう。今作は、『ケイゾク』(1999)、『TRICK』(2000)、『池袋ウエストゲートパーク』(2000)などを手掛け、テレビドラマ界をリードしてきた堤幸彦の出世作でもある。“ズレ”を多用したボケ(今観ると、鮮度は落ちまくっているのだけども)、多彩なアングルや画面効果といった演出の数々が、陰惨で感傷的な物語の敷居を見事に下げている。
とりわけ、見岳章(元・一風堂)が手掛けるBGM演出が秀逸で、『金田一少年の事件簿』といえば、事件発生時に流れるあのテーマといっていいだろう。ちなみにエンディング曲も1期「ひとりじゃない」(堂本剛)、2期「KISSからはじまるミステリー」(Kinki Kids)ともに名曲だ。
銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜
『金田一少年の事件簿』と比べるとやや知名度は落ちるがこちらも忘れ難い一作。主演は同じくKinki Kidsの堂本光一である。V6の井ノ原快彦と三宅健の出演、宝生舞の可憐な美少女っぷり、現在放送中の『ひよっこ』で母親役を演じている木村佳乃が女子高生役、というのも見所としてはじめに挙げておきたい。
金田一の決め台詞が「じっちゃんの名にかけて」であれば、本作の主人公である不破銀狼は「俺に不可能はない」もしくは「なめてンじゃねェぞ」であって、ややハードボイルド寄りだ。そして、金田一のIQが180なのだが、銀狼は何と220である。この設定に当時の小学生たちは、「銀狼は金田一よりやべぇ」と胸を熱くさせたものだ。
オープニングナンバー「ミッドナイトシャッフル」(近藤真彦)のハードロック歌謡っぷりも子ども心に火をつけた。
タイトルにもあるように、主人公は二つの脳を持っており、堂本光一がその二つの人格の演じ分けに挑戦している。大人しく平凡な”耕助”から、天才だが乱暴な”銀狼”に切り替わると、堂本光一の髪にパーマがかかり、目が銀色に変わるのである。
事件は『金田一少年の事件簿』と同様に復讐劇がベースなのだが、それらの殺人が「突然の人体発火」や「絵から抜け出す死神」といった、奇想天外な出来事によって巻き起こる。それらをIQ220の銀狼が科学的に解明していく。
今、観直すと「サブリミナル映画鑑賞」だとか「マイクロ波発生振動銃」だとか「フェロモンマジック」だとか信じられないようなトリックの数々に開いた口が塞がらなくなるのだが、それが味ともいえる。
銀狼が「なるほどね」と得意気な推理でトリックを暴こうとするが、だいたい1回は間違える。すると、銀狼は「なんでだぁぁぁぁ」とショックを受けて、耕助の人格に戻ってしまうのだ。誇り高き王子である。そう、『銀狼怪奇ファイル』はチープカルトの色がかなり強い。それでも、堂本光一の高貴さでもって見事にバランスをとっている。
当時の視聴者の記憶に強くこびりついたのはやはり、一つ目の事件「首なしライダー」ではないだろうか。いかにも物語の核になりそうな主人公の親友が、登場から10分ほどで殺害されてしまう。しかも、神社をバイクでくぐり抜けようとしたら、鳥居にピアノ線が張られており、反動で首がスパーンと吹き飛んで死ぬのである。
その後、首がなく胴体だけのバイク乗りによる殺人事件が多発する。冷静に観返してみると、その不穏さは“異常”の一言。しかし、こういった表現を当たり前のように受け入れてしまう土壌があの時代には確かにあった。
そして、単発の殺人事件が、徐々に「銀狼VS金狼」という一本の線でつながっていき、金狼の意外な正体にたどりつく。どこか仮面ライダーなどの特撮モノを彷彿とさせる良質なストーリーテリングが今作の何よりの魅力であろう。
ぼくらの勇気 未満都市
ラストは、『金田一少年の事件簿』の堂本剛と『銀狼怪奇ファイル』の堂本光一がダブル主演で揃い踏みのこちら。嵐の松本潤、相葉雅紀や伝説のジャニーズJr小原裕貴の出演など話題には事欠かないのだが、設定の盗作疑惑、出演者の引退や不祥事などで、最もいわくつきの作品でもある。しかし、時代の空気とリンクしたセンセーショナルな物語運びは、間違いなくシリーズ屈指の傑作として数えたい。
成年以上に達した人間が感染すると死んでしまうウイルスが臨海地区でバイオハザードを引き起す。大人たちが死滅し、子どもだけが取り残された街は封鎖され、事実を隠蔽しようとする政府の監視下に置かれる。子どもたちは「20歳まで」という死のカウントダウンを受けながら、少ない食料物資を奪い合う過酷なサバイバルを強いられている。
そんな荒廃した街に、Kinki Kinds演じるヤマト(堂本光一)とタケル(堂本剛)が乗り込み、時には激しくぶつかり合いながら、秩序を生み出していく。『ぼくらの勇気 未満都市』は“正しく生きていくこと”を問う、青春SFドラマなのだ。暴力や死が、子どもたちの元に生々しく忍び寄った時代の閉塞感が、作劇に見事にトレースされている。
そんな空気を体現していたのが、エンディングテーマ「愛されるより 愛したい」(Kinki Kids)だろう。大人たちに規定され、阻害されることへの抵抗を叙情的なメロディに乗せた歌謡曲。その衝撃度は今でいえば、あの欅坂46「サイレントマジョリティー」に匹敵する。
このドラマがまいた種は、多くの視聴者の心の奥底に根を張り、今もなお静かに息づいているように想う。そして、最終話で発された
20年後、またこの場所で会おう
という台詞を回収するべく、Kinki Kidsのデビュー20周年記念の一環として、まさかの続編制作が発表された*3。38歳になったKinki Kidsの2人が、同じく20年という時を経た私たちの「あのころの未来に僕らは立っているのかな」というような感触を、どのような形で表現してくれるのか、今から楽しみでならない。
著者:青春ゾンビ(id:hiko1985)
『青春ゾンビ』というブログでポップカルチャーやとんかつについて書いています。