11月に台風が上陸する可能性が出てきました。
上陸する頃には温帯低気圧に変わる見込みではあります。
ともかく、これ以上、災害が起きないことを祈っています。
さて、今回の記事ネタも風に関する言葉です。
気象用語にもなっている「木枯らし」について。
「木枯らし一号」はいつ?
木枯らし
風 気象庁 によると
木枯らし :晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの(やや)強い風。冬型の気圧配置になったことを示す現象である。凩とも表記する。
とあります。さらに、木枯らし Wikipedia では、
気象庁は、立冬前後に吹く毎年最初の木枯らしを木枯らし一号(こがらしいちごう)として、東京と大阪について発表している。
とのこと。え?東京と大阪だけ?なんで?
木枯らし一号と対になるような言葉に「春一番」があります。気になったので調べてみました。上述の 風 気象庁 を見ると
春一番 : 冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風。
(備考)気象庁では立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(やや)強い南よりの風としている。
と、こちらの方が説明文量多いです。さらに 春一番 Wikipedia では
気象台が認定する場面では、毎年立春から春分までの間に初めて吹く暖かい南寄りの強風で、風速の基準もあり、北日本などは対象外となっている。
と。こちらでは、北日本などが対象外とのこと。まぁ梅雨も北海道は対象外で、必要な気象データに地域差があるのはわかりますけどね。
しかし、秋から冬に移る頃に吹く木枯らし一号と、冬から春に移る頃に吹く春一番、ちょっと待遇というか、関心の高さに差があります。それが気になって、当初のタイトル「「木枯らし一号」はいつ?」は変更。
「木枯らし一号」と「春一番」
木枯らし一号の基準
木枯らし一号は、東京と大阪のみ発表されます。
<東京の条件>
1.期間は10月半ばから11月末の間。
2.気圧配置は西高東低の冬型となり、季節風が吹くこと。
3.風向は西北西から北。
4.最大風速はおおむね風力5(風速8 m/s)以上。
<大阪の条件>
1.期間は霜降(10月23日ごろ)から冬至(12月22日ごろ)の間。
2.気圧配置は西高東低の冬型。
3.風向は北寄り。
4.最大風速は8 m/s以上。
として、
以上の条件を満たしたとき、東京は気象庁予報部予報課の天気相談所、大阪は大阪管区気象台気象防災部予報課がそれぞれ発表する。
となっています。
何と、東京と大阪では期間からして、違っているとは知りませんでした。
大阪で冬至までとなれば、すっかり冬になってから発表もありそうです。
「木枯らし一号」は関東地方(東京)と近畿地方(大阪)でしか発表されない。なお、「木枯らし二号」や「木枯らし三号」も起こり得るが、発表は行われない。
1991年に現在の基準が採用され始めた。また、気象庁がいつから「木枯らし1号」についての発表を始めたかについては正確な記録がない。
と、比較的新しい言葉のようです。
( この項での引用 木枯らし Wikipedia )
春一番は、
各地方ごと(関東、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州北部、九州南部・奄美)に条件を定めて認定している。強い風の基準は約7m/s以上のところから10m/s以上のところ(北陸地方)まである。なお、北海道、東北、甲信、沖縄県では春一番の発表は行われていない。
とあり、結構広範囲。こちらも細かい部分で地域差があるようです。関東地方と、九州北部地方(山口県を含む)について紹介。
<関東地方>
1.立春から春分までの間で、
2.日本海に低気圧があり、(発達すれば理想的である)
3.関東地方における最大風速が、おおむね風力5(風速8m/s)以上の南よりの風が吹いて、昇温した場合。
<九州北部地方(山口県を含む)>
1.立春から春分までの間で、
2.最高気温が前日より高くなり、
3.南寄りの風が最大風速で約7m/s以上となること
対象となる期間は同じですが、その他では低気圧の有無や風の強さなど、幾らかの違いがあるようです。
(この項の引用 春一番 Wikipedia )
『春一番』と「木枯らし」が定着した理由
それはそうと、「春一番」のwiki記事を読んでいて、予想が的中していたことがありました。「春一番」の気象用語が広く認知されたのは、キャンディーズの歌『春一番』の大ヒットが影響していたとのことです。
ヤフーニュース 2019年2月2日の記事では、「キャンデーズがきっかけ 気象庁の『春一番』の情報」には、「気象庁には『春一番』の問い合わせが殺到するようになり、気象庁は春一番の定義を決め、昭和26年(1951年)まで遡って春一番が吹いた日を特定し、平年値を作り、『春一番の情報』を発表せざるをえなくなっています。というより、春一番という言葉が浸透したことを利用し、防災情報の充実をはかっています。ヒット曲が気象庁の業務を変えたのです」とある。(引用 春一番 Wikipedia )
うんうん。わかります。気象庁として正式発表するとなると、基準の明確化などは避けられなかったでしょう。でも、春の突風に認知が広がった功績は大きいと思います。
検索するとこんな記事も発見。
ここでは、「春一番」の言葉を使い始めたのは、昭和31年(1956年)2月7日から、マスコミに取り上げられたのは、昭和37年(1962年)の「春一番」から、一躍有名になったのは、昭和51年(1976年)のヒット曲からとあります。
「春一番」正式発表がいつだったのか、明確な記述は見つからなかったのですが、気象データは直近30年のデータから判断すると聞いたことがあります。春一番の発表のため1951年まで遡ったのなら、正式発表は1981年かとも思う一方、1951年は気象庁の台風統計を始めた年でもあり、春一番に必要なデータが残っていた最初の年とも考えられます。
このサイトで、各地の春一番の発表基準が表になっているので引用
引用元:キャンデーズがきっかけ 気象庁の「春一番」の情報(饒村曜) - エキスパート - Yahoo!ニュース
「木枯らし」の定着理由
では、「木枯らし」の言葉が定着した理由は何でしょう?
私なりに考えて、行き着いたのは二つの説。
『木枯し紋次郎』(1972年のテレビ番組)と『木枯しに抱かれて』(小泉今日子の歌 1986年)のヒットが関係しているのではないか?と、「紋次郎」説と「抱かれて」説で考えてみました。
世に与えた影響では『木枯し紋次郎』の方が大きいと思います。子どもの間でものまねが流行り、ざるを頭にかぶり、風呂敷を肩にかけ、棒を刀にした紋次郎ごっこもよく遊ばれたそう。大人の間でも「あっしには関わりのないことでござんす」の台詞は良く使われたようです。
対して『木枯しに抱かれて』は、ヒットしたとはいえ、紋次郎程の影響があったかどうかは疑問。なので、「木枯らし」の言葉の定着は、紋次郎説が有力に思うのですが、テレビ放送が1972年なので、それなら「春一番」より早く定着してそうですし、そもそも紋次郎が「あっしには関わりのないことでござんす」と度々言っている以上、採用は難しそう。
ということで、このブログでは「木枯らし」の言葉の定着理由は、「春一番」定着後の『木枯しに抱かれて』と仮定しておきます。
ともかく今回わかったのは、「木枯らし一号」は、私の住んでいる場所には関わりのないことでござんす。
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