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【報告】共に旅するための技法―「ジャック・デリダ、他者への現前」

2008.04.25 西山雄二

2008年4月24日、ジュンク堂新宿店で、トーク・セッション「ジャック・デリダ―他者への現前 教育者として、被写体として、絆として」が開催され、鵜飼哲(一橋大学)と西山雄二(UTCP)が登壇した。『条件なき大学』(月曜社)および『言葉を撮る』(青土社)の刊行記念イベントである。

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話は多岐に及び、日本のデリダ受容の各世代、デリダにおける教育の問いや大学論の重要性、『条件なき大学』の問いの構造、大学と人文学の問い、UTCPと国際哲学コレージュ(CIPH)の共通理念、署名の問い、映画監督ファティの生涯とエジプトの政治情勢の関係、デリダとアルジェリアとの関係、盲目性の問い、などが語られた。

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二人で互いに論じた「共に旅する」という点についてのみ記しておく。デリダは世界各地の講演やセミナーに精力的に参加した、かつてないほどの旅行する哲学者である。「飛行機哲学者」と揶揄されたこともあったらしい。ところで、デリダは「共に旅すること〔voyager avec〕」について問われたとき、驚き呆れている。「『共に旅する』だって! 自分自身と旅をしたのかさえ確信がもてないのに!」 彼にとって旅はある種の催眠状態であり、ある場所から別の場所への旅は、あるベットから別のベットへと移動して夢をみるようなものだったようだ。また、誰かと「共に旅すること」は、不慮の事故(飛行機事故など)のことまで想定すると死の瞬間をこの同伴者と約束することに等しい。この点で、「共に旅すること」は「共に存在すること(共存在)」や「共に生きること(共生)」とは決定的に異なるのだ。

サファー・ファティの映画『デリダ、異境から』は、デリダと共に旅するという困難な経験が色濃く反映された特異なロード・ムービーである。とりわけ、数々の場所に対する繊細な配慮が素晴らしい。デリダに関係する場所の数々が(生地エル・ビアール以外)その名を欠いたまま次々に映し出されるため、観者はその各々をすぐに識別することは難しい。不明確な場のイメージが次々と重なり合うことで、デリダの伝記的な足跡(アルジェリア、パリ、スペイン、アメリカ)が他所の場所で混ざり合う。ある場所から別の場所への明確な道程を提示しないまま、この映画作品――複数の場によるロードなきロード・ムービー――は観者が「場所と共に旅する」べく誘惑する。つまり、観者のみならず、各々の場所もまた、その固有の現前性を欠いたまま、他所へと旅をするように誘われるのである。

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『条件なき大学』が刊行された2001年の秋、パリで留学生活を始めたばかりの私は鵜飼氏に誘われて、サン・ジェルマン・デ・プレのLa Hune書店での刊行記念イベントに一緒に足を運んだ。ワインとオードブルが用意され、書店の狭い二階フロアは聴衆でごった返していた。デリダは南仏からの講演旅行の帰りで、モンパルナス駅からタクシーを飛ばして、重そうな黒い鞄をもってやや遅れて登場した。私が初めて哲学者デリダに対面し、握手を交わしたのはこの時だった・・・「この秋からカトリーヌ・マラブー先生のもとで研究をしているんです」・・・「そう、カトリーヌのところで。彼女によろしく伝えてください」・・・サインの入った『条件なき大学』は、デリダ晩年の大学論、人文学論という興味深い内容で、私にとって思い出深い一冊となった。今回この著作が拙訳で刊行され、書店で鵜飼氏と共にこのような出会いの場をもてたことは貴重な経験だった。関係者の方々と会場に来ていただいた聴衆のみなさんにお礼申し上げます。

その他、参加者による詳細なレポートは、ウラゲツ☆ブログ 2008-04-30付の2つの記事をご参照ください。

(文責:西山雄二)

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