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音楽のジャンル(渡辺裕)

以前、「美空ひばりが「柔」とかを歌って、日本化=演歌化したのは「昭和30年代」と「40年代」の境目あたりじゃなかったでしたっけ」と書いたことがある*1。さて、渡辺裕氏が


「演歌」と呼ばれるようなものも、一括りにそういう名で呼ぶ慣習が生まれたのは、せいぜい一九七〇年代くらいの話である。美空ひばりは演歌歌手であるだけでなく、ジャズにいたるまで幅広くこなす天才だったなどとよく言われるが、彼女がデビューした頃にはそもそも「演歌」を歌っているなどとは誰も認識していなかった。《柔》も《真っ赤な太陽》もひとしく「歌謡曲」であり、その才能のほどは別問題として、和洋両様歌いこなす歌手は他にもいろいろいたし、ドレスで「演歌」を歌う光景も珍しいものではなかった。「演歌」は和服で歌うものというイメージ自体、それが新たに独立したジャンルになった七〇年代以降のものなのである。(「共同体作り上げるジャンル分け」『毎日新聞』2007年11月21日夕刊)
と書いていた。たしか、このようなことは、有田芳生『歌屋 都はるみ』(文春文庫)にも、都はるみの回想として出ていたような気がする。従って、冒頭に引用した私の言は1970年代以降からの回顧的視点によるものということになる。また、ぴんから兄弟とかは(独立したジャンルとしての)「演歌」の初期に属するということになるか。
歌屋 都はるみ (文春文庫)

歌屋 都はるみ (文春文庫)

それはともかくとして、渡辺氏は、「一つの曲がどのジャンルに分類されるかは、その曲にとって付随的な事柄ではない」という。また、

曲にレッテル付けをし、CD店のどのコーナーに置くかを工夫するというようなことは、売らんかなの商業主義で「純粋」な芸術を汚染する行為と捉えられがちだ。だがこのレッテルは、いわばまだ形になっていない聴衆の志向をいち早く嗅ぎ取って顕在化させる存在でもある*2

楽家はジャンルにおかまいなしに「純粋」に仕事をするわけではない。「ノンジャンル」を標榜する人々もいたが、これまたそういうレッテル付けで特定の傾向の聴衆を周囲に集めたのであり、その意味で「無印良品」がブランドであるのと同じように、「ノンジャンル」もまたひとつのジャンルなのである。
ともいう。
たしかに、渡辺氏がいうように、「ジャンル」には聴衆の「共同体」を形成する力がある。その場合、「ジャンル」の構成に働く力の配分が問題になるのだろう。メーカー(レコード会社)なのか小売レヴェルなのか、批評家のレヴェルなのか、それともミュージシャンやファンのアイデンティフィケーションのレヴェルなのか。また、「ジャンル」の存在を告知する媒体としてのチャートも重要であろう。さらに重要なのは、「ジャンル」間の関係だろう。多くの場合、小「ジャンル」は大「ジャンル」に包摂される仕方で存在していることが多いので、或るアーティストや楽曲がどのような大小の「ジャンル」の包摂関係にあるのかは、近接の「ジャンル」のあり方を決定し、ファンの「ジャンル」越境のあり方に影響する。例えばJ-POPに属するとされる、某女性シンガーのファンがいるとして、彼はそのシンガーを例えばビョークとかよりもモーニング娘。と比較することになるだろう。また、沖縄や奄美の音楽はワールド・ミュージックという大カテゴリーに包摂されていることが多いが、そうすると、そのファンにとって、客観的に目に入ってくるのが多いのは、J-POPや演歌ではなく、ケルト音楽やボサ・ノヴァの方だろう。或いは、ダンス・ミュージックという大ジャンルを想定すれば、ハウスとトランスとフラメンコと三波春夫の音頭物が等価なものとして出会うということも可能であろう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070516/1179339586

*2:その例として、渡辺氏は「J−POPコーナー」に置かれる秋川雅史のCDについて言及している。