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少しあたたかい冬の沖縄

沖縄旅行で彼女にプロポーズをした。出発直前に詰め込んだ計画はどうにか破綻することもなく進み、幸運にも彼女は首を縦に振ったことで、旅行は成功といえるかたちで幕を閉じた。

旅の発端は、彼女が沖縄出張のあとに有給をつけて観光しようとしたことだった。私もそれに合わせて、一泊二日の弾丸日程で沖縄に合流した。合流を決めたときには、彼女が予約していた帰りの便に空席はなかった。そのため、私たちは別々のフライトで帰ることになり、余韻に浸る間もそこそこに那覇空港で別れを告げた。もっとも、帰る先は同じ駒込ワンルームなのだが、束の間、我々はお互いひとりになる。

 

成田まで約2時間半。搭乗して席に着いた私は、オフラインで保存していたボブ・ディランAirPodsから流し、目を閉じる。穏やかな余韻に浸りたいときは、こうしているのが心地いい。しかしアルバムも半ばを過ぎ、うとうとしかけたその時、右耳のイヤホンが外れて座席の隙間へと転がってしまった。ライトで照らしても見つからない。手を伸ばしても感触はない。そのうちにまどろみから覚めたので、仕方なく左耳のイヤホンもケースに戻して、本を読み始めることにした。

イヤホンは着陸後にゆっくり探せばいい。それでもケースにつがいが揃っていない間は、どうにも落ち着かないのだった。実際、着陸してから探すと、イヤホンは拍子抜けするほどあっさり見つかった。安心して左右のイヤホンを耳にはめ直すと、何事もなかったかのようにボブ・ディランは続きを歌い出す。そのメロディーは、さっきよりも少しだけあたたかく響いた。

 

◇◇◇

 

LCCなので仕方ないが、駐機場に着いてからターミナルまで10分ほど歩く必要があった。その道のりは金網と布で仕切られた簡素な通路から成っており、入り口と出口を定めただけの手作り感はこの旅行を体現しているようだった。金網は一切の風を遮らず、東京の冷えた空気が私の背筋を伸ばす。空のさんぴん茶のペットボトルは、通路脇のゴミ箱に残されていった。旅と日常のあいだあいだの通路を抜けて、これから私は駒込ワンルームで再び彼女と合流する。

 

旅の前と何も変わらない、ただ少しだけあたたかいような、同じ生活が続いていく気がした。

【ショートショート】SUPER DISCO

 

今では空き地となった下町の一角、50年前そこにはディスコがあった。片田舎にも関わらず、連日都会に憧れる若者たちで賑わい、アース・ウィンド・アンド・ファイアーABBAの音楽が夜を彩っていた。あの時、この場所は間違いなく小さな町の熱源だった。

 

今でも、ふと気がつくと自然とここに向かってしまう。肌を刺す寒さの中に、やわらかな日差しの温度を見つけて目を閉じると、かつてのダンスホールが蘇る。

 

壁一面に並ぶカラフルなポスターがディスコボールの煌々とした光に照らされている。カウンターバーでは、カクテルメニューの横文字が躍り、前の若者たちは笑顔で何かを話している。隅の張り紙は「今夜は特別ゲストDJ!」と謳っている。今日は一層、盛り上がりそうだ。

 

「よかったら一緒に踊りませんか?」
ここに立つと、またあなたがそう言ってくれるような気がする。かつて彼と踊ったこの場所で、彼女は今も彼の声を探している。ゆっくりと瞼をあげると、「入居募集」の張り紙が乾いた風に揺れていた。

 

今夜は冷えるから、鍋にしようかしら。彼女は踵を返し、スーパーで白菜、人参、豆腐と梅干しを買って自宅に帰る。そして、いつもと同じように仏壇の前で手を合わせた。

 

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(この文章は、スナップ写真から妄想をふくらませて書いたものです)

午前4時過ぎ、その音は。

カラカラカラ。

午前4時10分。夜明け前の静寂に、何かを引きずる音が響き、目が覚めた。引っ越したばかりの築古のアパートは壁が薄く、1月の冷気も、行き交う人の笑い声も、シームレスに部屋までやってくる。そんな部屋でもこれまで快眠できていたのは、閑静な住宅街と言うべき、地域の熱量の低さのおかげだったんだろう。

私はベッドから起きあがり、電気ケトルでお湯を沸かす。こういうときは再び眠れるようにベッドの中で格闘するより、諦めて眠くなるまで本でも読んだほうがいい。

 

カラカラカラ。

音は止んだり鳴ったりを繰り返し続く。一体何の音だろうか。スケボーにしては、音の粒が少しゆっくりだ。ブラインド越しに外を覗いてみたが、正体を見つけられなかった。ベランダに出てから下を見れば分かりそうだが、外の寒さを上回るほどの好奇心ではない。私はソファに腰をおろし、カフェインレスのコーヒーを飲みながら、ペーパーバックを開く。

 

カラカラカラ。

一編の短編を読み終えるまで、その音は続いた。右から左へ、左から右へ。音は何度も行ったり来たり、何かを引きずっていた。コーヒーカップを洗うため台所に向かったとき、目に入ったカレンダーから、今日は資源ごみの日だと気がついた。そうか、これはホームレスが早朝にアルミ缶を回収して回る音だ。休職中で曜日感覚を失っていなければ、もっと早く気がついていただろう。

人間、分かってしまえば怖いものはない。これからは資源ごみの前夜は耳栓でもして寝ればいい。今なら、ストンと眠れそうだ。私は電気を消して再びベッドに潜り込む。

 

(カラカラカラ。)

まぶたを閉じると、何度も行ったり来たりしたその音が、今度は映像付きで脳内再生された。ふと思う。

そこから抜け出すには、もっと効率よく回ったほうがいいかもしれないぞ。

勘違いロマンチスト万歳

「豊かさとは、自意識過剰にストーリーをこしらえる性質である」
Taisei Fujimoto (1997~)

年の瀬に面白すぎる記事に出会った。
栗原一貴さんという大学教授が、おしゃべりが過ぎる人の発言を邪魔する銃「スピーチジャマー」を開発して2012年にイグノーベル賞を受賞したそうだ。
この銃をおしゃべりな人に向けて引き金を引くと、声をマイクで拾って、0.2秒遅れで本人の耳にぶつけてくれる。人は自分の声を耳で確認しながら話すので、微妙なラグがあるとうまく話せなくなるそうだ。

記事では、スピーチジャマーが生まれた背景が掘り下げられているので、ぜひ読んでほしい。

開発者が明かした、イグノーベル賞「スピーチジャマー」の誕生秘話(栗原 一貴) | ブルーバックス | 講談社(1/4)


記事によると背景の1つは、合コンが嫌いな栗原さんの逆ギレだという。

自分がなぜそのような社交の場を苦手に感じるかというと、一人ひとりとの会話を大切にして自分のペースで会話したいのに、一部の声が大きく支配的な性格の人によって、その場全体のコミュニケーションのとりかたを強制される(中略)そういう人に対し、自分の手を汚さず、自滅させることはできないかと考えました。

銃口を突きつけておいて、自分の手は汚れていないと言い張る栗原さんに、思わず笑ってしまった。

 

もう1つの背景は、「対話の時代」の自衛兵器としてという。

私は幼い頃から暴力が嫌いで、どうやって暴力に対処するかを考えてきました。しかし暴力に抵抗するために自衛力を持とうとすると、だいたいの場合は力を持ちすぎたり、また日頃からその力を披露して威嚇することで抑止力にしようとする人たちが現れます。それではいけません。

専守防衛で、かつちょうどやられたぶんだけ瞬時にやり返せて、しかもお互いに行使しても破滅しないような暴力があれば、それはより洗練された自衛力と言えるのではないでしょうか。

これらの誕生秘話は全て本当の話だが、最初からキレイなストーリーに沿って生まれたものではなく、あと付けで意味を紡ぎだして生まれたストーリの候補たちである。

完成したものを人に伝えるには、シンプルなストーリーが求められるが、実際はそんなにシンプルなわけではない。賛否両論になるようなたくさんのストーリーを生むことができるモノは、とても潜在能力が高い存在だと栗原さんは語っている。

 

モノづくりの文脈ではないが、栗原さんの言葉がいたく心に響いた。最近、転職する理由をシンプルに説明する難しさを感じていたし、何より自分の経験にあと付けでストーリーをこじつけるのが人生の豊かさと思うようになったからだ。

会社の仕事も、小説での大事な言葉との出会いも、お気に入りの服の肌触りも。たまたまの経験でも構わないので、私はあと付けで理由を考えるくせがある。

 

たとえば、先日、私は通りがかった古着屋でシルバーリングを買ったときのこと。聞くと、それはトゥアレグ族というサハラ砂漠に住む遊牧民が作ったアクセサリーであるそう。トゥアレグ藍染した青い布で顔を覆うため、「青の民族」と呼ばれているらしい。

きっかけは見ために惹かれたからだったが、話を聞いて私は買う理由を見つけた。私も青色が好きだし、どこかに定住するより、環境を転々と旅しながら生きていたいと思う私にも遊牧民の素質があるなと思いながら、乱暴な理由で自意識過剰にも遠く離れた民族に共感を覚えた。と同時に、いつかサハラ砂漠に行く理由まで得た。

 

 

 


理由なんて自分が納得できればこじつけでもなんでもいい。

見つからなければ、ものや言葉と自分との接点が見つかるまで、調べればいい。服については、ブランド哲学や生産背景を知る楽しみは、自分との接点に気づけることにあると思う。旅先の歴史を調べるのも同様だ。

 

こうして、言葉を探しながら自分が経験したことに理由を見つけていくと、ただ毎日が時間軸状に並列してプロットされていくのではなく、日々が繋がりながら積み上がっているように思える。そうして、夜の自分だけの部屋で出会った言葉を日記に書いたり、愛着のあるものを眺めたりしながら、お酒を飲むのは私にとって最高に幸せなのだ。

 

これはどこまでも自己満足の世界であるが、自己満足が幸せそのものだとしたら、勘違いロマンチストは最強だと私は言いたい。

 

ただ気をつける必要があるのは、お酒に酔って、自己満足の世界に人を巻き込まないようにすること。もし飲みの場で雄弁になっている私を見かけた時は、ためらわずにスピーチジャマーを向けてほしい。

鼻息パラセール

世界が明るい。仕事を考えない週末の世界は、5倍の情報量で目に映る。

仕事こそないが、今週末やることは決めていた。朝は耳鼻科、昼はセレクトショップ巡って、習いごとに行き、夜は赤羽のせんべろ屋台でフィニッシュ。週末のタスクもこなしていくうちに気持ちがリズムに乗ってくるのがわかる。追われるより、追いかける方が性に合ってるんだろう。

 

朝の耳鼻科は1.5時間の待ち時間だったので、受付で番号をとって辺りを散歩することにした。耳鼻科から与えられた1.5時間は、何をしてもいい遠足の自由行動が始まったようでワクワクする。
公園でのんびり読書したっていいし、カバンにはswitchが入っているからカフェでゼルダをプレイしてもいい。夜ふかしのベッドでプレイする時より、リンクも気持ち良くハイラルを駆け回れるはずだ。

やわらかい風を受けて歩いていると、小洒落たカフェを見つけたので、ここでランチをとることにした。DIY雑貨屋と一体になったカフェだった。最近はめっきりだが、プチDIYにハマってイスの脚どころか、ダンベルまでペイントした大学時代が懐かしくなった。

寮を出たらまたDIYもやってみたいな。インダストリアル系の部屋にして、鈍い真鍮のスイッチカバーを使ってみようか、シダを壁にかけて育ててみようか。余裕のある週末は明るい将来のイメージが湧いてくる。

ただでさえこんなに浮かれてるのに、耳鼻科で薬をもらって鼻の通りまでスーッと明瞭になったら、どうなっちゃうんだろう。鼻を抜ける風に乗ってパラセールで空を飛べそうだ。

なんて妄想するルンルンな私のもとに、タイミングよく食事が届いた。サラダプレートの玉ねぎは過去最高に甘かった。

ヘアリキッドを使わない私がこどもなだけか

世間は保湿を甘くみている。

 

ビジネスホテルでなくても、ある程度ランクが高くても、ホテルには化粧水や乳液のスキンケア用品は置いてないことが多い。私も入念にケアしているわけではないが、敏感肌で保湿を怠るとニキビができてしまうし、冬場は加湿器がないと必ず鼻が悪くなるので、潤いは私の友である。

最近ICLやヒゲ脱毛をして身軽になったからか、宿泊のためにスキンケア用品を持ち歩くのが煩わしくてたまらない。

 

いま私は、宿直業務のためGWの夜をホテルの一室で過ごしている。私がいるこの部屋にもスキンケア用品はなく、保湿に使えるものといえば、せいぜい富士山麓のおいしい天然水くらいだ。

大浴場まで行くと脱衣所の流しにはギリギリ乳液が備えてあった。ただ引っかかるのはその並び。ヘアトニック、ヘアリキッド、乳液の3本だけで、化粧水はない。男なんて薄毛のコンプレックスが芽生えたらやっと育毛するくらいで、日々スキンケアなんてしないでしょ、と決めつけられている気がした。

ごちゃっと見えないように3本程度しか置けないのはわかるが、化粧水より優先してヘアトニックとヘアリキッドを置くべきかは、ちゃんと大人たちが話し合って決めたんだろうか。

 

そもそもヘアリキッドと、ヘアトニックって何が違うんだろう。どっちも液体なんだからヘアトニックだって広義のヘアリキッドだろう。訳がわからないまま、なんとなく手のひらで1:1の比率でなじませて、乱暴に頭に振った。

 

あとで調べるとヘアトニックは頭皮ケアの化粧水のようだが、ヘアリキッドはワックスと同じようなスタイリング剤で、寝る前には落とさないと頭皮にダメージがあるらしい。Oh shit! とんだトラップじゃないか!

 

化粧水は使わないが、ちょっと薄毛が気になってきた、その程度しか美意識を持ちあわせない一般男性が正しく違いを心得ているハズがない。頭皮によさそうだしヘアリキッドってやつを付けてみよう、そんな純粋な思いつきが世のハゲを増やしていると思うと残酷でいたたまれない。

 

第一、ホテルの大浴場でヘアリキッドでスタイリングしたい人なんているのか?

朝風呂から一日のセットをバシッと決めしたい、イケイケ男か?いや、朝からそんな快調なスタートダッシュを決めれる男は自分のスタイリング剤くらいきっと持っている。

これから部屋で過ごすアツい夜を、最高の髪型で迎えたい男か?そんな細かいことを気にせずにドシッと構えていれば大丈夫だよ、と言ってあげたい。

 

私には化粧水がないせいで乾いた夜を過ごす方がよっぽど問題だ。

ノリの悪い魚は知らない方が幸せだった

知らない方が幸せなことはある。

先日、初めて渓流釣りをした。開始早々2匹釣れたとこまでは良かったが、あとは竿が揺れる気配すらなくひたすら立ちんぼだった。

待ちを楽しむのが玄人の嗜みだとわかってはいるものの、せっかちビギナーにとっては釣れなくなると当然フラストレーションが溜まってくる。なお渓流は海と違って、澄んだ水面から魚の影が見えるためエサを垂らす場所にアタリをつけやすい。しかし魚がいるのがわかってるせいで、何で食いつかんねん!と余計にフラストレーションが増幅されたのも確かだ。

知らなかったら純粋に釣れた魚に感謝できるのに、見えてしまうからシカトする魚にモヤモヤするんだろう。総じて楽しい経験だったが、この日は釣れたニジマスと一緒に少しのモヤモヤを抱えて、渓流を後にした。

 

ノリの悪い魚は知らない方が幸せだった。

 

そういえば、エレベーターも停止位置の階数表示があるほうが、待ち時間にストレスを感じやすいと聞いたことがある。運営目線にたつと、表示がなければエレベーターは全体最適を目指して行動できるが、表示があると待っている人を素通りするわけにもいかずに効率の悪いオペレーションになり待ちが長くなる。利用者目線にたつと、表示がなければ純粋にやってきたエレベータに感謝できるが、表示があるからB2階でモタモタするエレベータに目が行ってイラついてしまうわけだ。

 

なるほど、エレベータは釣り人にとっての魚と同じだな。

 

なんて勝手に納得しながら、私はオフィスに向かうエレベーターを待った。一度でも経験したのだから私も釣り人の端くれ、今日は穏やかな気持ちで待つことにしよう。

 

ピンポーン。

エレベータがやってきた。
よし、魚をとらえたぞ。
扉が開いて、中に乗り込んだ。
何だか、釣り人としてのレベルが上がったような気さえしてくる。

 

そうして私は、上の階へとつり上げられていった。