「豊かさとは、自意識過剰にストーリーをこしらえる性質である」
Taisei Fujimoto (1997~)
年の瀬に面白すぎる記事に出会った。
栗原一貴さんという大学教授が、おしゃべりが過ぎる人の発言を邪魔する銃「スピーチジャマー」を開発して2012年にイグノーベル賞を受賞したそうだ。
この銃をおしゃべりな人に向けて引き金を引くと、声をマイクで拾って、0.2秒遅れで本人の耳にぶつけてくれる。人は自分の声を耳で確認しながら話すので、微妙なラグがあるとうまく話せなくなるそうだ。
記事では、スピーチジャマーが生まれた背景が掘り下げられているので、ぜひ読んでほしい。
開発者が明かした、イグノーベル賞「スピーチジャマー」の誕生秘話(栗原 一貴) | ブルーバックス | 講談社(1/4)
記事によると背景の1つは、合コンが嫌いな栗原さんの逆ギレだという。
自分がなぜそのような社交の場を苦手に感じるかというと、一人ひとりとの会話を大切にして自分のペースで会話したいのに、一部の声が大きく支配的な性格の人によって、その場全体のコミュニケーションのとりかたを強制される(中略)そういう人に対し、自分の手を汚さず、自滅させることはできないかと考えました。
銃口を突きつけておいて、自分の手は汚れていないと言い張る栗原さんに、思わず笑ってしまった。
もう1つの背景は、「対話の時代」の自衛兵器としてという。
私は幼い頃から暴力が嫌いで、どうやって暴力に対処するかを考えてきました。しかし暴力に抵抗するために自衛力を持とうとすると、だいたいの場合は力を持ちすぎたり、また日頃からその力を披露して威嚇することで抑止力にしようとする人たちが現れます。それではいけません。
専守防衛で、かつちょうどやられたぶんだけ瞬時にやり返せて、しかもお互いに行使しても破滅しないような暴力があれば、それはより洗練された自衛力と言えるのではないでしょうか。
これらの誕生秘話は全て本当の話だが、最初からキレイなストーリーに沿って生まれたものではなく、あと付けで意味を紡ぎだして生まれたストーリの候補たちである。
完成したものを人に伝えるには、シンプルなストーリーが求められるが、実際はそんなにシンプルなわけではない。賛否両論になるようなたくさんのストーリーを生むことができるモノは、とても潜在能力が高い存在だと栗原さんは語っている。
モノづくりの文脈ではないが、栗原さんの言葉がいたく心に響いた。最近、転職する理由をシンプルに説明する難しさを感じていたし、何より自分の経験にあと付けでストーリーをこじつけるのが人生の豊かさと思うようになったからだ。
会社の仕事も、小説での大事な言葉との出会いも、お気に入りの服の肌触りも。たまたまの経験でも構わないので、私はあと付けで理由を考えるくせがある。
たとえば、先日、私は通りがかった古着屋でシルバーリングを買ったときのこと。聞くと、それはトゥアレグ族というサハラ砂漠に住む遊牧民が作ったアクセサリーであるそう。トゥアレグは藍染した青い布で顔を覆うため、「青の民族」と呼ばれているらしい。
きっかけは見ために惹かれたからだったが、話を聞いて私は買う理由を見つけた。私も青色が好きだし、どこかに定住するより、環境を転々と旅しながら生きていたいと思う私にも遊牧民の素質があるなと思いながら、乱暴な理由で自意識過剰にも遠く離れた民族に共感を覚えた。と同時に、いつかサハラ砂漠に行く理由まで得た。
理由なんて自分が納得できればこじつけでもなんでもいい。
見つからなければ、ものや言葉と自分との接点が見つかるまで、調べればいい。服については、ブランド哲学や生産背景を知る楽しみは、自分との接点に気づけることにあると思う。旅先の歴史を調べるのも同様だ。
こうして、言葉を探しながら自分が経験したことに理由を見つけていくと、ただ毎日が時間軸状に並列してプロットされていくのではなく、日々が繋がりながら積み上がっているように思える。そうして、夜の自分だけの部屋で出会った言葉を日記に書いたり、愛着のあるものを眺めたりしながら、お酒を飲むのは私にとって最高に幸せなのだ。
これはどこまでも自己満足の世界であるが、自己満足が幸せそのものだとしたら、勘違いロマンチストは最強だと私は言いたい。
ただ気をつける必要があるのは、お酒に酔って、自己満足の世界に人を巻き込まないようにすること。もし飲みの場で雄弁になっている私を見かけた時は、ためらわずにスピーチジャマーを向けてほしい。