いつもみなさん、ありがとうございます。
こちらはあくまで創価学会や日蓮正宗、顕正会等は「日蓮〜日興」系の門流の教派と考えています(これは私見なのではなく歴史的な事実です)。ですからこちらからはあくまで「日蓮や日興の信用し得る文献から根拠を示すこと」「または法華経そのものから根拠を示すこと」を求めて質問をします。
ところが彼らはこちらの言ったことが理解できずに、あろうことか日蓮でも日興でも何でもない、後世の釈を示し出すのです。例えば創価学会信者さんなら「池田大作先生はこう言われている」とか「『新・人間革命』にはこう書かれている」等、何一つ日蓮真蹟遺文から説明できないありさまです。たまに日蓮御書を引用したと思ったら『生死一大事血脈抄』や『御義口伝』等、後世の偽作の可能性が非常に高い遺文ばかり示し出すのです。そのことを指摘させて頂くと彼らは急に逆上し、怒り狂ってこちらを口汚く罵り始め、「お前は増上慢だ」とか「貴方は二乗の知識で教えを貶めている」等、訳のわからないことを言い出す始末。とても宗教者とは思えません。そもそも法華経という経典は二乗成仏を明かした経典ではなかったのでしょうか? そんな基本的なことさえ彼らは理解しようとしないのです。
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
日蓮正宗信者もそんな人ばかりです。信用し得る日蓮真蹟や日興真蹟から引用して回答してくださいと述べているのに、突然「『百六箇種脱對見拝述記』を読まなければわからない」などと言い出す始末。同書は大石寺67世阿部日顕氏の著作に過ぎません。日蓮や日興の真蹟を示すように再三再四指摘しても彼らは「御法主上人猊下に信伏随従することでしか血脈の深義はわからないのだ」等、何も答えられなかったのは自分の方なのに、全部誤魔化して他者を卑下して上から目線でこちらを中傷することしかできないありさまです。
「批判を受容する人、受容できない人」
そもそも日蓮の『撰時抄』(真蹟現存)では天台智顗や伝教最澄の言葉が引用され「伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云、此等の経論釈のごときんば夢を本にはすべからずただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経論の文こそたいせちに候はめ」と述べており、経論の文から根拠を示すことを日蓮は強調しているのです。
「文証がない教説は否定されるべきとするのが日蓮の思想である」
つまり彼ら創価学会や日蓮正宗の信者たちは自分たちの教えが絶対であることを最初から刷り込まれている故に、根拠を示されてそれが否定されると何も言い返すことができず、逆上してしまうのでしょう。それなら彼らの教えは日蓮や日興の教えなどとは呼ばれない筈なのですが……彼らはそんなことさえ理解できず、多くが狂ったように「増上慢」や「二乗」、「破和合僧」などと他者にレッテルを貼って罵ることしかできなくなってしまいます。
確かにそうではなく、私の批判を素直に受け止める真摯な信者も一部いることは、私も理解しているつもりです。しかし回答不能になり、口汚く罵ることばかり繰り返す原理主義者が後を絶たないからこそ、創価・大石寺系教団の社会的評価が下がるだけなのだということをもう少し彼らは自覚した方が良いように思います。