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【現地報告@アルゼンチン】国際シンポジウム「大学の哲学 合理性の争い」

2008.10.07 小林康夫, 西山雄二

2008年10月6-7日、ブエノスアイレス大学と国際哲学コレージュ、UTCP、カナダ大使館文化部の共催で、国際シンポジウム「大学の哲学 合理性の争い」がアルゼンチン国立図書館で開催された。

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今回のシンポジウムの趣旨は、コルドバの1918年の大学改革から90年、68年5月革命から40年という節目に、大学に対する批判的思考を紡ぎ出すことである。小林康夫と私はパトリス・ヴェルムラン氏(ブエノスアイレス大学フランス・アルゼンチン・センター)とともに「現代の大学と人文学の未来」というパネル・セッションを組んだ。

私たちのセッションでは、まず、西山雄二が、人文学の危機は逆説的にも人文学の過剰さとともに進行するという現状分析をおこなった。従来の学科が再編されてカルチュラル・スタディーズなどの領域横断的な研究教育活動が推奨されているが、それは高度資本主義における価値の多様化に即した傾向といえるだろう。また、韓国の「スユ+ノモ」の挑戦を紹介しつつ、大学制度の周辺や余白で創造される研究教育の可能性に触れた。重要なことは、大学か社会かといった二分法を立てることでも、また逆に、大学の公共空間は社会‐経済の論理に覆い尽くされてしまったと諦観することでもないのである。

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次に、ヴェルムラン氏は、フランスにおけるサルコジ政権の大学改革をとり上げ、自由と責任、サーヴィスと競争という枠組みのなかに大学の現状を位置づけた。また彼は、大学をめぐる哲学的問いは大学の機能に関係するとした。つまり、知の探究(研究)、知の伝達(教育)、知の獲得(職業教育)、知の産出(商品化)、知の教導(市民的教養)といった機能である。こうした機能を社会との関わりにおいて明確に意味づけない限り、大学はつねに改革の対象となる。また、私の発表への応答として、ヴェルムラン氏は、大学の外部と内部という二分法を設定するのではなく、つねに大学制度を抵抗の場として再編し続けることが重要だとした。

最後に、小林康夫は、「体系(システム)の思考」と「人間の思考」という区分をめぐって、人文学の可能性について述べた。「体系の思考」において、脳科学や生物学、物理学などの進展とともに、世界の問いはことごとく解明される。だが、こうした思考に対して、「人間の思考」は人間存在の総体に対する責任の名において、意味の限界を目指し、この限界を語ろうとする。なぜなら、人間は根本的に、存在しないもの、失われたもの、これから生じるもの、不可能なものなど、「すべてを語る」からである。人間からすれば、言語を通じてすべてを(脱)構築しなければならないという点で、この「責任」は特定の事象に対するそれではなく、人間存在の総体に対する責任なのである。

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質疑応答の時間にはいくつもの有益な質問をいただいたが、今日の大学にとっての場と責任という問いに議論が集約されていった。たしかにこのセッションでは、大学という伝統的な制度のなかで新たな学問の場を創造するのか、大学の外に大学の名において実験的な試みを創出するのか、といった方向性が確認された。小林氏は、「コルドバ大学のようにかつては宗教的勢力が大学を創設したが、近代において、大学は人間が人間を超克する場として存続している。この根源的な責任を果たす場は、歴史的に見て、やはり大学しかない」と力強く述べた。

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(国立図書館の事務室に掲げられたボルヘスの肖像画。彼は旧施設で館長を務めており、現在の近代的な施設では勤務していない。ただ、彼の蔵書は保管されており、現在、資料整理・カタログ化が進められている。彼は書物の本文頁には絶対に書き込みをせず、かならず真っ白な扉裏頁に小さな文字で簡潔に注釈を書き記した。また、その書物の使用言語と同じ言語〔主にスペイン語、英語、仏語、独語〕で注釈を記した。)

バリローチェと国立図書館での発表を終え、これでアルゼンチンの滞在が終わる。最後の夕食の際に小林氏が放った表現が的確で印象的だった。「アルゼンチンは南半球の最果ての国だけど、ここにいると世界の終わりへの入口にいるように感じる。そんなアルゼンチンでボルヘスを読んでみると、彼は暮れ方の作家であることが分かる。世界の限界を描き出そうとした暮れ方の作家、しかも盲目の作家なのだと」。今晩、私たちの飛行機は暮れ方の風景の中でラプラタ河の上空へと飛び立ち、ブエノスアイレスを後にする。

ブエノスアイレス――それは、わたしの訪れたことのない街である。多くの街区と場末の中庭の秘密の中心である。建物の正面の背後に隠れているものである。わたしに敵があるとすれば、その敵である。わたしの詩を読み、うんざりしているひとである(わたしもそのひとりだが)。以前訪れたが忘れた小さな書店である。聞いたこともないのに心打たれる、ミロンガの口笛である。この都市の過去である。この都市の未来、遥かなもの、疎遠なもの、周辺的なもの、きみのものでもわたしのものでもない地区、われわれが愛している未知のものである。――ボルヘス「ブエノスアイレス」

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※今回のアルゼンチン滞在に際して尽力していただいたフランシスコ・ナイシュタット氏、ジュディット・ナイドルフ氏に深く感謝いたします。

(文責:西山雄二)

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