九州の田舎で、KinKi Kidsを心のよりどころにして過ごした中高生時代。東京デビューをきっかけに、20代前半はアイドル全般から離れて過ごしていた。
しかし、意外なところでKinKi Kidsの曲と遭遇する。歌舞伎町のホストクラブだ。
幹に連れられて枝となる
ホストクラブで遊んでいた時期がある。
ひとりで通うというより、飲み会の延長でイケメンに接待されながら飲むのが楽しかった。
「ホストと付き合っている」という知り合いの女性に連れられて、ホストクラブの営業終了間際、1セット分のタイミングで入店する。
知り合いの女性には「彼氏」がつく。女性はかなりの常連らしく、枝狙い(※)のホストたちがグイグイ迫ってくる。
※すでに指名しているホストがいる常連客が連れてくる新規のこと。常連が幹で、そこから新規開拓できるであろう枝という意味
営業終了が近づき、ひとりのホストがマイクを手にする。
聴き馴染みのあるメロディ。お人形みたいにきれいなホストが、KinKi Kidsの「愛のかたまり」を歌いだす。
姫に捧げるラストソング
ホストクラブには、その日の売り上げが最も高かったホストが、閉店前に感謝の気持ちを込めて歌うラストソング(略してラスソン)というイベントがある。
ラスソンは売り上げに貢献した客、いわゆる「姫」に感謝を直接伝える場であり、ホストにとっても姫にとっても名誉のある行為だそうだ。
そして、ホストクラブのラスソンにはウェディングソングと同じくらい定番の曲がいくつかあって、そのひとつがKinKi Kidsの「愛のかたまり」なのだった。
愛のかたまりとホストが提供する夢の親和性の高さ
サビの「X'masなんていらないくらい/日々が愛のかたまり」という歌詞が象徴するように、この曲は女性目線の激しく重たい恋のバラードだ。
心配性すぎて電車に乗せるのを嫌がる「あなた」のことを嬉しく想ったり、「あなた」と同じ香水を街中で感じてふらっとついて行きたくなったり、「あなた」に溺れて一途な「女性」の曲である。
初めてホストクラブでこの曲を聴いたとき、真っ先に思ったのが親和性という言葉だった。
ホストクラブが女性に与える「夢」をそのまま歌詞にしたみたいじゃないかという驚き。ホストと姫の関係を甘く描写しているようにも感じられて、その「甘さ」に引き寄せられて現実に戻れなくなる女性がいても不思議ではない。
ホストクラブで「愛のかたまり」を聴くたびに、ああ、甘い毒みたいな曲なのだなと思った。
甘い毒のようであり、虚しい夢の本質
正直に言うと、ホストが歌う愛のかたまりに親和性の高さを感じた一方で、傍から聞いていると虚しさのようなものを感じた。
何も響いてこないのはホストの歌唱力という部分もあっただろうけれど、結局どれだけ甘い言葉を使っていても、所詮はビジネス関係でハリボテなのだと、頭がすぅっと冷静になった。
オタク的に言うと、愛のかたまりはKinKi Kidsの2人が合作して生まれた曲であり、2人が歌うことそのものに価値がある。
けれど、ラスソンとして好まれて歌われる愛のかたまりには、ビジネス成立のために惜しげもなく消費されていく虚しさを感じた。愛を甘く歌いながら、中身は空っぽなのだという。
今思うと、私がホストクラブにのめり込むことなくいられたのは、あの日KinKi Kidsの「愛のかたまり」を聴いたからという気もする。そしてもしあの時、「私も姫になって愛のかたまりを歌われたい」と思っていたら、夜の街にずっぷり沈んでいただろう。
愛のかたまりは、ふたりが歌うのがいい。
オタクでよかった。