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『WIRED』日本版の今年いちばん大規模なイベントとなる「WIRED Singularity」が今週月曜日に開催を迎えた。事前収録とはなったものの、未来学者のレイ・カーツワイルに始まり、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリで終わるという豪華な構成となったことは、デロイト トーマツ グループ AI Experience Centerのスポンサードによるところが大きいし、ビジネスカンファレンスとしてこの振り幅と多元性をラインナップとして実現し、かつ文脈としてまとめ上げることができたのは、『WIRED』のメディアの力だと自負しているところだ。
同時に、これが日本だからこそ成立するコンテクストであり、そのことは日本の強みなのかもしれない、と改めて思うこととなった。どういうことかと言うと、例えばカーツワイルとハラリというと、まさに前々回のこのNLで書いたような、効果的加速主義者とAI破滅論者に当てはまるだろうし、そうした党派性がすでに議論として積み重なり政治の問題にさえなっている米国や欧州では、そもそも両者が立つことはありえない、あるいはノンポリに映るだろうからだ。
それでも、今回のように両者の言葉に改めて耳を傾けてみれば、カーツワイルが人工知能(AI)による破滅に警鐘を鳴らし、ハラリが人間の繁栄につながる技術を加速させるような言葉に何度も出合うはずだ。カーツワイルは20年前の著書『シンギュラリティは近い』でもすでに、数多の懐疑論に向き合って一つひとつ、その懸念のどこまでが正当で、どうしたらそれを回避できるのかに紙幅を割いてきたし、最新刊『シンギュラリティはより近く』ではさらにそこを丁寧にやっている印象を受ける。
逆にハラリは『ホモ・デウス』において、「ホモ・サピエンス」(賢いヒト)から、「ホモ・デウス」(神のヒト)へと人類がアップグレードされるシンギュラリティ後の世界をディストピア的に描いていたけれど、今回の講演のタイトルが「Humans Flourish」であることからもうかがえるように、警鐘の先に、その技術をどのように繁栄へと繋げられるのか、といった視点がより全面に出ていた。ハラリの講演を受けた壇上のセッションで東大の林香里先生が「ハラリも楽観的すぎませんか」といみじくも指摘したように、そこには以前からの変化がうかがえたのだ。
大切なことは、カーツワイルであろうがハラリであろうが、その未来を決定づけるのが、技術そのものではなく人間の側にあることを、繰り返し指摘している点だ。つまり効果的加速主義者であろうがAI破滅論者であろうが、それはAIという技術に対する態度の違いというよりも、人間に対する、あるいは人間が織り成す社会に対する世界観の違い、そこへの信頼度の違いなのだ。新しい技術が生まれ、それを応用して実装する際には、「人間をどのような存在として捉えている技術か」を問うべきだとハラリが言うとき、そこには、技術決定論的な、つまり技術が一義的にわたしたちの世界を規定してしまうといった諦めではなく、その問いを起点に技術と人間の関係性を編み直しできるといった楽観主義が横たわっている。
生成AIについては、バブルが崩壊するといった論調がこのところずっと続いている。そういったなかで敢えての「WIRED Singularity」ですか、という声も聞いた。いまが「ハイプ・サイクル」のまさに絶頂点にある、という指摘ももしかしたらその通りかもしれない。そのあとの「幻滅の谷」がどれだけ深いのかはわからないけれど、そのことは、シンギュラリティを考えるうえではあまり関係のないことだ。このニュースレターでも前に紹介したけれど、『WIRED』(のUS版)は1997年にロングブーム(長期の繁栄)を高らかに謳いながら、その後ご存知のドットコムバブルの崩壊を迎えた苦い経験がある。逆に言えば、そこで生き残ったメディアでもある。
そのニュースレターでも紹介した「デイヴィスの法則」を改めて紹介しよう。それは、「自ら予測を立てない者には、何が驚きかもわからない」というものだ。最善の思考とは何かを間違えることから始まるし、予測することの意義は自分の知識の限界を見定めて、世界の理解を深めるためにさらに難しい疑問に自分を導くことにある」のだという。恐らく、2045年に到来するというシンギュラリティは、いまぼくたちが、あるいはカーツワイルやハラリが思い描いている通りのものにはならないだろう。もしかしたら、日々の暮らしのほとんどはあまり変化がないかもしれない(朝起きて歯を磨いてコーヒーを飲んで仕事をして食事をして排泄をしてまた睡眠しているのだろう)。
でもだからこそ、そこで起こる深淵なる変化にもまた、初めて気がつくことができるのだろう。シンギュラリティを語ることは、シンギュラリティ後の人間を語ることでもある。ぼくたちはいったいいま、何を「間違っている」だろうか。それは、自ら予測を立てなければ、決してわからないのだ。
『WIRED』日本版編集長
松島倫明
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