「肉」とはそもそも何なのか? 培養肉の名称をめぐる果てしない議論

牛や鶏、魚などの細胞を培養して食べられるように“育てた”、いわゆる「培養肉」の名称をめぐる議論が続いている。消費者団体や酪農・牧畜業者、人工肉を手がける企業などがさまざまな主張を繰り広げ、収拾がつかない。しかし、そもそも「肉」とは何なのか。どんな基準で定義され、社会や文化にどう影響するのか──。改めて根本的な問いへと立ち返って考えた。
「肉」とはそもそも何なのか? 培養肉の名称をめぐる果てしない議論
PHOTO: GETTY IMAGES

米食品医薬品局(FDA)のパブリックミーティングで哲学的な激論が交わされることは普通ない。しかし、今年7月12日のパブリックミーティングは、いつもの会議ではなかった。FDAは、いわゆる「培養肉」についての話し合いを行っていたのである。

培養肉とは、牛や鶏、魚から採取されたごくわずかな細胞をベースとして、ラボで培養される動物の組織のことだ。今回の会議では、専門家や培養肉メーカー、業界団体の広報担当者らが、培養肉に関する技術や規制、安全性について意見を交わしていた。

だが議論のすべては、奇妙なまでに複雑な問いに帰着してしまうように見えた。その問いとは、「ところで肉とはいったい何なのか?」である。

ミーティングでは、複数の消費者団体が透明性の向上を訴えた。その筆頭は、非営利の消費者団体で『コンシューマー・レポート』誌を発行するコンシューマーズ・ユニオンである。彼らは人工肉の名称について、こう主張した。

「商品名とは、この食品は従来の肉とは違うことを消費者が理解し、製法についてもある程度は把握できるものにすることが大切です」

酪農家もこの意見に賛同した。全米生乳生産者連盟(NMPF)は、人工肉を「豆乳」と比較した。彼らは「豆乳」という言葉がトラブルをもたらしていると考えており、その原因は「標準化された乳製品用語の乱用」にあると見ているからだ。

「人工的」であることをアピールしたい企業も

では、標準化された食肉用語とは、どのようなものであるべきなのだろうか?

米国牧畜業者協会(USCA)の広報担当者であるリア・ビオンドは、「われわれの定義からすると、『食肉』や『牛肉』という言葉はもっぱら、動物の肉から従来の方法で得られるタンパク質食品に対して用いられるべきです」と『WIRED』US版に語った。

であれば、培養肉はそこから除外されることになる。しかしもちろん、培養肉メーカー側もこれに異議を唱えるだろう。

人工魚肉メーカーのフィンレス・フーズ(Finless Foods)で最高経営責任者(CEO)を務めるマイク・セルデンは『WIRED』US版に対して、「培養肉が安全性を保ちながら、本物の肉がもつ味や見た目、食感といった知覚的体験を完全に再現できるのであれば、肉や魚といった言葉を使ってもよいはずです」と語る。

「とはいえ、われわれは消費者を欺こうとしているのではありません。むしろわれわれは、手がけている製品について、従来のやり方で生産される食肉や魚肉とは差異化したいと思っています。というのも、培養肉には付加価値があるとわれわれは確信しているからです」

つまり彼らは、持続可能性が高いと思われるやり方でタンパク質を提供し、動物の虐待や魚の乱獲を防ごうとしているのだ。

「普通の肉」だって、細胞が栄養を得て成長したものじゃないか

表面的には、言葉の意味をめぐるつまらない小競り合いに思えるかもしれない。しかし、実はこの問題は安全性を担保して規制を定めるうえで、そして一般消費者にとって大きな意味をもっている。

残念ながら、今回の議論に参加した人々は全員、肉に関してそれぞれ異なった定義と既得権をもっていた。だったら、われわれが「肉」を定義してみようではないか。最も有名な辞書であるメリアム=ウェブスター辞典の定義はシンプルだ。

「動物の組織。特に食品と考えられているもの」

米国食肉科学協会(AMSA)は、この定義をもっと深く掘り下げている。

「哺乳類や鳥類、は虫類、両生類、水生動物から得られる骨格筋とそれに付随する組織。臓器や、骨格筋以外の筋肉組織からなる食べられる内臓も、肉と考えられている」

この定義は、人工肉にも当てはまるのだろうか?

もしかしたら、当てはまるのかもしれない。ラボで肉をつくるために、科学者らは動物から細胞を採取し、栄養を与えてそれを育てている。その過程自体は、細胞が動物の体内で自然に複製されてゆくさまとかなり似ている。

しかしいまのところは、チョリソーソーセージのような構造化されていない肉しかつくることができない。例えばステーキなどの構造は、形成するのが信じられないほど難しいのだ。

栄養組成が「肉かどうか」の基準になる?

スタートアップのジャスト(Just、以前の名称はハンプトン・クリーク)は、2018年末までに何らかの商品を発表するとしているが、実際に製品を市場に出している人工肉メーカーはまだ存在しない。つまり、現状では詳しく検討できる対象がない。

米国食肉科学協会(AMSA)に所属する動物科学者ダスティン・ボーラーは、現時点での協会のスタンスについて「厳しい科学的評価の対象となる製品自体がないのだから、これが肉なのかどうなのか判断のしようがない、というものです」と話す。

では、AMSAが最初の人工肉を実際に手に入れたら、その「厳しい科学的評価」の基準は、いったい何になるのだろうか?

「その肉に含まれているタンパク質に関連して、一定レベルの機能性が含まれていなければなりません」とボーラーは語る。「何らかの栄養的な評価があるべきです。動物から得られる肉は、鉄分や亜鉛、タンパク質、ビタミンBなどを豊富に含んでいます。果たして、培養肉の栄養組成も同様に仕上がるでしょうか?」

培養肉は、一頭の動物から切り取られたものではないとはいえ、動物の組織からできていることは間違いない。消費者はこの事実を知っておくべきだ。必ずしも、誰もが肉を問題なく食べられるわけではないからだ。

「特に魚には、アレルギーを引き起こす恐れが多分にあります」とフィンレスのマイク・セルデンは語る。「もしこれを魚と呼ばない場合、消費者に対して現実的な問題を引き起こすでしょう」

あいまいな名称が引き起こす、宗教的なトラブル

宗教による制約も関係してくる。人々が大切にしている信念に逆らうようなまねは、誰だってしたくはないだろう。

それを肉と呼べなければ、もちろんビジネスも悪影響を受けることになるはずだ。ジャストの最高経営責任者(CEO)であるジョシュ・テトリックは、「もし肉と呼ばれないとしたら、食べたいと思う人は減るでしょう」と語る。「人はほかの人々にもっと環境に配慮したもの、もっとよい影響を社会にもたらすものを食べるよう勧めたがるものです」

中道的なやり方もあるかもしれない。肉として新製品を売り出すが、名称に適切な修飾を加えるというやり方である。「培養肉」や「人工肉」がそうだ。一部では以前から「細胞ベース肉(cell-based meat)」という言い方も用いられている(厳密に言えば、すべての肉は細胞ベースなのだが)。

豆乳を普通の乳製品と呼ぶことはできない。カリフォルニア大学デーヴィス校で動物遺伝学を研究するアリソン・ヴァン=イーネナームは、次のように語る。

「言うまでもなく、アーモンドミルクは乳腺から分泌されるラクテートではありません。ですから、不当表示を避けるためには、ほかの識別法が必要になるのではないでしょうか。FDAのルールでは、偽装表示や不当表示は禁止されています。もし『肉』と表示されれば、不当表示をめぐる論争に発展するかもしれません」

それが肉ならば管轄は農務省、細胞ならFDA

人工肉の呼称は、急成長する同産業に対する責任をどの政府機関が負うのかという問題にも影響を及ぼす可能性がある。ヴァン=イーネナームは言う。

「どの機関が規制するのかという問題には、確実に影響を及ぼします。肉は米農務省(USDA)が規制していますが、細胞ベースの製品はどちらかと言うとFDAが規制しているからです」

人工肉は、このどちらにも当てはまる。USDAは食肉加工工場を厳しく検査しているが、あなたなら培養肉が入ったタンクを食肉加工工場とみなすだろうか? 肉を生産していることは確かだが、それは農場における従来の育成方法とは大きく異なっている。

米国牧畜業者協会のビオンドは、「わが協会の見解では、こうした修飾語を代案として受け入れるわけにはいかないでしょう」と語る。「実際にはミルクでも乳製品でもないものにこうした修飾語が使われて、酪農業界がどうなったかを、われわれは目の当たりにしていますから」

「大豆ジュース」などの言葉の代わりに使われる「豆乳」がその一例だ。酪農業界はこうした事態について、例えば消費者が豆乳に対して牛乳と同じような栄養を期待するといった混乱を招きかねないと主張している。そしてもちろん、業界には金銭的な動機もある。

食料供給において、人工肉が牛肉や鶏肉に完全に取って代わることはおそらくないだろう。一部の消費者は、今後も保守的な製品を求め続けるだろうし、世界の大部分が家畜に頼っているのは、ただ肉を得るためだけではない。

とはいえ、言葉には力がある。言葉の選び方を間違えれば、われわれの食料供給の未来が変わってしまう可能性は大いにあるのだ。


RELATED ARTICLES

TEXT BY MATT SIMON

TRANSLATION BY HIROKI SAKAMOTO/GALILEO