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♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
諏訪大社長野県諏訪市・下諏訪町
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通称、『諏訪さま』、『諏訪大明神』などとも呼ばれ、全国に2万5,000にも及ぶ末社を持つといわれる諏訪大社は、長野県の諏訪湖の周辺に、上社(かみしゃ)本宮・前宮、下社(しもしゃ)春宮・秋宮の4箇所の境内地を持ちます。古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神、狩猟・漁業の守護神とされ、また武勇の神として広く信迎されました。現在は、生命の根源・生活の源を守る神として、多くの参拝客が訪れます。国内にある最も古い神社の一つとされるだけあって、江戸時代に建てられた建物がそのまま残されており、社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ばれる樅(もみ)の大木の柱が立っているなど、その独特な構え配置や建物の壮大荘厳さは見ものです。諏訪市にある上社本宮と諏訪郡下諏訪町にある下社秋宮を訪ねました。                                  (旅した日 2008年06月)
      
     
諏訪大社(上社本宮)
上社本宮の弊拝殿および左右片拝殿(写真上)
         諏訪大社

諏訪大社(すわたいしゃ)は、諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社で、国内にある最も古い神社の一つとされています。信濃国一宮。神位は正一位。古くより、風の神、水の神、農耕・狩猟の神信仰で親しまれている全国一万有余社のお諏訪さま、諏訪大明神の本社。
 
祭神は、上社が、大国主神(だいこく様)の御子神である『建御名方神 (たけみなかたのかみ)』と、その妃神である『八坂刀売神 (やさかとめのかみ)』 。
四脚門(よつあしもん)(写真上)
本宮境内への入口門(写真下)
下社が、上社の2柱の他に、御兄神に当たる『八重事代主神(やえことしろぬしのかみ』(えびす様)ですが、一般には古くから、上社に男神、下社に女神の信仰が広く伝わっているそうです。
 
     諏訪大社上社本宮
        かみしゃほんみや
 
幣拝殿と左右片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。弊拝殿および左右片拝殿は江戸時代の天保9年(1838年)に落成したもので、国指定の重要文化財。慶長13年(1608年)に徳川家康が造営寄進したという四脚門も、国の重要文化財。
 
入口御門・布橋(写真下)。右に見えているのが『二之御柱』。左に見えているのが『絵馬堂』
        
       
北参道から
本宮一之御柱(写真上)
       本宮一之御柱
 
7年に一度の『御柱祭』の日に、諏訪地方六市町村の氏子たちによって山奥から曳行(えいこう)されてきて、本宮の四隅に建てられた樅の大木(最も大きいものは、直径約1メートル、長さ約16メートル、重さは約12トン)が御柱。北参道入口に立てられているのが『本宮一之御柱』です
 
神楽殿に向うと、夏越の祓(なごしのはらい)神事(6月30日)のための『茅の輪』(ちのわ)が作られていました。
茅の輪(写真上)
 神楽殿
 
文政10年(1827年)に上棟された神楽殿は、桁行四間、梁間三間、入母屋造。妻を正面とし、三方に切目縁をまわし、擬宝珠高欄をつけています。中に奉納されている太鼓は、龍神が描かれた江戸時代のものだそうです。昔は神楽が連日行なわれましたが、現在は絶えています。
神楽殿(写真上)
絵馬堂
    
入口御門の近くに布橋と平行して建てられている絵馬堂は、絵馬や額を納めるところですが、目を引くのが御柱祭のとき御柱に取り付けられる『メドデコ』(目処梃子)と、御柱を引くための『元綱』(もとづな)です。メドデコは御柱の前後それぞれの先にVの字に取り付けられ、曳行中それに登り、御柱を左右に揺して御柱を曳きやすくします。メドテコが付くのは、男神である上社の御柱だけだそうです。
絵馬堂(写真上)
 
 
諏訪大社(下社秋宮)
下社秋宮の神楽殿(写真上)
     諏訪大社下社秋宮

諏訪湖の北、下諏訪駅の北にある。駐車場から鳥居をくぐり、参道を進むと、「根入りの杉」が目に入る。その奥に、神楽殿があるが、多くの人はここで参拝して帰っていくようだ。神楽殿後方に、幣拝殿があり、瑞垣内に宝殿二棟がならんでいる。
 
         神楽殿
 
この神楽殿は、天保6年(1835年)、二代立川和四郎富昌54歳の作で、父の建てた華麗な幣拝殿の前に荘重な建物としてよく調和させ、幣拝殿を引き立てているところが賞賛されます。
参道から見る『根入りの杉』(写真上)
下社・秋宮の神楽殿は、三方切妻造りと言われる様式で、幣拝殿のような彫刻はありません。正面の大きな注連縄(しめなわ)は、御柱祭りの年に作り替えられ、約1トンの重さがあります。二代立川和四郎富昌は、技をすべて父に受け、生まれつきの才能と異常なまでの努力で立川流の最高を極め、幕府から『内匠(たくみ)』の称号を許されたほどの名匠でした。
           
〜現地の説明版より。
神楽殿の大注連縄(写真上) 神楽殿で(写真下)
 幣拝殿
 
下社秋宮の幣拝殿は安永10年(1781年)に落成しました。工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は当時盛んになった立川流建築を学び、彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残しました。軒回りに彫刻が多く華麗なのは当時の流行であり、それがすべて素木を生かして清楚です。彫刻には独特のおおらかさがあり、拝殿内部の『竹に鶴』などが代表作です。幣殿と拝殿が一体になった構造で、二重楼門造りと呼ばれる二階建てになっています。 〜現地の説明版より。
下社秋宮の幣拝殿(写真下)
【御柱祭】 御柱は、直径約1m(幹周り3m)、長さ約16m、重さ約12トンもある樅(もみ)の大木の柱で、御柱祭は、この樅の大木16本を、奥山から切り出し、四つの諏訪大社のお社(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮)まで延々と曳行(えいこう)し、社殿の四隅に建てるという壮大な祭りです。人力で川を越す『川越し』、人が乗ったまま急な坂から落とす『木落し』などが、諏訪人の血を沸かせ、人を見るなら諏訪の御柱といわれるほどの賑わいを見せるそうです。祭の起源は大変古く、今からおよそ1200年前の延暦23(804)年、時の桓武天皇が信濃の国(今の長野県)の国祭として国司に命じたとされる記録が残っているそうです。7年毎に行われます。直近に開催されたのは2004年で、次回は2010年に開催されます。
 
 高島城と諏訪の造り酒屋   薬喰(くすりぐい)
 
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