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特集1◆東アジア共同体と拡大EU 拡大EU、 東アジア共同体への示唆 ─対立から繁栄へ:地域統合の比較研究 羽場久美子 1.はじめに 危機の時代と地域統合 ヨーロッパの地域統合は、そもそも「石炭鉄 鋼共同体」という、エネルギー資源の経済統合 から現実化した。冷戦の終焉後、中・東欧を統 今年は冷戦終焉 20 年だが、世界経済危機を 合しさらに東へ拡大している EU は、2008 年上 背景に、新たな困難の時代に向かいつつある。 半期で、27 カ国、人口 5 億人、GDP10.9 兆ユー 1989 年の冷戦の終焉によって、ヨーロッパ ロ:14 兆 1 千億ドル(ドル比 1.3 で計算)となり、 の東西の分断は最終的に終焉し、グローバリ アメリカ(3 億人、 GDP13 兆 2 千億ドル)に並び、 ゼーションの広がりと、統合の深化と拡大の時 しのぐ経済圏として成長した。その基盤は基本 代が始まった。ここ 20 年間で 12 カ国 EC は 27 的に経済統合である。 カ国 EU へと 2 倍を超える規模となり、今後バ 2008 年秋のサブプライムローンに端を発す ルカンへの拡大が終了すれば 30 カ国を超える。 るその直後の世界金融危機では、ドルに連動し この間、南北アメリカ、アジア、アフリカなど てユーロも一時は大きく下がったものの、2009 各地域でも地域統合の動きが進む。 年春に入って持ち直し始め、逆に各国通貨への 2008 年の世界金融危機の中でも、国家経済 打撃に対するユーロの安定性から、スロヴァキ の不安定化の下、金融統合や地域統合は、ユー ア、北欧などでは、 「ユーロ圏」への加盟に拍 ロ圏の拡大など、 さらに進む様相を見せている。 車がかかり始めた。世界経済危機が今後どのよ 拡大 EU を基軸とする地域統合の進展の中 うな影響を与えていくかは予断を許さないも で、アジアではどの程度、どのレベルまで地域 のの、現状ではタイのバーツ危機の時と同様、 統合が進むのか、その際、先んじる欧州統合か 金融危機が地域の統合を促している側面が窺 ら何を取り入れ、何が異なるのか。以下、 「対 える。 立から繁栄へ」 という観点から検討を行いたい。 他方、 政治統合に目を向ければ「国家連合か、 連邦制か」という歴史的課題は、2000 年に独 統合の最大の目的は、地域の対立の克服と、 14 フィッシャー外相も、 「クオ・ヴァディス、ヨー 信頼醸成による繁栄である。世界の多様な地域 ロッパ(ヨーロッパよ、汝はどこに行くのか) 」 で進行する地域統合を比較する際の指標とし と問うたが、国民国家の主権を基礎とした「国 ては、経済統合/政治統合、国家連合/連邦主 家連合」の方向で、一定の決着を見つつある。 義、緩やかな地域協力/法制化を含んだ統合な しかし一つにはイラク戦争における「共通外 ど、それぞれの主権をめぐる統合の質的推移に 交安全保障政策(CFSP) 」の頓挫、第二に欧州 よって比較する方法が考えられる。 憲法条約に対するフランス・オランダの国民投 学術の動向 2009.5 羽場久美子 (はば くみこ) 日本学術会議連携会員、青山学院大 学教授、日本 EU 学会理事、日本政 治学会理事 専門:国際政治学、拡大 EU・NATO 票での批准拒否、改正条約たるリスボン条約も アイルランドの国民投票で否決、第三に移民問 題をめぐるナショナリズムの成長とゼノフォ ビア(外国人嫌い)の拡大から、地域統合半世 紀を超えた欧州ですら、政治統合はいまだ実現 にはほど遠い様相にある。しかしそもそも「対 立の克服」をもとめた統合の目的は経済発展で あった東アジアの地域協力・地域統合の具体的 あって政治統合ではない。 検討と様々な視点からの試みが、本格化しつつ グローバル化と世界経済危機は、 各地での 「経 ある。 アジアでも目標は経済発展と繁栄である。 済統合」推進を不可避の流れとして進行させて 東アジアの経済圏の成長は 21 世紀に入り目 いるとはいえ、それを政治統合まで推し進める 覚しいものがあり、ASEAN+3(日韓中)で人 べきかは、議論の余地が残る。 口 20.8 億、GDP9.6 兆ドル、ASEAN+6(東アジ ここではむしろ地域の対立の克服による共 アサミット 16 カ国)で人口 32 億、GDP10.3 兆 同の発展と繁栄、地域内部で二度と戦争は行わ ドルと、人口 ・GDP 共に世界的パワーとしての ないという「不戦共同体」が地域統合の究極の アジアの経済統合が、進展しつつある。その中 目的であり、憲法や共同の大統領などの実現は 枢としての中国に対し、EU・アメリカともに 拙速である、という事実を確認した上で論を進 熱い、かつ驚異の視線を注いでいる。 めたい。 こうした中でアジア各国でも、東アジアの地 域協力 ・ 地域統合の要請が、具体性を帯びて、 2.東アジアでの地域統合の進展 議論されるようになった。 しかし積極的な中国・ 韓国に比べ、日本は財界や政府の提言があって 冷戦の終焉後、東アジアでも経済協力関係の 久しいにもかかわらず、民間、とりわけアカデ 確立が、2000 年 5 月のチェンマイ・イニシアチ ミズムにおいて、一部を除いて関心が薄いよう ブ以降急速に進んだ。これは未曾有の被害をも に思われる。 たらしたアジア通貨危機を受け、アジア各国が また現実に東アジアでは、地域統合への障害 経済協力の制度化を模索した結果でもあった。 も多く、1)国の規模の違い、2)体制・国際政 2000 年の経団連奥田会長の奥田レポート、 治枠組みの違い、3)歴史の負の記憶、強いナ 2002 年の小泉首相のシンガポールでの「東ア ショナリズム、 4)アメリカの同盟関係との齟 ジア共同体」の提言を受けて、当初は夢物語で 齬、などの問題が山積みであり、様々な形で進 学術の動向 2009.5 15 特集1◆東アジア共同体と拡大EU 行する経済統合に比べ、政治的 ・ 制度的な関係 による殺りくと紛争が繰り返されてきたし、21 の構築はなかなか進展する見通しが見えずま 世紀においてすらバルカンでの民族紛争が継 さに「政冷経熱」の様相である。 続されてきた。だからこそ地域統合なのだ、と それでも、経済関係を基礎とした関係構築の 拡大、2008 年の北京オリンピックによる民間 反論できよう。 統合の本質は、第一に、エネルギーと資源の レベルでの飛躍的交流の拡大を通じて、現在、 共同、第二に、不戦共同体としての安全保障の 移民、テロ対策、環境、食の安全など様々なレ 構築、第三に、歴史的和解である。まさにこれ ベルでの課題が提起されており、東アジアにお が対立を繁栄に代える手段なのである。 ける地域協力・地域統合の多元的な形での制度 構築への現実的関心が高まり始めている。 こうした中で日米関係、日中関係などバイの 関係を越えて、多元的ネットワーク型の地域の 共存の試みとして、 制度、 法整備、 越境地域協力、 教育交流など、EU に学んだ「東アジア地域統 合」への試みが始まりつつある。 この三点は、EC / EU にとってその成立と 存続・拡大の根源にあるものである。他方、ア ジアにおいては、この三点こそがこの地域の共 同と統合を妨げている。 戦後の「独仏和解」 「欧州不戦共同体」 「石炭 鉄鋼共同体」は周知の事実である。 ここでは欧州が、この三点を、 「ポスト冷戦」 以降も繰り返すことによって、旧共産圏を取 3. 「ポスト冷戦終焉」以降の 欧州統合からの示唆 り込み、紛争地域を「安定化」させてきた経緯 を明らかにする。なぜそのようなことが可能に なったのか。 上にも述べたように、欧州とアジアは、違い 冷戦終焉後の旧共産圏やバルカン、パレスチ が大きすぎるため、比較はしづらく、欧州のシ ナ、中東を取り込んでの紛争解決と統合・拡大 ステムに学びうるところは少ないとされる。 にこそ、東アジアの発展と繁栄の教訓がある。 また上記の 4 点に加え、さらに東アジアでは 以下、 ①「ポスト冷戦」以降の旧共産圏との「異 共産主義体制や権威主義体制が残り冷戦が終 体制間和解」 、②旧共産圏やバルカン、パレス わっていない、とされる。 チナなど、紛争地域との「不戦共同体」 、③戦 確かに、13 億の中国、10 億のインドの規模 争と抗争を生むエネルギー資源たる石油・天然 を抱える地域統合はほかには存在しない。格差 ガスの共同の管理発展から、冷戦終焉後の拡大 も、ヨーロッパの平均的格差を大きく超えるで 欧州がそれをいかに成し遂げたかについて検 あろう。しかし「対立と敵対」についていえ 討する。 ば、欧州ではアジアをしのぐ数千万人もの戦争 16 学術の動向 2009.5 4 − 1)ポスト冷戦の 3 つの和解 「異体制間和解」「階層間和解」「異民族間和解」 戦後の「独仏和解」は、規模、価値、宗教、 るかもしれない。他に、ポスト冷戦の拡大 EU は、エリート・市民間の「階層間和解」 、イス ラム系移民などとの「異民族間和解」も実行し ている。 経済発展の度合いがほぼ同じで、アジアとは異 なり比較にならないとされてきた。 しかし 1989 年のソ連・東欧体制の崩壊後、 EU は、拡大を最も嫌ってきたロシアとの共同・ 対話、旧社会主義国、中・東欧諸国の取り込み による拡大を実行してきた。 この「ポスト冷戦」の「異体制間和解」は、 東アジアにとっても意義深い。 4 − 2)紛争地域の「安定化」に 関与する、 「不戦共同体」 数 100 年にわたって紛争・殺戮を広げてきた 欧州が、第二次世界大戦後、敵同士が統合し欧 州では二度と戦争を起こさないシステムを形 成したことは重要である。 中・東欧への拡大と統合は、市場化・民主化・ 同様に、1989 年の冷戦の終焉後、欧州周辺 自由化に象徴される。具体的には、コペンハー では、バルカンの地域紛争の勃発、ソ連邦の崩 ゲン・クライテリアとアキ・コミュノテール(EU 壊、湾岸戦争、旧 CIS の独立と革命などの混乱 法の集大成)の遵守により実行された。さらに が継続した。 安全保障では、OSCE(全欧安保協力機構)の こうした中で、EU は、OSCE、ロシア・旧 場における異体制間の話し合いの場が継続さ CIS 諸国の安定化のためのパートナーシップ協 れた。これらの実行に向け、 中・東欧は、 1996 年、 定、バルカンに対する南東欧安定化協定、中 1999 年に加盟交渉を始め、ほぼ 8 年後、2004 年 東・アフリカ諸国に対するバルセロナ協定とい には加盟を実現したのである。 う、安定と共同の協定を締結し、さらにエネル こうしたクライテリア(基準)の実行の作業 ギーの共存と経済支援、さらにバルト海、黒海 を中国や北朝鮮が行えるかといえば、極めて 沿岸、地中海など、各領域に対し、共同経済圏 心もとない。しかし 1989 年の「ベルリンの壁」 など多層にわたる法、経済、政治的枠組みの形 の崩壊後、シュタージ(秘密警察)に抑圧され 成の中で、 安定と発展を維持しようとしてきた。 ていた中・東欧の中産階級は、それらの「基準」 このような、政治、安全保障の協力関係は、ナ 「規制」に合わせることを甘んじて受けた。 これは 40 年代前半まで、曲りなりにも民主 主義国家体制を実行していた中欧と、45 年ま ショナリズムと敵対の成長の中でこそ、 「安定 化」をめざす統合の試みとして位置付けられて きたのである。 で植民地体制下にあった中国との違いといえ 学術の動向 2009.5 17 特集1◆東アジア共同体と拡大EU 4 − 3)石油・天然ガス資源エネル ギーの共同と紛争予防 ロシアとのパートナーシップ協定や、中東と 趣旨にそぐわない側面があるからである。 5.今後の課題 のバルセロナ協定、また黒海沿岸地域協力への 地域統合とは、究極のところ、対立の中から EU の関与は、それ自体、エネルギー資源の共 共同の発展を試みようとするシステムである。 同ともつながる。域内に十分なエネルギーをも であればこそ、ポスト冷戦 20 年の現代におけ たない欧州は、ロシアや中東との安定的関係を る地域統合は、何よりもまず、西側システムに 形作ることで、経済の持続的発展の基礎とし、 限定されない「異体制間和解」 、旧社会主義圏 また紛争・貧困地域に「人道支援」としてかか たる中・東欧や旧ソ連邦との共存共栄によって わることで、アメリカと異なる国際規範も提示 こそ、アメリカと並び発展することができた。 した。特にイラク戦争以降は、 「欧州安全保障 プラグマティックな拡大 EU の理念は、中国 ・ 戦略」 、多国協調主義(マルチラテラリズム) 、 北朝鮮・ロシアといかに共存すべきかという東 近隣諸国政策(ワイダー ・ ヨーロッパ)を掲げ、 アジアの地域協力・地域統合にも適用できよう。 世界の不安定化や抗争に対し、経済発展と繁栄 ナショナリズムやゼノフォビアの成長、リス を旗頭に、規範に基づく国際社会へのかかわり ボン条約の頓挫、経済危機による欧州経済発展 を強めてきた。 の先行き不透明感など、拡大 EU も、現在さま ざまの課題を抱えている。しかし直面する課題 4 − 4)内なるナショナリズムへの 対処 と敵対・紛争の調停こそ、地域統合や地域協力 による相互調整、共同利益と持続的発展へと転 化する EC / EU の底力でもある。 しかし他方で、世紀転換期以降ナショナリズ これらはまさに、東アジアにおいても、歴史 ムの波が強まり、欧州憲法条約、改革条約たる 的対立、資源エネルギー問題、中国・インドの リスボン条約は、前者はフランス ・ オランダ、 経済発展・移民の増大とそれを警戒する日本の 後者はアイルランドの国民投票の否決によっ 軋轢を相互調整し、ともに発展する重要な契機 て、頓挫している。 「政冷経熱」は東アジアだ となりうるのではないだろうか。 けの課題ではなく、欧州も含み、政治統合の困 難性が露呈しているといえよう。そもそも「地 域統合」とは、多元的な多国間協調であり、政 治レベルでの中央集権的大国主導自体、統合の 18 学術の動向 2009.5 *上記の問題については、以下の著書・論文で論じている。 羽場久美子『拡大ヨーロッパの挑戦−アメリカに並ぶ多元的 パワーとなるか』中央公論新社、2004 年。 羽場久美子「拡大 EU の教訓と東アジア共同体」 『海外事情』 2007 年 6 月。 羽場久美子「拡大 EU と東アジア共同体の比較研究−『4 つの 和解』 」国際アジア共同体学会編、2008 年創刊号。 “The Lesson of the EU Enlargement and the East Asian Community and Shanghai Cooperative Organization, What and How we can learn from the European Integration,” 50 Years Rome Treaty and EU-Asia Relations, ed. by Chong-ko Peter Tzou, Tamkang University, 2008. 学術の動向 2009.5 19