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危険は形而上学の欺瞞的な性格の中にある。それは、実際には何らの知識をも与えないのに、知識であるかのような幻想を与える。
我々が形而上学を排撃する理由はここにある。・・・(中略)・・・哲学の唯一の仕事は論理的分析 logical analysis である。
~ R. カルナップ(論理実証主義に立つ哲学者集団「ウィーン学団」のリーダー的学者)

要旨■「平和憲法」「占領憲法」などのレッテル貼りに終始するのではなく、①憲法とはそもそも何か(法概念論)、②憲法の保障すべき価値は何か(法価値論)、③そうした価値を如何に実現するか(法学的方法論)、という憲法問題の課題を一つづつ分析し検証していくことが重要である。

※本ページが難しい方は、日本国憲法改正問題(初級編)を先ずご覧下さい。

<目次>


■1.はじめに


憲法問題となると、たちまち「平和憲法を守れ」とか「占領憲法を破棄せよ」といった、左右両極端の立場からのイデオロギッシュなアジテーション・罵倒合戦に終始してしまう現象が頻繁に観測される。(※なお、経済問題に関しても類似した現象がしばしば観測される ⇒ ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 参照)。
確かに、現実妥当性に目を瞑って現行憲法典の前文・第9条を厳密に文理解釈すれば、お花畑的な(つまりネガティヴな)意味で「平和憲法」と云えなくもないし、また制定過程を見ればGHQ草案をほぼそのまま翻訳した「占領憲法」と呼ばれるのも致し方ないことではあるが、ここでは、そうした扇動的・プロパガンダ的方向にばかり走り易い言説を避けて、努めて論理的・概念分析的な姿勢を守りつつ憲法問題の整理・解明を目指したい。
そのために、
<1> まず、基礎法学(理論法学)と実用法学(応用法学)を区別して、憲法問題の位置づけを明確にし、
<2> 次に、基礎法学の主要3分野(①法概念論・②法価値論・③法学的方法論)各々について、実用法学の一分野である憲法学(憲法論)の課題を対応させた問題状況整理表を作成し、
<3> そして、上流から順に(つまり①法概念論→②法価値論→③法学的方法論の順に)これらの課題を一つづつ分析し整理していく。

◆1.基礎法学(理論法学)と実用法学(応用法学)


きそほうがく
【基礎法学】
※日本語版ブリタニカ百科事典より
実用法学に対して、少なくとも直接的には法的な諸事象の純粋に理論的な認識・解明を目的とする法学。
理論法学ともいう。
基礎医学という用語にならって第二次世界大戦後の日本で使われるようになった。
法社会学、法史学、比較法学、法哲学がこれに属する。
じつようほうがく
【実用法学】
※日本語版ブリタニカ百科事典より
司法、行政、立法などの実用目的に奉仕する法学。
法解釈学と立法学がこれに属する。
基礎法学と対置されるが、現代の実用法学は基礎法学の成果を積極的に活用して法の合目的的な形成と運用を図る応用科学としての性格を強めつつある。
ほうかいしゃくがく
【法解釈学】
Rechtsdogmatik
※日本語版ブリタニカ百科事典より
解釈法学ともいう。
実定法の規範的意味内容を体系的・合理的に解明し、裁判における法の適用に影響を与えることを目的とする実用法学。
実定法を構成する文字および文章の多義的な規範的意味内容を明確かつ一義的に確定していく作業が法の解釈であるが、この作業には、①文理解釈、②論理解釈、③縮小解釈、④目的論的解釈、⑤反対解釈、⑥勿論解釈、⑦類推解釈などと呼ばれるものがある。
法解釈学は古代ローマで成立して以来、現代まで法学の中心的位置を占めているが、時代の変遷によって力点の変化がみられる。
自由法論以後の法解釈学は人間や社会に関する経験科学的認識を取り入れた応用科学としての性格を強めている。
第二次世界大戦後の日本の法学界における「法解釈学論争」では、法解釈学の実践的性格が強調された。
法解釈学は、その対象となる実定法の分野によって、憲法学、行政法学、刑法学、民法学、商法学、労働法学、国際法学、国際私法学などに分れる。
けんぽうがく
【憲法学】
※広辞苑より
法学の一部門。
憲法および憲法上の諸現象を研究の対象とする学問。国法学。

◆2.問題状況整理表


基礎法学(理論法学)の主要3分野 憲法学(応用法学)の課題
(1) 法概念論
(法とは何か)
<1> 憲法とは何か
(憲法の定義)
⇒(a)実質憲法(国制)と、(b)形式憲法(憲法典)、の区別が重要。
<2> 法体系の中での憲法の位置づけ ⇒①法段階説(主権者意思[命令]説・・・ケルゼン及び修正自然法論者の法理解)と、②社会的ルール説(ハートの法理解であり、ハイエクの自生的秩序論と親和的)、の区別・評価が重要
(2) 法価値論
(法の保障すべき価値は何か)
正義論ともいう(*注1)
法理念論法目的論ともいう
《1》 法価値全般 <1> 法価値(正義)一般と「法の支配」論 法価値論は、専ら、(a)実質憲法(国制)の在り方に関する分野である。
⇒①左翼的・全体主義的価値観と、②保守的・自由主義的価値観、の区別・評価が重要。
<2> 「立憲主義」論
《2》 個別的法価値 <1> 主権論
(憲法は特定の主権者を規定すべきか)
※主権論について詳細ページ⇒政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価
<2> 人権論
(憲法の基礎的な保護領域は何か)
※人権論について詳細ページ⇒「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために
<3> 平和論
(奴隷の平和か正戦を肯定するか)
(3) 法学的方法論
(法価値を如何に実現するか)
前提
条件
価値論の把握 <1> 憲法典(形式憲法)の解釈論 法学的方法論は、専ら、(b)形式憲法(憲法典)の解釈・運用に関わる分野であり、具体的な条規について(2)法価値論《2》の<1>~<3>の課題に対応した法解釈の対立が見られる。
⇒①左翼的・全体主義的解釈と、②保守的・自由主義的解釈、の区別・評価が重要。
<2> 憲法典(形式憲法)の改廃論 ⇒①護憲論、②改憲論、および③破棄論、の比較・評価が重要。
<3> 憲法典(形式憲法)案の内容評価 ⇒各々の草案について、(2)法価値論《2》の<1>~<3>の課題への対応方針に留意しながら個別に評価していくことが重要。
(*注1)法的な価値は、伝統的に「正義(justice)」という言葉で表現されてきたため、法価値論を正義論ともいう。


■2.憲法とは何か(法概念論)


◆1.憲法(constitution)の定義


◇1.実質憲法(国制)と形式憲法(憲法典)の区別

けんぽう
【憲法】
constitution
※日本語版ブリタニカ百科事典より
憲法の語には、(1)およそ法ないし掟の意味と、(2)国の根本秩序に関する法規範の意味、の2義があり、
聖徳太子の「十七条憲法」は(1)前者の例であるが、今日一般には(2)後者の意味で用いられる。
(2)後者の意味での憲法は、凡そ国家のあるところに存在するが(実質憲法)、
近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法典憲法典として制定することが一般的となり形式憲法)、
しかもフランス人権宣言16条に謳われているように、①国民の権利を保障し、②権力分立制を定める憲法のみを憲法と観念する傾向が生まれた(近代的意味の憲法)。
<1> 17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。
憲法の制定・変革という重大な憲法現象が政治そのものである。
比較的安定した憲法体制にあっても、①社会的諸勢力の利害や、②階級の対立は、
[1]重大な憲法解釈の対立とともに、[2]政治的・イデオロギー的対立を必然的に伴っている。
従って、憲法は (a) 政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、
(b) 社会的諸勢力の経済的・政治的・イデオロギー的闘争によって維持・発展・変革されていく
・・・という二重の構造を持っている。
<2> 憲法の改正が、通常の立法手続でできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。
近代的意味での成文の硬性憲法は、 国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、
法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ
一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規性)。
日本国憲法98条1項は、憲法の③最高法規性を明記するが、日本国憲法が硬性憲法である(96条参照)以上当然の帰結である。
今日、③最高法規性を確保するため、何らかの形で違憲審査制を導入する国が増えてきている。
なお、憲法は、
①制定の権威の所在如何により、欽定・民定・協約・条約(国約)憲法の区別が、
②歴史的内容により、ブルジョア憲法と社会主義憲法、あるいは、近代憲法(自由権中心の憲法)と現代憲法(社会権を導入するに至った憲法)といった区別がなされる。
なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規性を確保することを、憲法の保障という。
   (⇒憲法の変動、⇒成文憲法、⇒不文憲法)

上記のように、憲法(constitution)という概念には、
実質的意味の憲法 (=国制、国体法 constititional law) ⇒本質主義(essentialism)による定義 と、
形式的意味の憲法 (=憲法典 constitutional code) ⇒名目主義(nominalism)による定義 の2つのレベルがあり、
両者を区別しつつ総合的に考察していく必要がある。

そして、これに対応して、憲法論にも、
実質的意味の憲法論 (法価値論=憲法の保障すべき価値は何かを考察する価値論であり、それを具体化すると立法論になる) と、
形式的意味の憲法論 (法解釈論=既に成文化された憲法典の解釈論) の2つの段階があり、
この両者もまた確り区別して考察していく必要がある。

★補足説明★「実質的意味の憲法」「国体法」「国制」
たとえば「民法」という概念には、①実質的意味の民法(=民法典に限らず「総体としての民法 civil law」を指す)と、②形式的意味の民法(=民法典 civil code という具体的な法律)の二つの意味があり、また「刑法」という概念にも同じく、①実質的意味の刑法(criminal law)と、②形式的意味の刑法(=刑法典 criminal code という具体的な法律)の二つの意味がある。
これらから類推されるように、当然「憲法」という概念にも、①実質的意味の憲法(constitutional law)と、②形式的意味の憲法(=憲法典 constitutional code という具体的な法律)の二つの意味があり、これらは確りと区別されて論じられるべきであるが、明治期に constitution(英語)ないし Verfassung(ドイツ語)という概念を日本に導入する際に、専ら②形式的意味の憲法(憲法典)という意味で「憲法」という言葉が用いられてしまったために、現在の日本では、憲法とは専ら②憲法典である、とする理解(すなわち、①の意味を見落とした状態での理解)が一般的となってしまっている。
これに関しては、戦前の日本では、①実質的意味の憲法(国制)を意味する言葉として、明治以前から「国体」という用語が普及していたという裏の事情がある。
この「国体」という用語は、昭和初期に濫用されて右翼的イデオロギーの色彩を強く帯びてしまったことから、戦後はこの用語の使用自体がタブー視される状態となってしまい、なおさら現在の日本人が、①実質的意味の憲法、を考えることを困難にしている。(※「国体」については⇒国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書)参照)
こうした①実質的意味の憲法 constitutional law を素直に翻訳すれば「国体法」となるが、ここでは主に、よりイデオロギー色の薄い「国制」という訳語を用いることとする。(※なお、アリストテレス著として伝わる『アテナイ人の国制』の英語版書名は 『The Athenian Constitution』であり、①の意味での constitution の訳語として「国制」が現時点ではやはり一番適切である。)

◇2.法概念論(憲法とは何か)と法価値論(憲法の保障すべき価値は何か)の区別


左派及び右派から、しばしば繰り返される「憲法の定義」として、次のようなものがある。
(1) 憲法とは、政治権力者を拘束し国民を守るための法規範であり、それに反するものは憲法ではない。 (主に左派から)
(2) 憲法とは、国の歴史を踏まえた国体を成文化した法規範であり、それに反するものは憲法ではない。 (主に右派から)

確かに、正当な憲法典には、(1)および(2)のそれぞれの要素が認められるべきであるが、結論から先にいえば、それらは、②法価値論(憲法の保障すべき価値は何か)のカテゴリーであって、「憲法の定義」すなわち①法概念論(憲法とは何か)のカテゴリーではない
このようなカテゴリー・ミスを避ける意味でも、当ページで薦めているような、①法概念論⇒②法価値論⇒③法学的方法論、という順序を踏まえた憲法問題の検討が肝要である。
因みに、(1)政治権力者をほとんど拘束できない憲法典や、(2)自国の歴史やこれまでに培ってきた伝統的な国体を全く反映せず、むしろそれらの積極的な破壊を目的とした憲法典も、世界には幾つも存在したし、現在でも存在しており、それらを「憲法と認めない」とするのは単なる個人的な価値観の表明でしかなく、何ら憲法問題の分析・明晰化に役立たない。
それよりも先ずは「憲法」という概念を、<1>実質憲法(国制、国体法)と <2>形式憲法(憲法典)に確り区別して、この両者の関係から、(a)国家の在り方(=伝統国家/革命国家/新興国家)、(b)憲法典の在り方(保守型/革命型/創成型)を考察していく方が遥かに有意義である。

◇3.二つの憲法概念から考える国家の在り方(伝統国家・革命国家・新興国家)



※サイズが合わない場合はこちらをクリック。

※■3.- ◆3.の憲法論の二段構造(整理表)で詳述するように、日本国憲法に関しては、
(1) 左翼側(主に憲法学者)は、これを「八月革命」の結果成立した革命型憲法と捉え、戦前の国制を積極的に否定・破壊する方向への解釈・運用を強く要求してきたが、
(2) 保守側(主に日本政府)は、そのようなフィクションを認めず、日本国憲法はあくまで大日本帝国憲法の改正憲法典として成立したものとして保守的解釈・運用を図ってきており、
戦後の日本では、(a)国家の在り方(=伝統国家か革命国家か)、(b)憲法典の在り方(=保守的解釈が正当かそれとも左翼的解釈が正当か)を巡って、左翼側・保守側の激しい対立が継続されてきた。

こうけんてきかいしゃく
【公権的解釈】
※日本語版ブリタニカ百科事典より
権限のある国家機関によって行われる法の解釈。
有権解釈ともいう。
これによって解釈が公定されるという点で、法学者や私人の解釈よりも重要な意味をもつ。
公権的解釈には、法律によるもの(立法解釈)、行政機関によるもの(行政解釈)、裁判所によるもの(司法解釈)がある。

※つまり、左翼的な憲法学者がどれほど「これは憲法学界の通説である(例:八月革命は憲法学界の通説であるetc.)」と唱えようと、日本政府がこれまでに表明してきた見解(例:国体は戦前/戦後で一貫しているetc.)が効力を持ったオフィシャルな解釈(=公権的解釈・有権解釈)なのだから、我々が戦後の日本を伝統国家と認め、日本国憲法を保守的に解釈することには正当な理由があるのだが、それ以外にも、下記◆2.に示すように、戦後日本の左翼的憲法学には論理面から致命的な欠陥が指摘可能である。

◆2.法体系の2つの捉え方


◇1.ケルゼンおよび修正自然法論者による法段階説(半世紀前の法学パラダイム)



※図が見づらい場合⇒こちらを参照
※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。
このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。
(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。)

◇2.ハートによる社会的ルール説(現代の世界標準の法学パラダイム)


※サイズが画面に合わない場合はこちら及びこちらをクリック願います。


※上記のように、ハート法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。
※上図について、詳細な解説は法と権利の本質に関する2つの考え方へ。

※このように、①法概念論(憲法とは何か)の段階で、既に左翼的憲法論はハッキリと論理破綻しているのであるが、以下更に、②法価値論(憲法の保障すべき価値は何か)の段階での 左翼的スタンス vs. 保守的スタンス 両者の憲法に求める価値(理念・目的)を対比して、寛容で価値多元的な自由主義社会を支え得る法価値は保守的スタンスのものであることを説明していく。


■3.憲法の保障すべき価値、理念・目的は何か(法価値論)


→ 主として、実質憲法(国制)に関する議論領域

(1) ここでは、まず、法価値(=正義)一般について、それと密接に関連した「法の支配」理念と関連づけて整理・明晰化し、
(2) 次に、「法の支配」理念から発展した「立憲主義」理念について整理・明晰化し、
(3) さらに、憲法に特有の法価値論(①主権論、②人権論、③平和論)について、法解釈論と関連づけて整理・明晰化していく。

※ポイントは、「正義」概念・「法の支配」理念・「立憲主義」理念や、①主権論・②人権論・③平和論に関しても、自由概念のケース(※リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜参照)と同様に、<1>保守的(自由主義的=価値多元的)スタンスによる理解と、<2>左翼的(全体主義的=価値一元的)スタンスによる理解とが、鋭く対立しているという基本構図を正しく把握することである。

◆1.法価値(=正義)一般と、「法の支配」


ほうかちろん
【法価値論】
legal axiology
<日本語版ブリタニカ>
法的な価値について考察する研究分野。
法的な価値正義という言葉で表現されることが多いから、正義論といってもよい。
古代ギリシア以来、法哲学の主要分野をなしてきたが、最近は、①規範的倫理学と、②分析的倫理学の区別に対応して、①規範的法価値論と②分析的法価値論(メタ法価値論)とが明確に区別されるようになった。
せいぎ
【正義】
<広辞苑>
[荀子(正名)]正しいすじみち、人がふみ行うべき正しい道。「-を貫く」
[漢書(律暦志上)]正しい意義または注解。「尚書-」
(justice) (ア) 社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること
プラトンは国家の各成員がそれぞれの責務を果たし、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。
近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。
これを単に形式的なものと見るマルキシズムは、真の正義は社会主義によって初めて実現されると主張するが、現在ではイデオロギーを超えた正義が模索されている。
(イ) 社会の正義に適った行為をなしうるような個人の徳性。
せいぎ
【正義】
justice
<日本語版ブリタニカ>
人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値
. 善(※注: agothos, bonum, good)と同義に用いられることもあるが、
(1) 善が、主として人間の個人的態度にかかわる道徳的な価値を指すのに対して、
(2) 正義は、人間の対他的関係の規律にかかわる法的な価値を指す。
. 正義とは何か、という問題については、古来さまざまな解答が示されてきたが、一般的な価値ないし価値基準に関する見解と同様に
<1> 正義客観的な実在と考える客観主義的・絶対主義的正義論と、
<2> 正義主観的な確信と考える主観主義的・相対主義的正義論とに大別できよう。
法思想の領域では、だいたいにおいて、自然法論が<1>前者に、法実証主義が<2>後者に、属する。
. 従来の正義論のうちでは、アリストテレスやキケロの見解が名高く、与えた影響も大きい。
(ア) アリストテレスは、道徳と区別される正義(特殊的正義)について、①配分的正義と、②交換的正義(平均的正義、調整的正義とも訳される)とを区別し、
前者は、公民としての各人の価値・功績に応じて、名誉や財貨を配分することにおいて成立し、
後者は、私人としての各人の相互交渉から生じる利害を平均・調整することにおいて成立する、とした。
(イ) キケロは、この①配分的正義と同様な内容を、「各人に彼のものを」という公式で表現した。
ほう-の-しはい【法の支配】
(rule of law)
<広辞苑>
イギリスの法律家コークが、国王は神と法の下にあるべきである、として、ジェームズ1世の王権を抑制して以来、「人の支配」に対抗して認められるようになった近代の政治原理
コークのいう法は、イギリスの判例法で、立法権をも抑制する点で、法治主義とは異なるが、後に法治主義と同義に用いることもある。

政治思想・政治哲学根本的価値が「自由(freedom/liberty)」という言葉で表現されるように、
法思想・法哲学根本的価値は「正義(justice)」という言葉で伝統的に表現されてきた。

ここで「正義」概念を概括するとともに「法の支配」理念との関係についても整理する。


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この「正義」概念に基く法理念・法思想を、一般に「法の支配(rule of law)」と呼んでいる。
ここで「法の支配」理念について整理する。


※サイズが合わない場合はこちらをクリック。

◇1.参考ページ

法価値論(正義論)まとめページ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係
「法の支配」理念のまとめページ 「法の支配(rule of law)」とは何か
「自由」概念のまとめページ リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜

◇2.「正義」「法の支配」まとめ


以上のように、「正義」概念・「法の支配」理念に関して、主に形式的・手続的正義論に依拠する<1>保守的スタンスによる理解と、実質的正義論に依拠する<2>左翼的スタンスによる理解が対立するが、1960年代以降、英米圏で主流となっている理解は明らかに<1>の側であり、それを反映して、元々は故・芦部信喜教授の門下であった長谷部恭男・東大法学部教授は近年、ドイツ法学に由来する師の論を完全に否定する次のような見解を打ち出すに至っている。

長谷部恭男『法とは何か』(2011年刊) p.148-9
法の支配という概念もいろいろな意味で使われます。ときには、人権の保障や民主主義の実現など、あるべき政治体制が備えるべき徳目のすべてを意味する理念として用いられることもありますが、こうした濃厚な意味合いで使ってしまうと、「法の支配」を独立の議論の対象とする意味が失われます
法の支配は人の支配と対比されます。ある特定の人(々)の恣意的な支配ではなく、法に則った支配が存在するためには、そこで言う「法」が人々の従うことの可能な法でなければなりません。そのために法が満たすべき条件として、次のようないくつかの条件が挙げられてきました。・・・(中略)・・・。こうした、法の公開性、明確性、一般性、安定性、無矛盾性、不遡及性、実行可能性などの要請が、法の支配の要請と言われるものです。
日本の憲法の教科書類を見ると、「法の支配」の名の下に、人権の保障や民主主義、権力分立など、望ましい政治体制が備えるべきあらゆる徳目が並べられていることが少なくありません。しかし、ここまで濃厚な意味で「法の支配」を理解してしまうと、法の支配を独立して検討の対象とする意味はほとんどないように思われます。・・・(中略)・・・。こうした「法の支配」ということばの使い方の背景には、善いことである以上は、そのすべてが予定調和して100パーセント実現できるはずだというバラ色の想定があるのではないでしょうか。私としては・・・限定的な意味での「法の支配」を議論の対象とする方が、学問のあり方としても生産的だし、こうした意味を前提としてもっぱら議論をしている諸外国の研究者と議論するときも、誤解が少なくて善いのではないかと考えます。

⇒長谷部教授は憲法改正に反対する護憲論者であるが、こうした左派の憲法学者であっても、英米圏でとっくの昔に標準となった法学パラダイム(ハートの法=社会的ルール説)に基づく憲法論議に追いついていこうとするだけの学問的誠実さのある者は、「正義」概念・「法の支配」理念に関しては既に<1>保守的(自由主義的=価値多元的)スタンスによる理解が正解であることをはっきりと認めている。

これに対して、故・芦部信喜教授の憲法論の継承者である高橋和之教授を初めとする多くの左派憲法学者は残念ながら、未だに半世紀以上前(1961年のH.L.A.ハート『法の概念』刊行以前)のドイツ法学系パラダイム(法段階説・法=主権者意思説)に依拠する日本ローカルの憲法学の殻に閉じ籠ったままであるが、こうしたガラパゴス状態も長谷部教授などの貢献により今後は徐々に正常化に向かっていくものと思われる。

※以下、「法の支配」理念から発展した「立憲主義」理念について整理します。

◆2.「立憲主義」の定義



日本の憲法の教科書では「法の支配」の名の下に“人権の保障や民主主義、権力分立など、望ましい政治体制が備えるべきあらゆる徳目が並べられている”という上記の長谷部教授の批判は、「立憲主義」に関してもそっくりそのまま当て嵌まる。
⇒「法の支配」の意味を限定すべきであるのと同様に、「立憲主義」という言葉の意味も限定すべきである(すなわち、下記の阪本昌成氏や長谷部恭男氏の論が正解となる)。

◇1.各論者による説明


政治的スタンス 論者 内容
(1) 保守主義 百地章 「立憲主義とは、国家の統治が憲法にもとづいて行われることである。」(『憲法の常識 常識の憲法』p.32)
(2) リベラル右派 阪本昌成 (1) 立憲主義の意義
先の [1] で私は、《統治とは、国家機関を通して為す、一元的・統一的な権力支配だ》と述べた。
統治は、限られたリソースを巡る利害の対立を調整しながら、その配分のあり方を権力的に決定する恒常的かつ永続的な国家作用である。
この権力的、永続的な統治活動の牙を抜いて正当な枠に閉じ込めようとするにが、規範的意味での国制の役割である。
統治を、流動的で恣意的な政治に委ねることなく、国制のもとに規律し安定化させる思考を「立憲主義 constitutionalism」という。
近代国家が規範的意味での国制によって統制されるに至った段階のものは、「近代立憲主義国家」といわれる。
これは、国家という強制の機構から各人の「自由」を擁護する、統治上のルールとしての憲法をもっている国家のことである。
(『憲法1 国制クラシック』p.26)
(2) 立憲主義の展開
(中略)
自然権の保全と権力分立という二つの要素を憲法の必須要素だと明言したのが、フランス人権宣言16条の「権利の保障が確保されておらず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法を持たない」という有名なフレーズである。
この二つの要素を満たす憲法を「立憲主義的憲法」と一般にいわれることがある。
つまり、
《憲法とは、人権宣言と権力分立を含む成文の法文章だ》、
《この法文章は、国家樹立の際の社会契約および憲法協約を成文化したものであるから、主権者をも統制する法力をもっている》
という思想である。
今日、立憲主義を想起する場合、人々の脳裏に浮かぶのは、一般にこのタイプである。
が、フランス人権宣言とその16条は近代立憲主義のモデルではなく、「このタイプだ」と簡単に片付けることは正確でない。
フランス的立憲主義とアメリカ的立憲主義は、憲法に関する見方を大きく異にしているのだ。

〔D〕近代立憲主義の枝分かれ
フランス型は、憲法をあるべき国家の最適モデルに適合させようとする理論に従って設計しようとした
なかでも、憲法を制定する力を民主的に創造するための人為的理論が最重要視された。
これが、後の [39] でふれる憲法制定権力の理論である。
人権も、まったく新たに創設され、最適規範に相応しい内容を人為的に持たされた。
人権は、人が精神的にも物質的にも、あるべき姿となるための規範だった。
こうした憲法のモデルが理論通りには運ばないと判明したときには、また別の理論に従って人為的に憲法が制定された。
フランスの憲法は、何度も何度も制定されては軌道修正された。
そして、結局のところ、自由の構成(constitution)に失敗したのだった


これに対してアメリカ型は、経験と伝統とを基礎とする憲法制定の道を辿った
理論的な最適規範を設計したところで、上手く定着することはない、と建国の父たちは知り尽くしていた。
それと同時に、憲法制定会議を頻繁に開設して討議を繰り返すと、統治力学の振り子が大きく揺れ過ぎることも予知していた。
建国の父たちは、モンテスキューが理想としていた「中庸な統治体制=混合政体」から多くを学んだ(合衆国憲法はJ. ロック(1632~1704年)の影響を受けて制定された、といわれることがあるが、これは誤診だと私は考えている)。
合衆国憲法が、House of the Senates(通常、「上院」と訳される元老院=貴族政的要素+連邦制)と House of the Representatives(通常、「下院」と訳される庶民院=民主政的要素)という権力分立、さらには、大統領という「民主化された君主」を置いたのは、そのためだった。
また、アメリカ建国の父たちは、人間の理性・知性の限界を知っていた。
人間は、有徳の存在ではなく、権力欲に満ちており、私利を追求するにあたって公共の利益を口にすること等々を建国の父たちは知っていた。
合衆国憲法は、人権保障にあたっても、“自然権を実定化する”とは考えなかった。
権利章典(Bill of rights)は、歴史的・経験的に徐々に姿を現してきた人の権利を確認するものだった(*注1)。

(*注1) アメリカ合衆国憲法における権利章典について
合衆国憲法にみられる「個人の自由と権利」は、自然権思想の影響をさほど受けてはいない。そこでのカタログは、歴史的にそれまで存在してきた権益を確認したものである。『憲法2 基本権クラシック』 11頁を参照願う。
(3) 立憲主義のふたつのモデル - 法の支配か民主主義か
以上のように、一言で「近代立憲主義」という場合でも、一方には純粋理論型または超越型があり、他方には経験型・伝統重視型がある。
見方を換えていえば、
フランス型民意を統治過程に統合するなかで同時に自由を作り出すための憲法構造を理論的に追究したのに対して、
アメリカ型多元的な民意を統治過程に多元的に反映させる憲法構造を伝統のなかから発見しようとしたのだった。
アメリカ型立憲主義は、《個人の権利自由を擁護するための制度的装置として権力分立制を用意する》とよくいわれる。
他方、憲法の民主化を重視するフランスにあっては、議会に反映される一般意思のもとに行政と司法を置くことが、その眼目であると考えられた。
J. ルソー(1712~1778年)の影響だろう。
そのために、議会中心の統治が理想とされた。

これに対して、合衆国憲法は、モンテスキューの理論モデルを参考としながら、民主主義を万能としない権力分立制を導入した。
アメリカ憲法は、「立憲主義=法の支配=権力分立」という等式を基礎として制定されたのである。
立憲主義のモデルアメリカに求める人物は、《立憲主義とは、法の支配と同義であり、それは民主主義の行き過ぎに歯止めをかける思想でもある》と考える傾向にある。
これに対して、立憲主義モデルフランスに求める人は、「立憲民主主義」という言葉を多用する傾向がある。
後者は、「立憲」の中に権力分立と人権尊重の精神を含め、「民主主義」の中に、「国民主権」と議会政を含めているようである(民主主義の中に人権尊重を忍び込ませる論者もいる)。
が、それらの一貫した関連性をそこに見て取ることは困難であるように私にはみえる(自由主義と民主主義との異同については、後の [26] でふれる)。
私は、《立憲主義とは、誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想だ》と考えている。
本書が「立憲民主主義」という言葉を決して用いないのは、そのためである。(『憲法1 国制クラシック』p.31)
(3) リベラル左派 長谷部恭男 近代以降の立憲主義とそれ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。近代立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とする。それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。むしろ、人としての正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれに決まっているという前提をとっていた。正しい価値観・世界観が決まっている以上、公と私を区別する必要もなければ、信仰の自由や思想の自由を認める必要もない。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.69)
・・・近代ヨーロッパで立憲主義が成立する経験においては、宗教戦争や大航海を通じて、この世には比較不能な多様な価値観が存在すること、そして、そうした多様な価値観を抱く人々が、それにもかかえわらず公平に社会生活の便宜とコストを分かち合う社会の枠組みを構築しなければならないこと、これらが人々の共通の認識となっていったことが決定的な意味を持っている。立憲主義を理解する際には、…制度的な徴表のみにとらわれず、多様な価値観の公平な共存という、その背後にある目的に着目する必要がある。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.71)
ヨーロッパでの成立の経緯に照らしてみればわかるように、立憲主義は、多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念である。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.178)
そのためには、生活領域を公と私とに人為的に区別すること、社会全体の利益を考える公の領域には、自分が一番大切だと考える価値観は持ち込まないよう、自制することが求められる。・・・そうした自制がないかぎり、比較不能な価値観の対立は、「万人の万人に対する闘争」を引き起こす。・・・(中略)・・・。立憲主義はたしかに西欧起源の思想である。しかし、それは、多様な価値観の公正な共存を目指そうとするかぎり、地域や民族にかかわりなく、頼らざるをえない考え方である。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.178)
立憲主義にもとづく憲法・・・は、人の生きるべき道や、善い生き方について教えてくれるわけではない。それは、個々人が自ら考え、選びとるべきものである。憲法が教えるのは、多様な生き方が世の中にあるとき、どうすれば、それらの間の平和な共存関係を保つことができるかである。憲法は宗教の代わりにはならない。「人権」や「個人の尊重」もそうである。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.179)
立憲主義は現実を見るように要求する。世の中には、あなたと違う価値観を持ち、それをとても大切にして生きている人がたくさんいるのだという現実を見るように要求する。このため、立憲主義と両立しうる平和主義にも、おのずと限度がある。現実の世界でどれほど平和の実現に貢献することになるかにかかわりなく、ともかく軍備を放棄せよという考え方は、「善き生き方」を教える信仰ではありえても、立憲主義と両立しうる平和主義ではない。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.179)
立憲主義ということばには、広狭二通りの意味がある。本書で「立憲主義」ということばが使われるときに言及されているのは、このうち狭い意味の立憲主義である。
広義の立憲主義とは、政治権力あるいは国家権力を制限する思考あるいは仕組みを一般的に指す。「人の支配」ではなく「法の支配」という考え方は広義の立憲主義に含まれる。古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったといわれる際に言及されているのも広義の立憲主義である。
他方、狭義では、立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区別を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。二つの領域の区分は、古代や中世のヨーロッパでは知られていなかったものである。」(『憲法とは何か』p.68)
(4) 左翼 芦部信喜 ※芦部は「近代立憲主義(あるいは現代立憲主義)は~という性質を持っている」とその属性を述べるものの、「立憲主義とは何か」という肝心の概念論・理念論に関しては慎重に口を閉ざしている。これは芦部の憲法論英米圏で主流となっている「立憲主義」や「法の支配」の概念・理念理解とは実は無縁の古いドイツ系法学に依拠していることに原因がある。⇒芦部の後継者である高橋和之も同様。
(5) 中間 佐藤幸治 ※佐藤も芦部と同様に、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」を対比して言及するものの、立憲主義そのものの概念・理念の説明はない。つまり芦部や佐藤の世代ではベースがまだドイツ系法学であったために、英米系の「立憲主義」「法の支配」といった概念・理念を英米圏の用法の通りに消化できていないのである。

◇2.参考ページ

「立憲主義」理念のまとめページ 立憲主義とは何か

※以上で法価値全般に関わる事項の説明を終わり、憲法に特有の法価値に関する検討に移ります。

◆3.憲法に特有の法価値論+法解釈論 - 整理図



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◇1.参考ページ

「法の支配」と国民主権の関係 リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配
国民の権利・自由と人権の関係 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために
芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋etc.の「国民主権論」比較と評価 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価
関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等

※このように、②法価値論(憲法の保障すべき価値は何か)の段階で、(1)左翼的スタンスによる理解と(2)保守的スタンスによる理解とが激しく対立するが、 寛容で自由な価値多元的な社会を保障するのは、二つの自由論の場合と同じく、(2)保守的スタンスによる理解の方である。

※なお、ここで一つ留意事項として、上図には表記がないが、(1)(2)の他にもう一つ、(3)右翼的スタンスによる理解というものが想定可能である。この(3)右翼的スタンスは、(1)左翼的スタンスの場合と同じく全体主義的であって、寛容で自由な社会に相応しくない理解である。(この(3)右翼的スタンスと(2)保守的スタンスとの区別は、■4.-◆1.-◇2.の中段で図解する)


■4.そうした価値、理念・目的を如何に実現するか(法学的方法論)


→ 主として、形式憲法(憲法典)に関する議論領域

◆1.現行憲法典の解釈論


◇1.左翼的(全体主義的)解釈vs.保守的(自由主義的)解釈

 ※■3.- ◆3.の整理表下段(形式的憲法論の欄)を参照

◇2.日本の代表的な憲法論 - 内容紹介・評価

日本の様々な憲法論を政治的スタンスに当て嵌めて概括すると下表のようになる。

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政治的スタンス 代表的論者 ベースとなる思想家/思想 補足説明 詳細内容
(1) 極左 伊藤真など護憲論者 J.-J.ルソーの社会契約論からさらに、アトム的個人主義と集産主義の結合形態(=左翼的全体主義)※説明に接近 「人権」「平和」を過度に強調し絶対視する共産党・社民党・民主党左派系の法曹に多い憲法論でありイデオロギー色が濃く法理論というよりは左翼思想のプロパガンダである(左の全体主義)
(2) 左翼 芦部信喜
高橋和之
修正自然法論(法=主権者意思[命令]説に自然法を折衷)+J.-J.ルソーの社会契約論 宮沢俊義→芦部信喜と続く戦後日本の憲法学の最有力説であり通説
※宮沢は有名なケルゼニアン(ケルゼン主義者)。芦部は自然法論者だが人権保障をア・プリオリ(先験的)な「根本規範」と位置づけており、その表面的な米国判例理論の紹介はポーズに過ぎず、実際には依然ケルゼン/ラートブルフ等ドイツ系法学の影響が強い
よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編)
(3) リベラル左派 長谷部恭男 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)を一部独自解釈
※なお長谷部は社会契約論に依拠しているのか曖昧でハートの法概念論と辻褄が合うはずのハイエクの自由論は故意に無視している
近年の左派系憲法論(護憲論)をリードしている長谷部は芦部門下であるが、師のようなドイツ系法学パラダイムはもはや世界の憲法学の潮流からは通用しないことを認識しており、師の憲法論の中核である、①根本規範を頂点とした法段階説+②制憲権(憲法制定権力)説、を明確に否定して、英米系法学パラダイムへの接近を図っている。(※但しハートまでは受容しながらもハイエクを拒否している長谷部の憲法論は中途半端の誹りを免れず、これを一通り学んだ後は、より整合性のとれた阪本昌成の憲法論へと進むべきである) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編)
(4) 中間 佐藤幸治 人格的自律権に限定して自然法を認める独自説+J.ロックの社会契約論 芦部説の次に有力な憲法論であり、芦部説よりも現実妥当性が高いので重宝されるが(佐藤は佐々木惣一から大石義雄へと続く京都学派憲法学の系統)、法理論としては妥協的でチグハグと呼ばざるを得ない 佐藤幸治『憲法 第三版』抜粋
(5) リベラル右派 阪本昌成 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)+F.A.ハイエクの自由論 20世紀後半以降の分析哲学の発展を反映した英米法理論に基礎を置く憲法論であり、法理論としての完成度/説得力が最も高いが、日本では残念ながら非常に少数派 阪本昌成『憲法1 国制クラシック』
(6) 保守主義 中川八洋
日本会議
E.コークの「法の支配」論+E.バークの国体論 日本会議・チャンネル桜系の憲法論も基本的にこちらに該当する。法理論というより「国民の常識」論であり、心情面からの説得力が高いが、(5)の法理論を一通り押えた上でこの立場を取らないと、いつの間にか(7)に堕する危険があるので注意。 中川八洋『国民の憲法改正』抜粋
(7) 右翼・極右 いわゆる無効論者 ヘーゲルの法概念論・共同体論およびそれに類似した全体主義的論調 「伝統」「国体」などを過度に強調し絶対視して「右の全体主義」化した憲法論(左翼憲法論の裏返しであり、左翼からの転向者が嵌り易い。法理論というより右翼イデオロギーのプロパガンダ色が濃い)

政治的スタンス5分類・8分類+円環図

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政治的スタンス毎の憲法論の違いは、①「人権」と②「国民主権」の捉え方に顕著に現れる。
このうち、①「人権」に関しては、「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のためにを参照。
政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価では、(2)~(6)の各々の政治的スタンスの代表的な②「国民主権」論を列記したのち、総括する。


◆2.憲法典の改廃論


憲法典の改廃論 内容 参考ページ
(1) 改憲論 保守的改憲論 保守主義的・自由主義的な法価値(理念/目的)の、より確実な実現を目指す改憲論 中川八洋『国民の憲法改正』抜粋
左翼的改憲論 左翼的・全体主義的な法価値(理念/目的)の、より確実な実現を目指す改憲論
中間的改憲論 それほど明確なポリシーがあるわけではない(=保守主義的とも左翼的とも言い難い)が、一応は憲法9条の改正など最低限の提言内容は持つ改憲論
(2) 護憲論 左翼的護憲論1
(芦部信喜説準拠)
「人権」「平和」理念を絶対視して、彼らがその理念を体現すると考える現行の憲法典の絶対的維持を訴える論。しかし、■2.で説明したように、芦部説などのベースとなっている法概念理解は実際には単なる左翼イデオロギーの刷り込みでしかなく「自由で寛容な価値多元的な社会を支える憲法構想」としては完全に破綻している。 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編)
左翼的護憲論2
(長谷部恭男説準拠)
自衛隊の存在などは「憲法の変遷」があった(=条文の変化はないが、その解釈が変化したことにより合憲となった)として現状追認する一方で、現行憲法典の条文自体には「世界平和の希求」「人権価値実現の目標プログラム」など将来に向けての積極的価値を認めて、改憲に反対する論 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編)
いわゆる真正護憲論
(新無効論)
この論の当否についてはネットなどで各自チェックするのが望ましい。一つ指摘事項を書くとすれば、この論のベースとなる法概念理解は、実は芦部信喜に代表される①左翼的護憲論1の法段階説(根本規範・自然法論などを強調するドイツ法学系の法概念理解)と同じ(=左翼的護憲論が「人権」「平和」を絶対視するところを、この論では彼らの考える「国体」を絶対視している、という違いがあるだけ)であり、①左翼的護憲論1と同じく、現代の法学パラダイムから全く落伍した時代遅れの論である、ということである。
そのほか、この論には法的議論として様々な無理があり、一定の法学知識のある層からは全く相手にされていないが、一般向けのプロパガンダとしては中々人気のある論となっている。
国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法)
(3) 破棄論 占領憲法失効・破棄論
(菅原裕説が代表的)
主権回復(1952.4.28)直後には一定の説得力と賛同者をもっていた論であったが、現在では最早現実妥当性がない無責任な論である。
1950年代前半迄であれば、現行憲法を破棄・失効させ明治憲法を復活させてそのまま運用することは何とかギリギリで可能だったかも知れないが、戦後日本社会の様相を反映した複雑・多様な法制度が整備された現在では、代替案も示せずに「現行憲法を破棄・失効せよ」とだけ強弁するだけでは済まされない。


◆3.憲法典改正案


◇1.現在提案されている種々の改憲案

中川八洋草案 保守的改憲案の代表例
日本会議の提言 保守的改憲案の代表例
産経新聞案(2013年) 「国民の憲法」要綱
読売新聞案(2004年) 読売新聞社・憲法改正2004年試案
自民党案(2012年) 現行憲法・自民党改憲案(対照表)
国立国会図書館編・改憲案一覧(2005年) 主な日本国憲法改正試案及び提言

◇2.日本国憲法の構成と、保守的スタンスから見た改正の要否

憲法典の構成 保守的スタンスから見た改正の要否、改正内容
前文 抜本的な書換が必要 自虐的文言・空想的国際協調主義などの全面的排除 憲法の基本理念や解釈基準を明記する部分だが、現状は占領軍のポジション・トークに過ぎない部分が目立ち、抜本的な書換が必要である。
本文 (1) 固有規定1 <1> 第一章(天皇) 要検討 具体的な改正内容は慎重な検討を要する 国の在り方や国政の基本方針を明記する部分だが、文理解釈のままでは実質憲法(国制)とズレが生じるために、現状では相当に苦しい目的論的解釈が必要となっている箇所が多く、大幅な書換が必要である。
<2> 第ニ章(戦争の放棄) 抜本的な書換が必要 正当な戦力の保持・行使の明記etc.
(2) 権利章典 <1> 第三章(国民の権利及び義務) 小規模な修正 普遍的人権ではなく国民の自由・権利の保障etc. 規定内容は実はかなり優秀であり、現在の基本線を外した修正は不要と思われる。
(3) 統治機構 <1> 第四章(国会) 小規模な修正 参議院の在り方etc. 規定内容は実はかなり優秀であり、現在の基本線を外した修正は不要と思われる。
<2> 第五章(内閣) 内閣権限の強化、国家安全保障の不備対応etc.
<3> 第六章(司法) 国民審査制度の不備対応etc.
<4> 第七章(財政)
<5> 第八章(地方自治)
(4) 固有規定2 <1> 第九章(改正) 要検討 96条の2/3条項については賛否両論あり 要検討。
<2> 第十章(最高法規) 中規模の修正 人権の過度の強調の排除、最高法規性の定義再検討etc.
(5) 経過規定 <1> 第十一章(補則) - 新たな経過規定が必要 本文ではなく附則とするのが合理的である。

◇3.改憲案の具体例(自民党・憲法改正草案(2012年版)+中川八洋草案)

自民党 憲法改正草案(2012年版) (※中川八洋『国民の憲法改正』の指摘事項を付記)   現行憲法-自民党草案-中川草案(対照表)  を参照


■5.ご意見、情報提供


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最終更新:2019年08月21日 15:37