※1998年に出版された『人物20世紀』(講談社)についての2回目です。
◆残念なことに、ほとんど取り上げられていなかった思想家がいます。詩人でもあった吉本隆明(1924~2012)です。年表の1968年のところに、「吉本隆明『共同幻想論』を刊行」と小さな文字で書いてあるだけでした。失礼ながら、編集委員の方々の見識をちょっと疑ってしまいました。現在は、高校の「倫理」の教科書にも、詩人・思想家として載っているほどです。多分、近い将来、吉本隆明の本格的な伝記や研究書も書かれるでしょう。
◆私はかつての「吉本ファン」の一人に過ぎません。本稿も私的な覚書以上のものではありませんが、詩に吉本の原点をさぐってみたいと思います。
◆吉本隆明の詩や思想には、「土の匂い」や「下町の匂い」のようなものがありました。初期の詩には「ユウラシア」という語や「アジアのはてのわいせつな都会」という表現が見られますが、「ユウラシア」のはてや「アジアのはて」での思索が世界大の思想になり得ることを、吉本は示したと思います。【*】
◆「アジアのはて」での社会・政治運動の蹉跌(1950年代のことのようです)は、次のようにうたわれていました。
きみは不服従の戦士だったのに
いま 右手にはヨオロッパの辞典
炸裂する魂はかくされていない
いま 左手にくらい日本の孤独
明日の天候と今日の食糧と
無名のいさかいの種子が
おしこまれている (「戦いの手記」より)
戦前にも、1960年代にも、1970年代にも、2010年代にも、同じような光景があったと思います。(中島みゆきの「時代」は、1970年代のそのような人たちへの応援歌でした。)
◆また、次のようにも書いていました。
あらゆる正義や反逆の根っこが
あまりたしかでないといふことで
おまへの感じている疑惑や傷手はほんたうだ (『転位のための十篇』より)
このような「疑惑や傷手」から立ち直ることは、かつても今も容易ではありません。「疑惑や傷手」を心の奥に抱えたまま生活者として生きる人たちを、吉本は否定はしていませんでした。
◆しかし吉本は、自分には厳しく求めました。昂然と顔を上げて歩むことを。
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあうことをきらった反抗がたふれる (『転位のための十篇』より)
歯を食いしばりながら「自立の思想的拠点」を求め、「諦念」にスライドしていくことを拒んだのです。
◆吉本隆明の原点と思われることを、詩を中心に少しだけ見てきました。「世界の病巣には美しい打撃を/あたえねばならぬ」(「崩壊と再生」)という思いは、少なくとも1970年代前半までは、吉本のなかに強烈にあったと思います。「崩壊と再生」は前述の「蹉跌」より前の時期に書かれましたが、「美しい打撃」という表現にはどのような思いが込められていたのでしょうか?
◆7月に、岩波文庫から『吉本隆明詩集』が出るそうです(蜂飼耳の編集・解説にも注目しています)。隔世の感がありますが、今も私たちは、目を覆うほどの「世界の病巣」や「日本の病巣」のなかで生きています。吉本の詩には、世代を越えて心に響くものがあるはずです。
◆『人物20世紀』に吉本隆明のことが載っていれば、この記事を書くことはありませんでした。そういう意味では、『人物20世紀』は、「無用の長物」ではなかったのでしょう。また、あらためて読んでみると、精彩に富んだ文章が数多く載っていることがわかりました。分厚くて重いですが、本を読む楽しさを感じさせてくれます。
【*】思想家の柄谷行人(1941~)も載ってはいませんでしたが、1998年の時点ではしかたがなかったと思います。吉本隆明と比較すると、世代も違うからでしょうが、柄谷には「土の匂い」や「下町の匂い」は感じられません。吉本は「アジアのはて」に根を下ろして思索していましたが、柄谷は「脱亜」して(?)国際的に活動しました。
柄谷は、欧米の思想を渉猟した末に、「交換様式論」に行き着いたようです。4段階の「交換様式論」[歴史的には交換様式B・Cの2段階? 交換様式Aはほとんど「始原の楽園」ですし、交換様式DはCが止揚されて向こうから現れる(古くからの日本的思考「自然(じねん)」が柄谷のなかに忍び込んでいます)交換様式A+です]を高く評価する人たちも多いようです。ただ、高度な理論のすがたをとってはいますが、世界を単純化・段階化する俗流マルクス主義の<正ー反ー合という弁証法的思考>が踏襲されています。また、交換様式Dを想定・希求する点で、<ユートピア思想>の系譜にもつながっているように見えます。
Utopia はもともと「どこにもない場所」という意味ですが、柄谷は結局「交換様式D=ユートピア(どこにもない場所)=実現できない楽園」を求めて、たくさんの言葉を費やしてきたのかも知れません。そして、世界の現実も個人の現実もあまりに困難なので、「交換様式D」に失われた希望を見出した人たちも少なくなかったのでしょう。それが根拠なき希望であったことを、今は気づいていると思いますが。
一方吉本は、<世界を単純化・段階化する弁証法的思考>や<人びとに根拠なき希望を抱かせるユートピア思想>の全き圏外で、強靭な思索を続けました。それは、複雑で過酷な現実との格闘そのものであったと思います。