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読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

中曽根は最低だったがその葬儀に弔意を強要する菅義偉はもっと最低

中曽根康弘元総理の内閣・自民党合同葬に、政府は9600万円もの税金を支出するのだそうだ。さぞかし立派な仕事をした偉大な人物だったのだろう。

部下のために慰安所を作ってやったと自慢していた中曽根

中曽根のやった仕事といえば、まず想起すべきはインドネシアのバリクパパンに海軍直営の慰安所を作ったことだろう。このことは、中曽根自身が自慢げに書いている。[1]

 三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。

後にこのことが問題になると、中曽根は、自分の作った「慰安所」は強制売春施設ではなく碁や将棋を打つための集会所だったなどと言ってごまかそうとした。

しかし、これがウソであることは、2011年に見つかった設営隊資料から明らかだ。[2]

 今回見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたものです(26ページ)。第2設営班の主計長が中曽根氏です。

 資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。

画像出典:女たちの戦争と平和資料館Wam

さらに、この慰安所に連行され性行為を強要された被害女性(連行当時15歳)の証言もある。集会所どころか現地の少女たちを強姦することで憂さ晴らしをさせる文字通りのレイプセンターだったわけだ。驚くべきことに、彼女は中曽根という名前も記憶していた。[3]

 私は東ジャワで生まれました。村長・副村長が私の家にきました。「各村長に日本軍から指示がでて、どういう女の子がいるか調査するように言われた」とのこと。そして、「壮年はロームシャ(労務者)に、青年はへイホ(兵補)に、女の子は遠いところで事務の仕事をさせる」と言われたので、二人でやってきたということでした。(略)一五歳の時でした。そこに集められた少女たちは、スラバヤ行きのトラック二台に乗せられました。そのとき母が、「おまえともう一度会えるのか、会えないのか」と叫びました。(ここでスハルティさんは涙をぬぐいました)

 スラバヤ港から船に乗せられて出航しましたが、一昼夜の後、船は連合軍から攻撃され撃沈しました。気がついたら木の机にしがみついていました。どれくらい漂流したかはわかりませんが、日本の軍艦に助けられてバイフアカン港に上陸しました。軍艦の上で身体検査をされて、オーケーが出た者から下船させられました。名前を呼ばれ、グループごとに別れました。私のグループは一八人でした。

 石油会社の幹部の住んでいるところに長屋があって、慰安所になりました。病院に連れてゆかれ、一八人の女性と身体検査を受けさせられました。小野という男が私を連れてゆき、彼から暴行を受けました。……中曽根のつくった長屋の慰安所に行くことになると小野に言われました。そこでは、五時間に五人に「奉仕」しなければなりませんでした。一人の男が三回犯す場合もありましたが、平均二回でした。夕方五時が 「労働」 の始まりです。

 連合軍がどんどん爆弾を落とし、中曽根の部隊は誰もいなくなりました。「今日からここで働かなくてもいい。別の町に行ってもいい。自分で選択してくれ」と言われましたので、「ジャワに返してほしい」と要求しました。戦争なので山の中を通って逃げました。

若くして三千人の部下を率い、彼らのために慰安所を作ってやったと自慢しながら、いざ問題が指摘されるとウソをついて言い逃れようとする。実に立派な振る舞いである。

国鉄「民営化」で大量の労働者を自殺に追い込んだ中曽根

首相になってからの中曽根の「業績」といえば、まず挙げるべきは国鉄、電電公社、専売公社の民営化(と称する国有財産の払い下げ・私物化)だろう。

とりわけ国鉄の分割民営化はもともと組合潰しが目的で、民営化強行の過程で200人もの自殺者を出している。

そして分割民営化は、単独では採算のとれない路線の廃止、地方の切り捨てへとつながった。当初から予想されていたとおりの、当然の結果である。

中曽根は労働者が何百人死のうと構わないくらい民営化が大好きだったのだから、この男の葬儀こそ民営化すべきだろう。競争入札で最安値をつけた業者に発注すればよい。もちろんその費用は「自助」が大好きな自民党が全額負担すべきだ。

こんな中曽根への弔意を強要する菅義偉

中曽根とはこんな男だったわけだが、菅義偉はその葬儀に国庫から1億近い金を支出するだけでなく、教育機関や裁判所に対して、弔意を示すよう求める通知を出している。

言うまでもないことだが、弔意とは敬愛する人物の死を悼む心から自然に表現されるものだ。上から指示されて示すような代物ではない。

もちろん菅は、そんなことは十分承知の上でやっているのだろう。この男が見たいのは中曽根への弔意などではなく、自分の命令に相手が服従する姿なのだ。

中曽根も安倍も最低だったが、菅義偉はその陰険さにおいてこの二人をも上回る最低の政治屋だと言うほかない。

[1] 松浦敬紀編 『終わりなき海軍』 文化放送開発センター出版部 1978年 P.91-98
[2] 『「土人女を集め慰安所開設」 中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表』 しんぶん赤旗 2011/10/28
[3] 吉川春子 『アジアの花たちへ』 かもがわ出版 2008年 P.53-54