著:サカイエヒタ
「いつかは卒業しなきゃ。通過すべき街なのよ」
ジブリ映画に登場する澄まし顔の猫が言い出しそうなこの台詞は、高円寺の銭湯で出会った歯のないおじさんの口から飛び出した。
湯上がりのジュースをすすりながら、人生の先輩の言葉を腹に落とそうと努力してみたが、高円寺にどっぷり浸かっていたそのころの自分にはうまくいかない。
代わりに精一杯うなずきながら、「なるほど、深いっす」とでたらめに答えた。
高円寺に辿り着いたのは必然なのか
新宿駅から中央線で二駅先に、高円寺駅はある。
出版社に勤める28歳の僕は、当時この街にへばりついて暮らしていた。もう10年近く前になる。サブカル好きの親父による幼少期からの英才教育のおかげで、つげ義春やVOWが教科書だった僕は、幸か不幸か、ちゃんと高円寺に辿り着く律儀な人生を送っていたのだった。
高円寺駅には北口と南口があり、駅を中心に商店街が10もある。それら商店街を大動脈として、そこから毛細血管のような小道が住宅地へと張り巡らされていた。
駅に着いた住民たちはこの血潮に乗って我が家へと帰っていくわけだが、一部の人間たちは途中に待ち構えている行きつけの飲み屋の誘惑に捕まることとなる。
高円寺という街はそもそも、東は環状七号線、北は早稲田通り、南は青梅街道という大きな道路たちに囲まれており、わざわざ狭い高円寺の街中を車で抜けようとするドライバーはそういない。
結果として、高円寺の街中の狭い道路では車の姿は珍しく、代わりに缶チューハイ片手の呑んべえが闊歩していた。
金はないけど自由と夢がある若者(と元若者)
高円寺は東京の中でも、上京してきた若者が多く住む街の一つだ。
駅周辺に比べて比較的家賃が安いとされる、北エリアにある馬橋や大和町、または南エリアにある丸ノ内線新高円寺駅界隈に住む若者が特に多い。
あとは昔から暮らしているじいちゃんばあちゃん。もちろん持ち家に暮らす人もたくさんいる。しかし購入となると、高円寺の売買物件はなかなか高額なのである。
高円寺は「金はないけど自由と夢はある若者(と元若者)の街」として形容されることが多い。芸人、バンドマン、作家、写真家、ライター、美容師、舞台俳優……。一通りの卵はこの街にそろっている。そしてそんな卵たちの胃袋を低価格で満たしてくれる食堂や飲み屋がとても多い。
しかしそういった高円寺のイメージは、同じ杉並区内の他の街で暮らす人々を悩ませる。
高円寺の南にある方南町に住む友人は、「自由なのはいいけど、ちゃんと区民税は払ってよね」と、我々高円寺住民の自由奔放さをいつも冷ややかに見ていた。
そのため方南町にある某大型ディスカウントショップを高円寺住民が利用する際には、それなりの敬意と配慮が必要となる。(そんなことはない)
そして当時の僕もまた、「金はないけど自由と夢はある若者」の1人であった。
病院と暮らしが混ざり合っていた6年間
10年前、僕は家賃7.5万円、パル商店街の近くにある築33年のコーポに住み、バランス釜の湯で身体を湿らせていた。
右隣の部屋に住むのは母子家庭の親子。左隣は元看護師の70代の女性一人暮らしだ。早朝、彼女の家の排水管が詰まるとよく呼び出された。ミッションをクリアすると数枚の歌舞伎揚を褒美にいただく。一度「歯が見つからない」という難題にもチャレンジした。
当時、この建物は病院が併設されたちょっと変わった物件だった。かつては病院で働く職員たちの社宅として利用されていたらしい。
同じ建物の中で、入院患者たちが寝起きしている非日常感。朝食の時間には食事を載せたカートや点滴台が転がる音が建物内に響き、担架がすっぽり入る共用の大型エレベーターに乗ると、うっすら消毒液の匂いがする。
こんな珍妙な物件を住まいとして選んだのは、やはり幼少期のサブカル教育の賜物だろう。高円寺駅徒歩6分、病院上の謎の部屋。戦歴にまた一つ輝かしい痕が残る。
友人たちは妙に雰囲気のあるこの部屋を面白がった。中には部屋のせいにして体調を崩した女の子もいたけれど、あれはただの二日酔いだったはずだといまだに思っている。
シラフを知らぬ街
夏の夕方はより高円寺が高円寺らしくなる。「夏の夕方の高円寺」という言葉を肴に、手練れの呑んべえなら1杯飲めてしまうのではないか。毎年、夏の終わりに開催される高円寺阿波踊りまで、高円寺は街全体がほんのり酔っ払っている気がする。
飲み屋からはみ出た椅子代わりの黄色いビールケースと、呑んべえをおびき寄せる赤い提灯が、夕刻の高円寺を原色に染める。駅前の高野青果には閉店間際の安売りを目当てに主婦や仕事帰りの人々が群がっていた。そこにアコースティックギターの音が聴こえてくると、今日もまたでたらめで儚い高円寺が完成する。
▲とりあえず、高円寺の空気に浸かりながら飲むなら「大将」だろう。ベタだと言われようが、ここで飲むことで自らが高円寺の背景となる経験はしておいたほうが良い
▲高円寺で大人な顔をして飲める店、Bar「私」。ここには僕と同い年のマスターがいる。先日久しぶりに訪れたら「あのころってどうやって生活していたの?」と聞かれた。そんなこと言われても、自分でも思い出せない
▲南口の西友前にあるメキシコ料理「ROJO Amigo Kitchen」のブリトーは、辞典くらいの重量感がある。テキーラをルートビアで割った乱暴なドリンク(メニューにはないけどつくってくれるはず)で、自慢のブリトーをぐいぐいと飲み込んでほしい
▲水タバコを吸ってみたいなら、初心者でも入りやすい「はちグラム」へ行こう。店主の竜さんは高円寺を具現化したようなゆるい人物である。彼とインドへ旅行したことがあるが、竜さんはやたらと現地のインド人に気に入られるため、僕はその人気に嫉妬したくらいだ
▲深夜2時、仕上げは白い蛍光灯がまばゆい天下一品にまかせる。オーダーしないと出てこない裏調味料「からしにんにく」を忘れずに。酔っ払った年上の友人と共に、濃厚なラーメンと豚キムチを腹に収める。帰り道はもちろん、2人とも満腹感と罪悪感で無言である
そして高円寺を卒業した
誰しもが若者で居続けられる街、高円寺。僕は、いつかはこの街から離れなければいけないことを分かってはいた。そのとんでもない居心地の良さは、危うい中毒性をも孕んでいることにうっすら気づいていたのだ。
しかし「もう半年だけ、ね」「自分に東横線は似合わないしさ」「差し歯入れたらね」などと理由をつけては、いつまでも家に帰らず砂場に残る子どものように、高円寺にしがみついていたのだった。
「いつかは卒業しなきゃ。通過すべき街なのよ」
銭湯で聞いた歯のないおじさんの言葉通りに、6年暮らした高円寺を第一子の誕生を機にエイヤと離れ、刺激は無いが子育てがしやすい、大きな公園のある静かな街に越した。
住めば都とはよく言ったもので、2人の子どもを公園の芝生で遊ばせる姿は、なかなか様になっていると思う。なんだかマンションの折り込みチラシのイラストみたいだ。
こうして僕は高円寺を卒業することで、無事におっさんへと進化したのだった。
ひさしぶりの高円寺を歩く
夏の夕方、ひさしぶりに1人高円寺の街中を歩いた。
改めて、高円寺は新陳代謝が活発な街だと思う。あのころ通った店には、もう看板はついていない。見覚えのない新しい店を見つけ、元が何の店だったのか思い出そうとしたが出てこなかった。出てきたところでどうしようもない。自分がいなくても、街はどんどん変化していることに少しだけ寂しくなる。
高円寺を通過した人生は、少しだけ胸を張れるが、同時に寂しさも残る。財布の中には、もう使うことのできない高円寺の店のポイントカードたちが、いまだに入っていた。
「俺みたいに、いつかは卒業しなきゃ。高円寺は通過すべき街なんだよ」
レモンサワーを飲みながら、高円寺在住の若者へ偉そうにそう言うと、彼は「はあ、深いっすね」と、大げさにうなずいていた。
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著者:サカイエヒタ
株式会社ヒャクマンボルト代表。企画、編集、漫画、コラム執筆、給与計算など。日々丁寧に寝坊しています。著書にエッセイ「かぞくとわたし」(KADOKAWA)。漫画原作「営業たちの挽歌」連載中です。
編集:Huuuu inc.
写真:高山諒