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♪アヴェ・マリア(カッチーニ)
Piano1001
小江戸川越 〜 蔵造りの町並み埼玉県川越市
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埼玉県南西部に位置する人口約34万人の川越市は、江戸時代に川越藩の城下町として栄えた都市で、戦災を免れたため、歴史的な街並や寺院などが多く残されていて『小江戸』と呼ばれ、年間約600万人もの観光客が訪れるといわれます。また、2009年4月から9月まで放送されるNHK連続テレビ小説『つばさ』の舞台にもなっています。大きな鬼瓦の屋根に黒しっくいの壁と分厚い観音開きの扉。『一番街蔵造りの町並み』は、川越観光の代表的存在です。『一番街』をはじめ、『大正浪漫夢通り』、 『菓子屋横丁』などの風景をアップロードしました。(旅した日 2009年05月)
     
     
一番街
川越に蔵造りの町並みができるきっかけとなったのは、明治26年(1893年)に起きた未曾有の大火災が、川越に蔵造りの町並みができるきっかけになったのだそうです。その大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造りの建物だったことを知った川越の商人たちは、競って蔵造りの店舗を建てました。
江戸時代以来、江戸との商いで富の蓄積があった川越商人は、復興のための財力を十分持っていましたし、当時東京日本橋には既に蔵造り建物の町並みがあったこともあって、江戸商人に対するあこがれがあったのかもしれません。そして戦災を免れたため、当時の雰囲気をそのままに味わうことができるのです。
その一番街にあって異彩を放つ建物が、埼玉りそな銀行川越支店(旧八十五銀行本店本館)の建物(最下右の写真)です。大正時代に建てられたもので、国・登録有形文化財に指定されています。
   
   
時の鐘
川越のシンボル『時の鐘』は、寛永年間(1624年〜44年)に川越城主酒井忠勝が建てたものが最初といわれます。現在の鐘楼は、明治26年(1893年)に起きた川越大火の翌年に再建されたもので、三層構造の塔で、高さ約16メートル。寛永の創建からおよそ350年間、 暮らしに欠かせない『時』を告げてきました。現在でも、午前6時、正午、午後3時、午後6時の一日四回、蔵造りの町並みに鐘の音を響かせています。
   
   
芋菓子とうなぎ
川越の街を歩いて気付くのが、さつま芋菓子屋とうなぎ屋の多いこと。江戸時代よりサツマイモの産地として知られた川越は江戸から十三里のところにあったことから、『栗(九里)より(四里)うまい十三里』といわれてきたそうです。写真上は、天明三年創業の旧川越藩御用達『亀屋』と亀屋の『川越いもシュー』。また、川越は江戸時代よりうなぎの名産地として知られ、今でも、100年以上続くうなぎ屋さんが何軒もあるそうです。昼食にと飛び込んだのが大正浪漫夢通りにある『小川菊(おがぎく)』(写真下)。創業200年という歴史ある老舗で、大正13年(1924年)に立て替えられた三階建ての建物は、川越市の『都市景観重要建築物等』に指定。メニューは、うな重と柳川、うざく、白焼きのみ。ちなみに、うな重は、1800円(並)、2100(上)、2500円(特上)。
   
   
大正浪漫夢通り
古き良き大正時代を思わせる情緒あふれる大正浪漫夢通り。今の中央通りがまだなかった頃、川越の中心であったこの通りは、銀座通り商店街を経て、大正浪漫夢通りになったそうです[1]。写真は、大正時代を髣髴とさせる喫茶店『シマノコーヒー大正館』(写真上)、うなぎの『小川菊』と創業明治元年の川越地酒の老舗『伊勢源』(写真中右)、昭和2年(1927年)建造の『川越商工会議所』(文化庁登録有形文化財、写真中左)、そして昭和10年創業の味の店『いせや』(写真下)。
      
      
菓子屋横丁
石畳の道に、22軒の菓子屋・駄菓子屋が軒を連ねる『菓子屋横丁』素朴で昔懐かしい味の菓子、駄菓子が作れ売られています。大正12年(1923年)、関東大震災によって被害を受けた東京に代わって菓子、駄菓子が製造供給され、昭和初期には70軒以上の店があったといわれています。
      
     
【参考にしたサイト】
[1] 大正浪漫夢通り公式ホームページ
[2] 川越一番街商店街公式ホームページ
[3] フリー百科事典ウィキペディア    
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